20161224

年賀状-endre penovác

珍しくホワイトクリスマスになった。
そろそろ年賀状を出さねば元旦に届かなくなる。そう思い、郵便局のサイトからテンプレートをダウンロードして作成し、一部を投函した。だが心残りがある。

Pinterestで知り、是非この図案を使いたいとメールまで出した(拙すぎる英文でだったのだが)作品があるのだ。

この絵で年賀状を作りたかった。
何とも東洋的な作風だが、作者はセルビア出身の芸術家endre penovác(エンドレ・ペノヴェック)氏。

キャンバスに水を染み込ませ、そこにインクを垂らした時に出来る滲みを利用して絵を描いている。

どうやら猫の連作で名が知れている芸術家らしく、検索してみると幾つも作品が公開されていた。

どれも良い。

例えば
Dreamy New Ink Paintings of Ghostly Felines and Chickens by Endre Penovac



どこからが偶然でどこからが意図的な技法なのかは分からないが、猫のモフモフの毛並みを滲みが見事に表現している。

それどころか猫の骨格すら感じさせる腕前は確かなものを感じる。

残念ながらメールは返ってくる事がなく、年賀状は平凡なデザインになったが、この絵描きを知った事を今年の自分へのクリスマスプレゼントにして、イブのささやかな祝を行いたいと思う。

この芸術家は本物だと思う。

20161215

g.o.a.t開始

Mediumの延長上にこのブログはあるのだろう。

と言う事で、KDDIウェブコミュニケーションズが提供を始めたブログサービスg.o.a.tを早速試してみた。

新生活は新ブログで

と言ってもブログとSNSの魅力を併せ持つMediumと同じ代物ではないようだ。あくまでもブログサービスである。

考え方は文章だけに対象を絞らず、表や図、写真を文章とシームレスに組み合わせて新しい形のブログを簡単に編集出来る環境を提供してくれる所にあると思う。

何と言っても日本で始められたサービスなので、編集環境が日本語である事は非常に有り難い。

Bloggerだけでも4つのブログがあり、その他にもココログに書評ブログがある。更にMediumにも浸っていて、その上でまだ新しいブログを作るとは何を考えているのか?いや、何も考えていないと思われても仕方がないが、それなりに棲み分けはしているつもりだ。

与えられた環境に従って、自分の書くものが微妙に変化してゆく。その辺りが面白い。本人はそう考えて新しい環境を試している。

だがあくまでもホームはここ『夏の扉へ』にある事は変わりがない。

20161124

引っ越し完了

雪が降った。初雪でいきなり12cmの積雪を記録した。
溜まったゴミを集積場に出しながら、引っ越しが今日でなくて良かったと心から思った。

引っ越し当日の21日は曇りの天候で、幸いにも比較的暖かな日だった。

引っ越しが決まってから当日までの日にちが少なかった事と、荷物が膨大な量に達していた事を考えて、引っ越し業者には、梱包から頼んでおいた。
なので引っ越しは前日の20日から、実質始まり、2日間掛けて行われた事になる。

引っ越し業者は4社見積もりに来てもらって、最も親身に考えて下さった引越し本舗に頼むことにした。大手ではないが、地元の業者である事もプラス要因だった。

思えば綱渡りの連続だった。引っ越しが決まってすぐ手配したのだが、Web関連の設備の撤去やBSアンテナの撤去が、最短で21日と言われた時には冷や汗が出た。21日には部屋を明け渡さねばならない約束になっていたからだ。
まさにギリギリで間に合った事になる。

それ故に、常に複数の業者が居合わせる形になり、てんやわんやの様相を帯びる事になった。


20日朝、やって来たのは引越し本舗の女性2名、男性1名の3人組。
さすがにプロだけあって、膨大な量の荷物を片端からどんどん梱包してゆく。その手際の良さは、目を見張らんばかりだった。

だがこの早さは落とし穴があった。後に梱包を解いた時、本とアイロンが同居していたり、棚とそれを留めるネジが別の箱にしまわれていたりとてんでばらばらで、余り丁寧な仕事ではなかった事が分かったりした。


21日の朝に、一番でやって来たのは引越し本舗の運び屋さん達だった。4名のチームで、中でも目立ったのが身長2mほどはあろうかと見受けられた巨大な男性だった。
引っ越し屋として生まれついたような風貌だった。

驚いた。彼らはあろう事か、軽くはない段ボール箱を2つ程抱え、階段を駆け降りるのである。私は何も持たなくても、階段で躓きそうで、怖くてならない。そこまでして急ぐ必要はどこにあるのだろうとも思うのだが、彼らは平気でその芸当を成し遂げる。

プロだと思わざるを得なかった。

だがしかし、そのプロ根性は(私にとって)プラスの方向ばかりに向かう訳ではなかった。

仕事が終わり、その確認を取る書類にサインした後、書庫部屋の収納スペースに丸々積み残されていた荷物が見付かったのだが、既に契約は終了したという理由で、ついに持っていってはくれなかった。仕方なく自分たちで運んだ。かなりの量と重量があった。


引越し本舗の仕事が一段落付いた頃、Web関連の設備の撤去が始まった。同時にBSアンテナの撤去。BSアンテナは屋上に案内せねばならず、Web撤去の方はターミナル以外にもうひとつレンタルの機材がある筈と言う。どうやらそれも新居の方に持って行ってしまったらしい。それを歩いて取りに行く羽目になった。


午後は新居に移動。Web敷設と電気工事関連。

BSがきれいに映った事は嬉しい誤算だった。1階なので厳しいと工事の方に言われていたからだ。

部屋には荷物が運び込まれ、あれ程広く感じられた空間も、狭く感じられた。


新居は、大まかにみて過ごし易い環境にある。ダイニングからキッチンまでが遠くなって、珈琲などを取りに行く時戸惑ったりするが、これも慣れだろう。

いろいろと擦った揉んだがあったが、取り敢えず、生活の場は新居に移った。何はともあれ新しい生活が始まったのだ。楽しもう。

20161102

引っ越し決定

保証人の選定に手間取っていたので公表を差し控えていたのだが、このたび書類も無事調い、正式に引っ越すことが決定した。

今住んでいる部屋に不満がある訳ではない。むしろここより便利なところはいくら探しても見つけることが出来なかった。

問題は家賃だ。

取り立てて、今のところが高い訳ではない。だが、これから先の事を考えると、やはり公営住宅の安さが魅力だった。

何度も抽選で落ち続け、若干めげていたのだが、先月中旬、ようやく補欠で当たり、先日空きが出来たと言う連絡を受けた。


県営住宅の吉田広町団地。ここが私たちの今後の住処となる。
 間取りは3LDKY。

今の所からも徒歩で15分程なので、職場にも歩いて通うことが可能だろう。

これから先、年老いてきて、体力もなくなって行くだろうから、3階以上だったら断ろうと話していたのだが、物件は1階にあり、その意味でも申し分ないものと言えそうだ。

昨日、今の大家さんと不動産会社に電話して引っ越すことになったと伝えた。

いつ迄もぐずぐずとここにいられる環境は、既に過去のものになった。

事態は動き始めたのだ。もう後戻りは出来ない。


問題は主に私の荷物で溢れた現住所のあれやこれやの整理だろう。

本は思い切って整理した。それでも残った数は多い。
それに録り溜めたブルーレイディスクもある。

とても全てを持ってゆけるとは思えない。

どれを取っても棄て難い大切なものだらけだが、手放すことを決意しなければならないだろう。

それに、本にしろブルーレイディスクにしろ、今手元に残っている分だけでも、これから先全てを鑑賞し返すだけの時間が私に残っているとは、到底思えない。
それだけの量がある。

BSやWebなど、引っ越しでどの様な手続きが必要か、よく分かっていないことも多い。

今の部屋は隣に住人がいないので思い切り大きな音でCDなどを掛けていたのだが、それも出来なくなるだろう。ギターなどの楽器も控えねば。

だがそうしたネガティヴな方向にばかり目を遣っていても切りがない。

ここは新しい生活に夢を抱いて、フレッシュな気分でいた方がいいに決まっている。


引っ越し先は現在の家賃の半額以下で、しかも専有面積が今より広くなる。部屋も一つ多い。
それをどの様に使いこなしてゆこうか今から想像を逞しくしてワクワクしている。

書庫とPCを置く部屋として、私用に一部屋洋室を貰う事が出来そうだ。これはとても有り難い事だ。

キッチンのシンクもそれなりに広い。これなら料理をするに当たって、今と比べて不便を感じることもないだろう。


まだ自分自身に自覚が足りないので繰り返す。
事態は既に動き始めたのだ。

11月中に引っ越しを済ませる。

新しい生活が始まる。

20160722

Medium開始

感覚的にはtwitterやFacebookを始めた時と似ている。取り敢えず始めてしまって、やりながら可能性を模索している。そしてその可能性が十分に大きいことを確信している。

世間ではポケモンGoが耳目を集めている。

私はそれに見向きもせず、日本ではまだ少数の人しか使っていないMediumに夢中になりつつある。


これは一体何なのだろうか?

Blogとも違う。

文章を書くという行為が中心である事は共通点だろう。だが、MediumはBlog程孤独な作業ではない。

コミュニケーションを発動させる様々な工夫がなされている。ならばSNSなのだろうか?

もしMediumをSNSと規定するならば、それは案外つまらないものに分類されてしまうだろう。

既にBlogがある。それと違うWeb空間にtwitterやFacebook等のSNSが既にある。

誰かにMediumを紹介するとなると、140字に制限されていないtwitterのようなものと表現することになるかも知れない。しかしtwitterが140字に制限されていなければ、それはもはやtwitterとは全く別物である事にならないか?


核となるのはStoryと呼ばれる文章だ。私はまだそれを書いた事がない。
それでもMediumに参加していると感じるのは、StoryにRecommendと呼ばれる同意のサインを付けたり、Story中のこれ!と言った文章にhighlightと呼ばれる傍線のような徴を付ける機能があるからだ。

twitterやFacebookでもお世話になっている森哲平さんの開拓者精神に触発されて、私もMediumにのめり込んだ。

彼はMediumをSNSではないと喝破し、パブリッシング革命として捕らえている

本に例えている。それも読者と作者が分離したような本ではなく、読むことが即書くことに連なって行く様な本。それは終わりがない作業だろう。

囲碁でひとつの石が時に局面を大幅に変えてしまうように、ひとつのStoryに付けられたhighlightが文章の意味を決定的に変えてしまうかも知れない。

読むことと書くこと、作者と読者と言った垣根は、ここでは極めて曖昧だ。
むしろその曖昧さに特徴があると私には思える。

Medium CEOのEv Williamsは、"Don't Write Alone"という記事を書いている。これはMediumというものの特徴を現す重要なコンセプトだろう。


何かが始まる。twitterやFacebookを始める時もそれを強烈に感じた。

終わりのない巨大な本を寄って集(たか)って造り上げてゆく作業。それの始まりに触れる事が出来、久し振りに心浮き立つワクワク感を感じている。

20160629

就労3ヶ月

丁度3ヶ月になった26日に書くつもりでいた。だが、時間に追われ果たせなかった。

どうにかこうにか今の仕事を始めて3ヶ月が過ぎた。

この3ヶ月の間に起きた変化として、毎日二人ずつで仕事に当たることが出来るよう、社員のIさんがシフトに入って来た事が挙げられる。

これによってかなり楽になった。

加えてやはり慣れなのだろうが、私の仕事が早くなったようだ。

残業をすることがほぼゼロになった。

以前は当たり前のようだった蛍の光を聴く前に上がることが出来るようになった。
これは大きな変化だ。

この3ヶ月の間にいろいろなことがあった。

頼りにしていた社員Nさんが突然やめてしまった時は、殆どパニックに襲われた。何かと困ったことが起きるとすぐにNさんに聞いて対処していたからだ。

しかし、いなくなってしまった人のことをいつ迄も引き摺っている訳にも行かない。
この事は私たちの自立心をかえって促す結果になったと思っている。


問題はこの3ヶ月間、ただの1日として自分で今日は完璧だったと言い切れる日が無かったという現実だ。

何かしら不備がある。

1日でも今日の仕事は充実していたと実感出来る日が来るのを心待ちにしている。


今でも時々入社当時のメモ帳を読みかえすことがある。

1週間で全ての仕事を完璧に覚えなければならなかった。それなりに必死だった。
1日の仕事が終わると、立っているのがやっとなほど疲れていた。

今は力を抜くべき時がいつかが分かって来た。以前ほど疲れなくなってきた。

しかし、必死だった頃のメモ帳を読みかえすと、少し堕落したのかな?という気分にもなる。

いつでも初心に返ることは、すぐ堕落する傾向がある私には、やはり必要なことなのだろう。

何はともあれ、3ヶ月が過ぎていた。

20160430

『サウルの息子』

以下の文章には、映画『サウルの息子』に関するネタバレ、独断、偏見、不確定な解釈を多量に含みます。映画をご覧になっていない方はご遠慮下さい。

映画を見終わってから数時間悩んでいた。
感想をブログに載せて良いものか?

ネタバレを含まない形で書くとしたら、通り一遍の書き方しか出来ない。それでは意味が余りにもない。


ラストシーンを観るまでは、その通り一遍の見方しかしていなかった。だが、あの子どもとそれを見るサウルの微笑みは何を物語っているのだろうか?
写真やYouTube動画を観て分かるように、この映画は全編にわたって、極めて被写界深度の浅い画面で構成されている。
映画冒頭のシーンはどこにも焦点が合っていない画面だった事からも推察出来るが、この被写界深度は、監督ネメシュ・ラースローの意図的な演出なのだろう。
焦点が合っているのは、主に大写しされているサウルの顔だけ。そして昔のTVを思わせる1:1.3の正方形に近い画面。ただですらボケボケの背景はそもそも面積からして極めて限定されたものになっている。


舞台は1944年のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。
サウルはそこで同胞のユダヤ人をガス室に送り込むゾンダーコマンドの任務に就いている。彼らは他の囚人と引き離され数ヶ月働かされた後、抹殺される。


ある日、サウルはガス室で生き延びた息子とおぼしき少年(観た後入手したパンフレットには気を付けて読んでみるとそう書いてある)を発見する。少年はサウルの目の前ですぐに処刑されてしまうのだがサウルは何とかユダヤ教の教義に則って手厚く埋葬しようとして、ユダヤ教の聖職者ラビを探し出そうと収容所内を奔走する。


そんな中、ゾンダーコマンドたちの間には、収容所脱走計画が秘密裏に進んでいた。

最初に気に掛かったのは、サウルが息子を埋葬したいと主張する度に、同僚から再三にわたって「お前には息子はいない」と諭されることだ。

なぜこの台詞が繰り返されるのか?


そしてラストシーン。


川で息子(とおぼしき)の遺体を失ってしまったサウルは同僚と共に逃げ、小屋の中で小休止を取る。その時地元ポーランドの少年が現れ、サウルたちを眺めるのだが、サウルはそこで幸福に満ちた微笑みを浮かべるのだ。


最初、息子が甦ったように見えて、微笑んだのだろうかと考えたのだが、それでは意味が浅すぎると考え直した。


そして分からなくなった。


『サウルの息子』原題は"Son of Saul"。この「息子」とは誰のことなのだろうか?


サウルの微笑と「息子」の意味について監督はアメリカの公共放送ラジオのインタビューでこう答えている。



And you have to bring the message to the future. That's the idea. So the question is whether there's hope that can still exist in the midst of utter loss of humanity and death.

メッセージを未来に伝えていかねばならない。そういうことなんです。人間性が失われ、死んでいく最中でもそれでもなお希望は存在しうるのかどうか、という問いかけです。

サウルが埋葬しようとした息子とおぼしき少年は、自分が送り込んだガス室で、救えなかった全ての子どもたちの象徴だったのではないか?


ラストシーンで響く銃声。それはサウルたち全員の死を暗示しているのだろう。


サウルもまたそれを覚悟していた筈だ。


だが、ポーランドの少年に「見られる」事で、サウルたちゾンダーコマンドの存在は後生に伝えられるだろうという安堵の気持ちが、あの微笑みを産んだのではないか?


ゾンダーコマンドの、そして収容所で死んだ数限りないユダヤ人たちの未来と希望。それを「サウルの息子」は意味していたのではないか?


極端に浅い被写界深度によって、暗示されているアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の地獄のような風景。

それも、多くの「サウルの息子」を産んだ悪夢の描写と考えれば効果的な演出だと思えてくるだろう。

20160426

就労1ヶ月経過

よもや私が大手のスーパーに勤めることになろうとは思っても見なかった。

その思っても見なかった事が現実となってひと月が経った。

最初の内は一日の労働が終わると疲れ果て、一滴の余裕もなく家に帰ってきたものだ。
それを振り返ると少しは慣れが出て、余裕が出てきたのかとも思える。

確かに慣れはあり、最初の内次にやることを必死に思い出しながら当たっていた作業も、ある程度は無意識に身体が反応するようになっては来た。その分疲れ方も多少は減ってきたように思える。

だが、一日の作業が終わると疲れ果てているのは未だに変わりがない。


思えば無茶振りとも言える就労の開始だった。

前任者が二人辞めるので雇われたと知ったのはかなり後。辞めるまでに5日しかなく、その間にどっさりある仕事内容を全て覚えなければならなかったのだ。

更にはすぐ後に入って来た若者に、仕事を指導する立場にも立たされた。普通なら指導される側にいる筈の期日だった。

さすがに大手だなと思うところは多々ある。

労働環境は全くブラックではない。

職種の関係で、土日やゴールデンウィークはおろか盆も正月もない事になったのは仕方ないだろうが、今迄体験してきた会社で常にあったサービス残業は極力撲滅する努力が支払われている。

そして何より生まれて初めての事なのだが、ボーナスや有給休暇というものを体験出来るようだ。

職場は波瀾万丈とも言い得る多くの出来事が満載の状態。

これから先もいろいろなことがあるだろう。

兎に角、何とかひと月という区切りを迎えることが出来た。

正直ほっとしている。

20160309

県営住宅抽選会

暫くブログから遠ざかっていた。
人生最大の危機を迎えてしまったからだ。その危機の内容は書かない。ややこしい上に、少しばかり恥ずかしいと感じているのだ。身内のみっともない姿は見たくなかった。けれど、避けられなかった。

何にしてもその最大の危機から脱出を図らねばならない。

その一環として住居をもっと安い、出来れば公営の住宅に移す事を考えている。

今日は県営住宅の入居抽選会があった。
すべてをこの(正式名称知ってたかな?)新井式回転抽選器に託して、天命を待つ事にした訳だ。

ここに1から100迄の数字が書かれた玉を入れ、右に回し、出た玉の数が小さい順に入居が決まると言う段取りだった。

私たちは、私が身体障害者なので2回、籤を引くことが出来る。

事前にはこれが有利に働く物と思っていたのだが、いざ会場に行ってみると、殆どの人が2回の抽選権を持っていた。
そうした人しか抽選会に応募しないのかも知れない。

最初に3LDKの部屋から抽選会開始。

何と!当たったのは最初に引いた、1回しか抽選権を持っていない人だった。幸運は誰の上に輝くのか分からない。

私たちが応募したのは2LDKの部屋。即入居が2世帯。空き待ちの補欠が7世帯。数は多いのだが、その分応募者数も多く、倍率としては3LDKより高めの3.6倍程度だった。

事前にじゃんけんで順番を決めていたので私が先に新井式回転抽選器を回した。

結果!

99

何と言う事だ。よりによって最低に近い玉を出してしまった。

みゆきさんは63。

かすりもしない外れだった。

ま、応募したのが今回が初めてだった訳でもあるし、そうとんとん拍子に事が進むとは、最初から思っていない。

次回は5月頃になるらしい。何度も応募して、運を引き寄せるしかないだろう。

私より後に回した人の中には100を引き当てた人も居た。

帰り際に役員の人に「頑張って!」と声を掛けられたが、正直言って頑張りようがないのだ。

抽選器の正式名称を知っていたところで何の足しにもなりはしない。