20150207

『魂の脱植民地化とは何か』

出会うべくして出会った本を読むべくして読んだ。読了した時それを感じた。以前から気になっていたのだがようやく読んだ。その意味では満を侍してという言葉が似合うだろう。
深尾葉子さんの著書。叢書・魂の脱植民地化の第1巻として出版されていた『魂の脱植民地化とは何か』である。

この本の前提は、人間の魂は本来自由に、自己の生命をまっとうすべく作動するものであるという確信にある。これを肯定したところから始めないと、人間という存在は魂の植民地状態から永遠に脱却することは不可能であるという結論に導かれてしまう。

そうした人間の本来性。生命には自分自身の存在を十全なものとし、その生命をまっとうする意欲と力が備わっているというテーゼを証明するためにこの本はある。

第1章の冒頭付近に幾つかの用語が定義されている。この概念は魂の植民地状態を理解する上で重要なので、引用しつつ紹介したいと思う。

本来自由であるべき魂は、その成長や存在過程の中でゆがめられ、外界との相互関係の中で、他者の意図によって操作される。そう著者は訴える。

それを「魂が植民地化され」た状態と呼ぶが、それは次のように定義されている。

「魂が植民地化され」た状態:それは他者との相互作用の結果といえるが、それによって自分の内在的な感覚を否定し、他者から押し付けられた視点で自分を見つめ、その結果、その目線を内部にとりこんで自分自身を監督し、行動を律するようになること。

つまり魂の植民地化とは呪縛された状態にある人間とする事が出来るだろう。

ここで言われている呪縛とは

呪縛:自分自身の置かれている状況、自分自身のありかた、についてフィードバックがなく、何ものかにとりつかれたように目の前の変化にのみついてゆく。

と定義されている。

しかし他者に何かを強要されても、あるいは外的規範や支配しようとする意図によって操作されても、必ずしも魂の自立性が損なわれているというわけではない。それによって、自らの感覚へのフィードバックが断たれているかどうかが重要なのだ。

外界と真の自分の間に遮断が敢行され、本来の自己は出口を塞がれている。

つまり魂は蓋をされた状態にあると言える。

ここでは

蓋:自分自身の感覚との接続を部分的に断ち切り、あるいは長期にわたって知覚できないように押さえ込む装置ないし機構

と定義されている。

「蓋」によって魂と分離された、感情の装着と偽装的行為とは、自らの身体だけでなく、他者に対しても加虐的な作用をもたらすと著者は言う。

魂の植民地状態にある者は他者を理解する時、「憑依」によってそれを行うからだ。

憑依:コミュニケーションする相手、あるいは理解しようとする他者の感情になぞらえて自己の中でシミュレートすること。

これは一見有効な他者理解の方法と思えるかも知れない。しかし、真に自らの魂を通わせて、他者との共感を達成しているのではない。
自分自身の魂に蓋をして、偽装的に他者の心の動きをなぞろうとするものであり、その過程にはいくつもの危険が潜んでいる。

そもそも、人間の魂は、他の魂やその人の本来の魂でないものを宿してしまうのだ。その結果、やはり肝心の自己はより厳重に蓋の下に閉じ込められ、その存在に注意を払われることが極めて少なくなり、自分自身の身体の宿り主たる自分自身の魂が存在することすら、ろくに注意を払われなくなる。

以上、本分の引用を主に用いて基本的な概念を説明してみた。

本書はこれらの基本的な概念を用いて、ゼミで出会った学生や研究者の魂の遍歴を丁寧に描き出す。

ここで行われている魂の脱植民地化の作業とは、植民地状態にある自分の魂を自覚し、植民地状態がいかなるメカニズムによって引き起こされたかを分析しつつ、呪縛、蓋、憑依などの概念を使ってそれを具体的に図示し、自らの魂の植民地状態をカミングアウトすること。そしてその行為によって植民地状態からの脱出をはかるという事だったと理解している。

この本の白眉のひとつは、「分かりにくい」「説明不足」と評されることの多かった宮崎駿監督の映画『ハウルの動く城』を魂の脱植民地化プロセスを可視化した作品として見た場合。透徹した一貫性に貫かれ、徹底した描写、完璧なまでのストーリー展開と人物配置で構成された映画として理解出来るかを示した第五章だろう。

そしてもうひとつは東日本大震災によって引き起こされた原発事故とその後の対応が、いかに非人間的なものであったかを分析した第六章にあると思う。

そこでは、「共同体の大義」を共有することこそが「価値」であり、自ら思考し、行動することは「共同体の秩序を乱す」反社会的行為である、という「レッテル」が貼られ、社会全体の多元性が著しく低下し、また状況に応じて柔軟な対応をするという性質が失われ、人々は「大本営」(国家の情報発信の中枢)が出す情報のみに反応し、自らものを考えない、という「集団的思考停止状況」に追い込まれる。さらに恐ろしいのは、こういう「 集団的思考停止状況」を作り出す権力は、おのずと自分の思考も「目的硬直型」となり「状況に応じた」適切なフィードバックの回路を断つ、同じ「集団的思考停止状況」に陥るということである。

この『叢書・魂の脱植民地化』は続々と成果を出しつつある。
しかしその速度以上に今こそ魂の脱植民地化は急がれていると感じた。
私が焦っているからではないと思う。