20160430

『サウルの息子』

以下の文章には、映画『サウルの息子』に関するネタバレ、独断、偏見、不確定な解釈を多量に含みます。映画をご覧になっていない方はご遠慮下さい。

映画を見終わってから数時間悩んでいた。
感想をブログに載せて良いものか?

ネタバレを含まない形で書くとしたら、通り一遍の書き方しか出来ない。それでは意味が余りにもない。


ラストシーンを観るまでは、その通り一遍の見方しかしていなかった。だが、あの子どもとそれを見るサウルの微笑みは何を物語っているのだろうか?
写真やYouTube動画を観て分かるように、この映画は全編にわたって、極めて被写界深度の浅い画面で構成されている。
映画冒頭のシーンはどこにも焦点が合っていない画面だった事からも推察出来るが、この被写界深度は、監督ネメシュ・ラースローの意図的な演出なのだろう。
焦点が合っているのは、主に大写しされているサウルの顔だけ。そして昔のTVを思わせる1:1.3の正方形に近い画面。ただですらボケボケの背景はそもそも面積からして極めて限定されたものになっている。


舞台は1944年のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。
サウルはそこで同胞のユダヤ人をガス室に送り込むゾンダーコマンドの任務に就いている。彼らは他の囚人と引き離され数ヶ月働かされた後、抹殺される。


ある日、サウルはガス室で生き延びた息子とおぼしき少年(観た後入手したパンフレットには気を付けて読んでみるとそう書いてある)を発見する。少年はサウルの目の前ですぐに処刑されてしまうのだがサウルは何とかユダヤ教の教義に則って手厚く埋葬しようとして、ユダヤ教の聖職者ラビを探し出そうと収容所内を奔走する。


そんな中、ゾンダーコマンドたちの間には、収容所脱走計画が秘密裏に進んでいた。

最初に気に掛かったのは、サウルが息子を埋葬したいと主張する度に、同僚から再三にわたって「お前には息子はいない」と諭されることだ。

なぜこの台詞が繰り返されるのか?


そしてラストシーン。


川で息子(とおぼしき)の遺体を失ってしまったサウルは同僚と共に逃げ、小屋の中で小休止を取る。その時地元ポーランドの少年が現れ、サウルたちを眺めるのだが、サウルはそこで幸福に満ちた微笑みを浮かべるのだ。


最初、息子が甦ったように見えて、微笑んだのだろうかと考えたのだが、それでは意味が浅すぎると考え直した。


そして分からなくなった。


『サウルの息子』原題は"Son of Saul"。この「息子」とは誰のことなのだろうか?


サウルの微笑と「息子」の意味について監督はアメリカの公共放送ラジオのインタビューでこう答えている。



And you have to bring the message to the future. That's the idea. So the question is whether there's hope that can still exist in the midst of utter loss of humanity and death.

メッセージを未来に伝えていかねばならない。そういうことなんです。人間性が失われ、死んでいく最中でもそれでもなお希望は存在しうるのかどうか、という問いかけです。

サウルが埋葬しようとした息子とおぼしき少年は、自分が送り込んだガス室で、救えなかった全ての子どもたちの象徴だったのではないか?


ラストシーンで響く銃声。それはサウルたち全員の死を暗示しているのだろう。


サウルもまたそれを覚悟していた筈だ。


だが、ポーランドの少年に「見られる」事で、サウルたちゾンダーコマンドの存在は後生に伝えられるだろうという安堵の気持ちが、あの微笑みを産んだのではないか?


ゾンダーコマンドの、そして収容所で死んだ数限りないユダヤ人たちの未来と希望。それを「サウルの息子」は意味していたのではないか?


極端に浅い被写界深度によって、暗示されているアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の地獄のような風景。

それも、多くの「サウルの息子」を産んだ悪夢の描写と考えれば効果的な演出だと思えてくるだろう。

20160426

就労1ヶ月経過

よもや私が大手のスーパーに勤めることになろうとは思っても見なかった。

その思っても見なかった事が現実となってひと月が経った。

最初の内は一日の労働が終わると疲れ果て、一滴の余裕もなく家に帰ってきたものだ。
それを振り返ると少しは慣れが出て、余裕が出てきたのかとも思える。

確かに慣れはあり、最初の内次にやることを必死に思い出しながら当たっていた作業も、ある程度は無意識に身体が反応するようになっては来た。その分疲れ方も多少は減ってきたように思える。

だが、一日の作業が終わると疲れ果てているのは未だに変わりがない。


思えば無茶振りとも言える就労の開始だった。

前任者が二人辞めるので雇われたと知ったのはかなり後。辞めるまでに5日しかなく、その間にどっさりある仕事内容を全て覚えなければならなかったのだ。

更にはすぐ後に入って来た若者に、仕事を指導する立場にも立たされた。普通なら指導される側にいる筈の期日だった。

さすがに大手だなと思うところは多々ある。

労働環境は全くブラックではない。

職種の関係で、土日やゴールデンウィークはおろか盆も正月もない事になったのは仕方ないだろうが、今迄体験してきた会社で常にあったサービス残業は極力撲滅する努力が支払われている。

そして何より生まれて初めての事なのだが、ボーナスや有給休暇というものを体験出来るようだ。

職場は波瀾万丈とも言い得る多くの出来事が満載の状態。

これから先もいろいろなことがあるだろう。

兎に角、何とかひと月という区切りを迎えることが出来た。

正直ほっとしている。