20151125

『断片的なものの社会学』

不思議な本だ。何一つ主張していない。しかしその文章は、どこか人を捕らえて離さない魅力に満ちている。
岸政彦『断片的なものの社会学』を読んだ。路上のギター弾き、元風俗嬢、元ヤクザ…。様々な人が登場する。様々な人生が語られる。それを丹念に描写している。だがそれらのどれひとつとして、そこに教訓めいた、深い意味を見出すことは出来ない。

著者岸政彦が社会学者としておこなっている個人の生活史の聞きとり調査からこぼれ落ちた、分析からも解釈からも拒絶されたようなエピソードが、ありきたりな、たわいもないものとして語られている。

冒頭付近で子どもの頃の著者の「奇妙な癖」が記されている。路上に転がっている無数の小石のうちひとつを拾い上げ、何十分かうっとりとそれを眺めていたという。

広い地球で、「この」瞬間に「この」場所で「この」私によって拾われた「この」石。そのかけがえのなさと無意味に、いつまでも震えるほど感動していた。

それぞれの人生は、著者が子どもの頃、たまたま手にとってしまった事によって特別なものになった「この」小石のように、たまたま出会ってしまった「この」人生なのだ。

世の中は無意味な欠片の集積から出来ており、私たちもまた意味のない、断片的な欠片の集積である。言っている事をひとことでまとめたらそう言う事になる。だが、それを声高に主張している訳でもない。著者は淡淡とその断片的な欠片を記載している。

それらは誰にも隠されていないが、誰の目にも触れないものとして記されている。


マジョリティとはどんな存在か?
それについて思い巡らせる文章がある。

多数者とは何か、一般市民とは何かということを考えていて、いつも思うのは、それが「大きな構造のなかで、その存在を指し示せない/指し示されないようになっている」ということである。

例えば「在日コリアン」としての経験があるとする。その他方に「日本人」としての経験があるのだろうか?そうでは無い。あるのは

「そもそも民族というものについて何も経験せず、それについて考えることもない」人びとがいるのである。

それについて何も経験せず、何も考えなくてよい人びとが、普通の人びとなのである。


だからこそマジョリティの人生は誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない。

ならばマイノリティが普通になるとは、どの様にして達成出来る事柄なのだろうか?
自分の出身を隠してずっと生きると言う事はそれ自体とても困難な辛いことであろうし、そもそもそれ自体が常に「自分とは誰か」という問いを絶え間なく問いかける契機となることだろう。


もうひとつ、時間についての思い巡らしが、私の印象に残った。

私たちは、時間を意識しない状態を「楽しい」、時間を意識させられる状態を「苦しい」といって表現しているのかもしれない。

はっとした。

私たちは本を読み、音楽を聴いて生きているが、それらの営みの殆どは、時間を潰すこと。つまり時を数える様な生き方から逃れる為に行っている営みなのではないだろうか?

部屋には膨大な数の本が本棚にひしめいており、その横にはこれまた膨大な数のCDが並んでいる。

これらは私が生きている限りに於いて意味を持つが、私の存在がなくなれば、処理に困る単なる無意味なゴミの集積としてしか扱われないだろう。

そもそも、私という存在はそれ程意味のあるものなのだろうか?


本やCDという欠片の集積の中で、私という欠片の集積が生きている。


しかし、そのありきたりさの語りに触れる度に、私たちは胸がかきむしられるような、いとおしさを感じもするのだ。


私たちに許されているのは断片的な欠片の集積の前で、ただ戸惑うことしかないのかも知れない。


私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。そしてその世界にひとつしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである。

20151122

『近代科学再考』

出会うのが2、30年遅かった様に思う。大学に在籍していたときこの本を読んでいたら、もっとのめり込めたかも知れない。
今私は自然科学から少し距離を置いたところで生きている。
それ故、科学と社会の関係やその歴史について、それ程切実な問題意識を持てずにいる。かつてそれと深く関係したことがある分野。現在の私にとって科学とはそうした存在になっている。

しかし、自然科学は私にとって大切な分野である事は変わりがないだろう。
未だ、地質学の発表などを見聞すると、知らず知らずのめり込んでいる自分を発見することがある。私は本当に地質学が好きだったのだと、自覚する瞬間だ。

何故地質学を続けることが出来なかったか。それを語る事はブログではとても手に負えない問題だが、地質学を使って生きて行く事が、原子力発電所の新増設に荷担することとイコールであった事を無視して語る訳には行かない。

原発産業の落とす金は地質学をも飲み込み、活断層の研究や地盤工学などを生業とする地質コンサルタントなどは、その下請けの形で仕事を貰っていた。

その事で随分私は悩みもした。

その事を思い返しても、やはりこの本ともっと早く出会っていたら、と思わざるを得ない。この本には科学が制度となり、そして体制の一翼を担うようになった過程について、そして、日本の大学理学部の歴史が詳しく語られているからだ。

もっと早く出会っていたら、地質学と原発の問題、つまり科学の体制化の問題などを、より広い見地から考えることが出来たかも知れない。


この本、廣重徹『近代科学再考』は彼が近代科学について書いた4つの文章から成っている。

丁度社会に対する学生の叛乱が起きていた'60年代後半から'70年代にかけて書かれた文章を彼の没後にまとめた本だ。

社会に対する異議申し立ては、核兵器や公害などを生んだ自然科学そのものへの批判も含んでおり、それは時に反科学論として噴出したりもしていた時期だ。

廣重徹はそれらの運動に理解を示しつつも、

そこでいっきょに反科学と非合理に身をまかせてしまうのは、科学に未来をまかせてしまった未来学の流行と同じ軽薄さを逆向きに繰り返すことになろう。

と批判している。

'60年代に世界的な科学技術振興ブームがあり、当時の反科学論はそれへの反発という側面があったのだ。

現在はどうか?

ノーベル賞などで日本人の受賞者が出ると、一瞬、科学はニュースになり、耳目を集める。だがかつてあった科学への信仰心は、正直言ってどこにも見られないように思う。子どもや若者は科学に過度の期待を抱かず、理科離れとして静かに科学に背を向けている。

理科系の大学を選択して進学した若者たちは、金の卵のように大切に扱われ、それぞれの分野ごとの閉鎖的な社会に安住してしまい、自分の選択が社会的にどの様な意味を持つのかといった疑問を抱くことなく、過ごしている。

この本に書かれていることの重要性は、一見浮世離れしているように見える科学も、社会的な現象であり、戦争を含めた世の動きとしっかり連携とって発展してきたことを、豊富な実例を挙げて論証しているところにある。

物理学がルーチン化し、新しい学問的視野を開けなくなっていることに対し、

こんにちの科学を規定している社会基盤にまでつき進むするどい批判こそが何よりも必要

とする彼の結語は現代の科学者にとっても、未だ果たせていない課題として突き付けられている。


しかしよく調べられている。

ニュートンは古典力学をほぼ完成させた偉人として認識されているが、彼は彼の万有引力の法則、また、それを含む力学の体系を正当化する上で、それを神の働きに帰している事など、この本を読むまで全く知らなかった事実だ。

彼の考えによれば

神はいたるところに偏在している。空間とは神の感覚中枢にほかならな。神はこの感覚中枢において物体の運動を感知し、それが法則どおりに行われるようにガイドする。この働きが重力なのである。ニュートンはざっとこのような解釈を、たんなる比喩でなく、文字どおりに確信していた。

のだそうだ。


この『近代科学再考』は2008年に文庫化されたが、今はもう絶版になっており、古書で入手するか図書館に頼るしかない。
私は図書館から借りて読んだが、長野の県立・市立両図書館とも在庫がなく、相互貸借制度を利用してやっと手に取ることが出来た。

内容の深さと豊かさ、そして何より必要性を考えると、余りに残念な現実だ。

20151112

『私の1960年代』

山本義隆という人物を語る上で、元東大全共闘代表という貌はやはり外せまい。その山本義隆が60年代をついに語るという。これは読まねばなるまい。
 勢い込んでこの本、山本義隆『私の1960年代』を読んだのだが、軽い肩透かしを食らったような気分に、途中で数回なった。

目当てにしていた68、9年の東大全共闘時代の話が予想より、遙かに少なかったからだ。

全体の1/3程だろうか。

その他は日本の大学制度や科学・科学技術の歴史の記述に当てられている。

彼は現在日本を代表する在野の科学史家であり、駿台予備校講師としての教育者でもある。そのバランスがこうした構成となって現れたのだろうか?と思った。

しかし内容は充実している。

中でもこの本の中に図として紹介されている当時のビラや、補注としてまとめられている若い頃の文章はどれも貴重な史料となっている。

驚くのは、記憶の確かさだ。

もう当時から4、50年が過ぎようとしている。

しかし山本義隆は当時の雰囲気や、重要な会議の様子・発言者・内容・意義などを、この本の中で昨日の事のように明確に語っている。

これは並みの記憶力だけで出来る技では無い。

当時、どれだけ考えながら事に当たっていたのか。そして、当時から現在に至るまで、どれだけこの事を考え続けていたのかを物語る証左だ。

さすがに60年安保は記憶にないが、68、9年は丁度私の思春期が始まる頃のことだった。それだけに私の人生の中でも、当時の運動は動かすことの出来ない、強い影響力を持った出来事として身体に染みついている。

当時、日本だけではなくヨーロッパで、アメリカ合衆国で、学生が反旗を翻していた。

それは一体何故だったのか?いかなる出来事だったのか?

そうした視点からこの本を読んでみると、多くが割かれている大学制度や科学・科学技術の記述も、大きな意味を持ってくる。

それを語らなければ東大闘争そのものの意味を語ることが出来ない事として、社会の大きな歴史があったのだ。


私としては68、9年当時、山本義隆は何を考えていたのかという興味からこの本を手に取ったのだが、そればかりか、どの様な経緯で現在の活動に移行したのかも理解出来た。山本義隆という人物の素顔の一端を知ることが出来たと思っている。

20151110

『帰還兵はなぜ自殺するのか』

この本、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』には、戦争のもうひとつの貌が描かれている。
 兵士たちは英雄になって帰ってきたように見える。しかし目に見える身体的な損傷はなくとも「内部」が崩壊した兵士たちが大勢いる。妻たちは「戦争に行く前はいい人だったのに、帰還後は別人になっていた」と語る。

毎年240人以上の帰還兵が自殺を遂げている。自殺を企てた者はその10倍と言われている。何故帰還兵は自殺し続けるのだろうか。

その具体例がこの本に書かれている。

戦争は敵味方の区別なく、人間を破壊し続けるのだ。

この本はDavid Finkel: Thank you for your serviceの全訳である。

最初原題を読んだとき、意味が分からなかった。何の皮肉か?とすら思った。だが、読み終えて、著者は描かれた兵士は勿論、ベトナム戦争や第2次世界大戦で戦った兵士に対しても慰労と感謝の心を抱いているのだと言う事が分かった。

徹底した三人称で書かれている。その視線は客観的で深い洞察に満ち、鑑賞を排し、メランコリーもアイロニーもなく、著者の意見や展望が差し挟まれることもない。淡々と事実と事実だけを繋げ、人物と彼に顕れた現象に迫ってゆく。

主に登場するのはアダム・シューマン、トーソロ・アイアティ、ニック・デニーノ、マイケル・エモリー、ジェームズ・ドスターの5人の兵士とその家族である。

そのうちのひとりは既に戦死している。生き残った者たちは重い精神的ストレスを負っている。

彼らは爆弾の破裂による後遺症と、敵兵を殺したことによる精神的打撃によって自尊心を失い、悪夢を見、怒りを抑えきれず、眠れず、薬物やアルコールに依存し、鬱病を発症し、自傷行為に走り、ついには自殺を考えるようになる。

そうなったのは自分のせいだと彼らは思っている。

自分が弱くて脆いからだと。

いくら周りから「あなたのせいじゃない。戦争のせいなのだ」と言われても、彼らの自責の念と戦争の記憶は薄れることがない。

これは遠いアメリカ合衆国にのみ顕れている現象ではない。

日本でもイラク戦争支援のため、延べ1万人の自衛隊員が派遣された。
2014年4月16日に放送されたNHK「クローズアップ現代」の「イラク派遣 10年の真実」では、イラクから帰還後に28名の自衛隊員が自殺した事を報じた。

自殺に至らなくても、PTSDによる睡眠障碍、ストレス障碍に苦しむ隊員は、全体の1割から3割にのぼるとされている。

非戦闘地帯にいて、戦闘に直接関わらなかった隊員ですらこの様な影響がでているのである。

そしてまた、この本を読んで感じたことだが、日本ではそうした隊員に対する支援のシステムが出来ているとは言い難い。

私たちは戦争の素顔を、余りに知らない。

『私家版・ユダヤ文化論』

養老さんが推すだけのことはある。そう思った。よく考えられている。どれだけ理解出来たかは甚だ心許ないが、緻密でダイナミックな思考がとんでもない深さで展開されていることは分かった。
ユダヤ人という人びとが存在して、彼らは歴史的にも現実的にも差別されている。このことを私たちは漠然と、当たり前の事のように考えている。

そうなのだろうか?

この本は「ユダヤ人とは誰のことか?」という問いで始まる。

分からないのだ。

そこで著者は本の目的を変更する。

小論において、私がみなさんにご理解願いたいと思っているのは「ユダヤ人というのは日本語の既存の語彙には対応するものが存在しない概念であるということ、そして、この概念を理解するためには、私たち自身を骨がらみにしている民族誌的偏見を部分的に解除することが必要であるということ、この二点である。

ユダヤ人がユダヤ人であるのは、彼を「ユダヤ人である」とみなす人がいるからである。

私たちはユダヤ人の定義としてこの同語反復意外のものを有していない。

ユダヤ人は国民ではない。ユダヤ人は人種ではない。ユダヤ人はユダヤ教徒のことでもない。

サルトルは語る
「ユダヤ人とは他の人びとが『ユダヤ人』だと思っている人間のことである。この単純な真理から出発しなければならない。その点で反ユダヤ主義者に反対して『ユダヤ人を作り出したのは反ユダヤ主義者である』と主張する民主主義者の言い分は正しいのである」

この様にこの本はユダヤ人とは誰のことかという問いは回答不能であるということの記述から始まり、見事な文化論になっている。

その中でも、人間は不正をなしたがゆえに有責であるのではない。人間は不正を犯すより先にすでに不正について有責なのである。というレヴィナスの「アナクロニズム」の考え方を元に展開される考察はフロイトの「原父殺害」のシナリオに付きまとう不自然感に見事に答えている。

ユダヤ人とは?という問いは、「人間が底知れず愚鈍で邪悪になることがある」のはどういう場合かという問いにも置き換えることが出来るのだろう。

『九月、東京の路上で』

1923年9月1日(土)午前11時58分、神奈川・相模湾から房総半島南端にかけての一帯を震源とする、M7.9の地震が、関東地方を襲った。関東大震災である。

この関東大震災は地震による直接の被害の他に、地震直後に発生した火災による被害が甚大であった。

しかし、忘れてはならないことに、被害に更に凄惨な相を与えたのが、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を投げている」などの流言飛語が飛び交い、その噂を真に受けた人びとが、刃物や竹槍などで行った朝鮮人(更には中国人)の無差別虐殺だった。
 この本、『九月、東京の路上で─1923年関東大震災ジェノサイドの残響』は、丹念に史料を集め、広く、深く史料を読み込むことで関東大震災当時起きたジェノサイドを限りなくリアルに再現した良書だと思う。

この本は、惨劇を網羅的に記述し、解説するものではない。当時の具体的な事実を、記載し、どこでどの様な事件があったかを追っている。

しかし、大切な事はこの本は危機意識によって書かれているということだ。

関東大震災から90年経つ現在も、在特会などの民族差別主義者団体がヘイトスピーチを繰り返す事件が度々起き続けている。

この本のまえがきと最終章で、ヘイトスピーチや石原元東京都知事の「三国人発言」などの現在の状況に触れており、かつての出来事がまさに修辞学的な意味でなく、現実のものとして過去の出来事ではないことを指摘している。

私たちは関東大震災に伴うジェノサイドは、当時の社会状況に触発された、特殊な過去の出来事であると思いたがる。

だが、現在進行している出来事は、現在そのものが民族差別主義者たちが闊歩する状況にあり、一旦事あればかつての出来事が、即、繰り返されても何の不思議もない状況である事を示している。

過去は地繋がりで現在につながっている。

作者の危機意識はここにある。

「不逞朝鮮人 」の文字を彼らのプラカードに見つけたとき、私は1923年関東大震災時の朝鮮人虐殺を思い出してぞっとした。レイシストたちの「殺せ」という叫びは、90年前に東京の路上に響いていた「殺せ」という叫びと共鳴している─。

また、関東大震災におけるジェノサイドの場面では、警察などがむしろ積極的に朝鮮人に関する流言飛語を拡散させていたことを、この本は強調している。

権力の関わり方が、「流言飛語」にリアリティーを与えてしまうことを強調しているのもこの本の特色のひとつとしてあげられる 。

権威を持つ警察や新聞が、流言飛語に補償を与えていたのだ。

震災による混乱の最中、最初は飛び交う流言飛語に半信半疑だった者たちの中には、この事によって、流言飛語にリアリティーを感じ、信じ込んでしまった者も多かっただろう。

惨劇を再び繰り返してはならない。
その為には過去の歴史を、丹念に読み解き、その意味を身体に刻み込む作業が必要だろう。
その目的のためにこの本は、良質の入り口となっている。

『「対米従属」という宿痾』

随分読んだ本を溜め込んでしまった。大急ぎで感想をまとめておきたい。


ガバン・マコーマック/乗松聡子『沖縄の〈怒〉』の第5章は「鳩山の乱」と題されており、鳩山由紀夫が総理大臣として、対米従属とその既得権益に対して挑戦し、挫折した経過を追っている。本書『「対米従属」という宿痾』を、私はその章を保管する史料として読んだ。
この本は鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀という、合衆国に反旗を翻し、多かれ少なかれ潰しにあった3者の鼎談である。

当然「一方の側」からの陳述となる。

その一方の側というのは主に、首相の座を追われた鳩山由紀夫の立場からと言う事になるだろう。

それでも、一定の資料的価値はある。

主に普天間移設の失敗で、総理の座を追われた鳩山由紀夫だが、 その真相とはどの様なものであったのか。彼が目指していたものは何だったのかなどが本人の口から語られており、それを知る事が出来たことは価値があったと思っている。

鳩山由紀夫は植草一秀の「米、官、業、政、電」の癒着という観点を採り上げ、これらの癒着の原点は
畢竟、「日本は戦争に負けた」という事実を粉飾しようとしているところからきている
と述懐する。

そして、
戦争に負けたにも関わらず、アメリカのおかげで(より正確に言うならば戦後直後の朝鮮戦争と6、70年代のベトナム戦争による特需)、すぐに経済大国への道を歩むことが出来たために、卑屈なまでの劣等感から、アメリカへの従属心がうまれ、一方ではその反作用の形で、中国、韓国などのアジア諸国に対する優越感を生み、かこの歴史に関するこじつけや粉飾が行われた

としている。この分析は定説になっていると言っても良いだろう。

鳩山由紀夫という人物の評価は別として、この本には「巻末資料」として、幾つかの文献が収録されているが、ここにはかなり重要な記載が含まれていると感じた。重要な史料である。

それだけでもこの本は意外と重要な文献と言えるのではないだろうか。

20151102

『沖縄の〈怒〉』

この本、ガバン・マコーマック/乗松聡子の『沖縄の〈怒〉』はResistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United Statesの日本語版(邦訳ではない)として2013年初頭に出版されている。従って、記述されているのは2012年迄の事柄だ。
それ以降の事柄に関しては、まだ記憶に新しい。その為沖縄の現代史をこの本と記憶、ファイルしてある史料などから辛うじて切れ目なしに概観することが出来た。

幸運なことだったと思う。これ以上遅く、この本と出会っていたら「すき間」を埋めるのにかなり苦労したかも知れない。

前半を読んでいて、何とも苦しい気分に襲われた。私たちは沖縄に対して、何というひどい仕打ちをして来たのだろうか。そして、しているのだろうか。

1609年の薩摩藩の侵攻とその後の「琉球処分」も沖縄人の独立性を徹底的に破壊したが、何と言っても第2次世界大戦時の皇民化政策、そして沖縄戦の「最も血みどろの」戦争。それも沖縄人を守るのではなく、本土への侵攻を少しでも遅らせる為だけに、沖縄の人口の1/3を犠牲にした戦争は、文字通り沖縄を「捨て石」とするものだった。

戦後もひどかった。
本土にとっての「主権回復」の日1952年4月28日は、沖縄では日本から切り離され、合衆国の占領下に捨て置かれた「屈辱の日」として深く心に刻まれた。

それ以降、合衆国の戦争に、日常的に巻き込まれ続けている。

この本はそれらの歴史を丹念に追っている。

しかしこの本の中核はその歴史の記述にあるのではないという。

沖縄の歴史の主役は、それを記述する者ではなく、歴史を動かす人びとであるとしている。

第9章ではその中から

与那嶺路代
安次嶺雪音
宮城康博
知念ウシ
金城実
吉田健正
大田昌秀
浦島悦子

の8名を代表させ、声と主張を載せている。

この8人の声と主張はこの本の中核を成すものである。

という。

この章の前段として、それ迄の章の記述があるという構成なのだ。


私たちにとって、沖縄と向き合うという事は、どういった心構えを必要とするのだろうか?

無関心である事が、最も罪深いだろう。

賛成反対を別にして、私たちは現実として日米安全保障条約を受け容れている。

しかし、それに伴う基地の殆どは(全部ではない。これも大切な認識だ)沖縄に押し付けている。

その基地との軋轢は、沖縄の日常を破壊している。

無関心である事はその犠牲の上にどっかりと坐り込むような行為だ。

余りにひどい。

繰り返しになるが、私たちは沖縄に対して、余りにひどい仕打ちをして来たし、し続けている。そのことを思う度に心は萎える。

だがこれで打ちひしがれている事は、沖縄の人びとの不屈の戦いを踏みにじる行為だ。

「敵」は余りにも強大で無慈悲だ。だが、大切な事は決して諦めないことだろう。

もし、自分に誇りがあるのなら、誇りを持ちたいのであるのなら、一刻も早く立ち上がった方が良い。

この本はその為の、重要な展望を私たちに与えてくれるだろう。

20151019

『ハンナ・アーレント講義』

結局、解題を4回、本文を3回読んだ。
本書ジュリア・クリステヴァ『ハンナ・アーレント講義─新しい世界のために』はJulia Kristeva, Hannah Arendt: Life is a Narrativeの全訳である。
本文はクリスティヴァがトロント大学の「アレクザンダー・レクチャーズ」に招かれておこなった連続講義である。

敢えて「新しい世界のために」という副題に変えたのは、誤解や無理解を防ぐと共に、アーレントの「生(life)」という概念の内実をどう受け止めるかを示すためであるという。

聴衆が恐らく専門家ばかりだったせいだろうが、記述がいきなりかなり高いレベルから始まっており、ついて行くのにかなり難渋した。特に第4章は未だに理解出来ているとは言い難い。だが、未消化ながらハンナ・アーレントの『人間の条件』を読んでおいた事が功を奏した。 3回目でようやくクリステヴァの連続講義の内容も頭に残るようになったのだ。

そうでなかったらこの本はクリステヴァの講義の訳の体裁を採っているが、読むべきは訳者青木隆嘉の書いた解題であると結論していたかも知れない。

3回読み直して、やっとクリステヴァの講義もまた見事なものである事を咀嚼出来た。

クリステヴァはアーレントの哲学の〈生〉の概念が〈活動〉を意味することを明らかにし、その〈生〉が〈語ること〉と切り離すができない存在である事。つまり両者は〈思考〉に於いて結晶するという、アーレントの思想の根幹をリアルな語り口で表現している。

また歴史の基本構造を構成するものを「約束と赦し」の内に見出して、それを「判断(裁き)」との関連に於いて論じている。

さらにクリステヴァはアーレントに見出される矛盾や問題点も的確な手さばきで指摘し、独自の見地から真っ直ぐな批判を加えている。


最初に読んだ時はクリステヴァの講義の内容が全く分からず、添えられた「解題」の見事さだけが頭に残った。この「解題」はそれ自体がハンナ・アーレントの思想の構造・構図を的確に描き出している。

この「解題」さえ読めば、この本を読む意義があったとすら思えた。その思いは未だ否定出来ないが、講義の内容がおぼろげながらつかめてくると、両者が共鳴し合って響いてくるのをやっと感じることが出来る。

確かにこの本はクリステヴァの講義と「解題」が奏でる、妙なる協奏曲だ。

20151013

『身体巡礼』

ハプスブルク家の一員が亡くなると、心臓を特別に取り出して、銀の器に入れ、ウィーンのアウグスティーン教会のロレット礼拝堂に収める。心臓以外の臓器は銅の容器に入れ、シュテファン大聖堂の地下に置く。残りの遺体は青銅や錫の棺に入れ、フランシスコ派のひとつ、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置く。つまり遺体は三箇所に分かれて埋葬される。
なんとも奇妙な埋葬法と思える。
だがあちらにしてみれば火葬なんぞ、相当に残酷な埋葬法だと思うだろう。何しろ最後の審判の時、戻るべき身体を焼いてしまうのだ 。

話はここから始まる。
養老孟司の『身体巡礼─ドイツ・オーストリア・チェコ編』だ。

養老孟司さんには、解剖学を教わったことがある。当時は全く有名ではなかった。

本を数冊書いていたが、それ程売れているとは思えなかった。

その頃の本は毎回こうして始まっていた。

こうしてと言うのは、死体なり虫なり具体的なモノの話がまずあり、そこから独自の視点が展開されるという書き方の事だ。

売れるようになっていきなりの人生論になった。

こうした内容なのならば、他にも書ける人は沢山いるだろう。

養老孟司という個性が死んでしまうようで、私としては悲しいと言うか、残念だった。

今回はいきなり死体の埋葬法の話だ。

こうでなくちゃいけない。

しかも養老孟司の興味はその埋葬法に留まらず、誰がやったのかという方向にすぐ向かう。

普通、奇妙に思える儀式はその奇妙さを描いて少し遊ぶ。その遊びがない。ますますこうでなくちゃいけないの思いが増す。

ここからヨーロッパの心臓信仰の話が深まってゆくのだ。


明治時代以降。日本は欧米を目標に頑張ってきた。なのでヨーロッパのことは何となく詳しく知っているように感じている。
けれどこのような埋葬法や心臓信仰の話を知るとなかなか知らないヨーロッパがまた見えてくる。

さらにユダヤ人への関心に話が飛ぶ。

ユダヤ人とは誰のことか。
実はそれ程簡単な話ではない。単純な見方は出来ない。

出来ないが差別はある。どうしたらそれが可能なのか。その辺りのことが日本人には実は見えていない。

ヨーロッパではそれが目に見える形で現れている。

例えば墓の位置など、明瞭にユダヤ人は差別されている。

しかもユダヤ人は墓を壊さないから窪地に膨大な数の墓が累重してしまう。

異様な光景だ。

その異様さは外国人の方が感じることが出来るのかも知れない。

かくしてヨーロッパの埋葬法から様々な世界が見えてくる。

久し振りに解剖学者養老孟司の本を読んだ気がする。やはり面白い。

続編もあるそうだ。

楽しみだ。

20151009

「小さな町」のハイデッガー兄弟

良書を読んだ。
ハンス・ディーター・ツィンマーマン『マルティンとフリッツ・ハイデッガー─哲学とカーニヴァル』だ。

この本に描かれているのはドイツ南西部の「小さな町」メスキルヒだ。

ここはこの本の舞台であり、主人公とも言える。つまりこの本はハイデガー兄弟を通して描かれたメスキルヒという町の社会史・文化史の本として読まれるべきものとすら言えるのではないかと感じた。

この小さな町で哲学者マルティン・ハイデッガーと銀行員フリッツ・ハイデッガーは生まれた。一方は世界的に知られた20世紀の大哲学者であり、一方は「小さな町」の名士としてのみ生きる事を運命付けられた一市民である。

しかし、著者の視点は何よりもその「一市民」フリッツ・ハイデッガーに暖かく注がれている。

彼は兄マルティン・ハイデッガーと比べても遜色のない才覚と能力を持っていた。そのように著者は考えている。

フリッツは重い吃音という障碍を抱えていた。その障壁が彼をしてフライブルグの大学への進路を諦めさせる原因だった。

フリッツがマルティンの有能な秘書として在ったという事実からも推察出来るが、何よりも彼の才能が花開くのはカーニヴァルの前口上を語る時だった。

そのユーモアと諧謔に富んだ前口上は1934年に始まり最後は1949年だった

彼が語りはじめると、その口上とともに、メスキルヒのカーニヴァルは最高潮に達した。
フリッツ・ハイデッガーはメスキルヒでは常に兄よりも有名だったのだ。

更に重要な局面で弟は兄よりも賢明な選択を果たしてもいる。

1933年ナチスが権力を握ると、兄マルティン・ハイデッガーは5月1日に早くも入党を果たした。他方フリッツは、友人であるメスキルヒの牧師から迫られながらも入党を拒否していた。1942年になってやむなく彼も入党するのだがその理由も「息子たちの将来を懸念して」というものだった。
しかも彼は半年後にはふたたび離党させられている羽目になる。彼がヒトラー式敬礼をする際に、右の手と腕を高々と真っ直ぐにのばしていなかったこと、右腕をせいぜいズボンのポケットの高さまでしか挙げず、ただ人差指しかのばさなかったことによるらしい。彼はあくまでも本気ではなかったのだ。

兄マルティン・ハイデッガーは故郷を捨て世界に羽ばたいたが、弟フリッツ・ハイデッガーは生涯故郷に縛られた。そのような単純な見方を著者はしていない。

むしろこの兄弟は終始故郷であるメスキルヒという「小さな町」を離れることがなかったと考えている。

その事はマルティン・ハイデッガーが晩年、捨て去っていたかのようだった神学にふたたび帰ってきたことにも示されている。

この本は27の短い章を積み重ねるように構成されている。この書き方は読むに当たって大変効果を上げていると思えた。何よりもその事によってかなり読みやすい本になっている。
マルティン・ハイデッガーの哲学を解説している箇所で、その読みやすさをとりわけ強く感じた。


この本のひとつの章はハンナ・アーレントに割かれている。そればかりか、その他にも何カ所も彼女は登場してきた。その度に心躍らされる思いをしていた。

20150813

『属国』

特別に新しいことを言っている訳ではない。
タイトルの「属国(Client State)」は70〜80年代に掛けて政権の中枢にあった後藤田正晴の2003年の発言から採ったものであるし、副題のAmerican Embraceはジョン・ダワーの有名な著作『敗北を抱きしめて』を引いている。

2008年の作品だ。その後日本は大きな変革の渦(またはその予感)に巻き込まれた。

古びてしまっている記述や、予測が現実との食い違いを見せている部分も多く見られる。

だが作品としては全く古びていない。当時の状況下でここまで出来るのかと感心する程、現在の日本及び日本を取り巻く状況を見事に予言している箇所に満ちている。

その為この本を読むことで腑に落ちる物事の多さに驚かされる。

ガバン・マコーマックの『属国─米国の抱擁とアジアでの孤立』だ。


この本では当時まだ生々しい記憶だった小泉純一郎の評価と批判にかなりの紙面が割かれている。

自民党をぶっ壊すと勇ましいかけ声と共に時代を作った小泉内閣だったが、彼がやったことはそのかけ声に値する変革だったのだろうか?

彼は郵政改革を旗印に選挙を戦ったが、その郵政改革とはそれ程迄に当時の日本に於いて重要な課題だったのだろうか?

むしろそれを重要視していたのは保険事業で日本への参入を狙っていたアメリカだったのではないか?

つまり小泉純一郎はアメリカの要求を第一に考え、それに応えるべくして多様なパフォーマンスを繰り広げていたのではないだろうか。

そしてそれ故に日本というアイデンティティを保つべく、ナショナリズムを前面に打ち出す必要性も感じていた筈だ。

だからこそ靖国への参拝にあれ程こだわったのだ。

かたや神道の価値観を守るナショナリストを演じ、かたやワシントンを喜ばせ忠誠を尽くしたいと熱望する指導者の下、日本のアイデンティティはひき裂かれてずたずたになっている。
日本はアジアに属する国であることは間違いないだろう。しかし、アジアに於いて特別な優れた国であるという偏見に毒された指導者は(そして国民は)アジアの国であるよりもアメリカに属する国であることを選択してしまっている。
 日本は大嵐に翻弄されたような20世紀の体験から、世界の超大国と同盟した時にもっともうまくゆくという教訓を得た。─同盟相手は最初の20年間が英国で、最後の50年間は米国だ。こうした同盟を結んでいるあいだ日本は安全と繁栄を享受したが、その谷間になった30年間は外交的に孤立し、結局戦争と荒廃が日本にもたらされた。したがって日本としてはコストがいかにかかろうとも国際的孤立だけは避けなければならない。だからこそ、世界に君臨する帝国に補助金を支払っても、日本にとってそれは十分採算にあう─こうした考えが日本人の安全保障観の深層にまで根を下ろし、冷戦が終わって安全保障をめぐる状況が本質的に変化しても、日米関係を再検証するなど、論外であった。
この様に日本が米国の属国であるという「色眼鏡」を掛けることによって、数多くの現象が説明可能になる。

多くの国民が反対し、地元沖縄からは強烈な拒否に出会っても、辺野古に基地を作ることを頑として変更しないのは何故なのか?

またこれも多くの国民の反対を押して、何故原子力発電所にこだわり続けるのか?

更に何故、憲法の改正にあくまでも固執し続けるのか?

これらは恰も皆日本国内の問題であり、それを推し進める原動力は日本の中のナショナリズムであるかのように語られる。

だがこの本の中でこれらは全て米国の要求である事が明らかにされる。

こうした「改正」は自主憲法を制定して1946年の「米国」モデルを「日本」モデルに変更することだとよく言われるが、そのじつ自民党の憲法草案には、米政府の利益と要求が1946年に負けず劣らず反映されている。したがって、自主憲法制定は外国政府の指示に従って外国の利益のために行われるものであり、また国民の権利を制限し国家権力を強めるという点で例のない改正案である。

この本の末尾に今日我々に求められているものは何かが示されている。

地球を救うことである。

その為にこそ日本人の想像力、知恵、寛大さなどを最大限に「動員」すべきなのではないだろうか?

20150619

『原子・原子核・原子力』

著者の頭脳が恐ろしいほどに知的に整理されているのだろう。久し振りに自分の頭の中がすっきりと整理されてゆく快感を味わった。
山本義隆氏の最新刊『原子・原子核・原子力─わたしが講義で伝えたかったこと』だ。

この本は著者が務めている駿台予備校の千葉校で2013年3月、高校生、受験生、そして大学入学が決まった学生を対象に行った特別講義「原子・原子核・原子力」が元になっている。

高校卒業程度を相手にした本だと言うことで甘く見ていると痛い目に遭う。

数式がこれでもかとばかりに出て来るからだ。

しかし、それに恐れを成す必要もまたない。多くの数式が出て来るのは、実は丁寧に式を展開する段階から書かれているからだ。逃げずにひとつひとつ追ってゆけば確実に理解出来るように書かれている。

アリストテレスに迄遡って物質の物理学の歴史が描かれている。

著者の科学史に対する姿勢は実に謙虚だ。この辺りの学識の深さが現代物理学までの理解を体系的に押さえることを可能にしている。

19世紀に入って放射線の発見によって激変した化学・物理の世界を理解するためにニュートン力学に立ち戻る姿勢などにその懐の深さは表れている。平行して理解してゆくと、確かに分かり易いのだ。

私の原子物理の知識は主に受験対策で培われ、その後原発問題を理解するために様々な本を読んだ。その為かなり知識が雑多な物になっていたが、この本を理解する中で、それらの知識が互いに繋がりを持って体系的なものになってゆくのを感じた。


また著者は最新の問題に関しても従来の知識から提言を行っている。

放射線の光子性を述べる箇所。

「放射線が弱い」と言うことは、放射線の数が少ないということですが、しかしいくら「弱く」てもひとつひとつの放射線がきわめて大きなエネルギーをもっていることに変わりはありません。したがって「弱い放射線」であれ、危険性が0になることはありません。このことが、放射線の危険性について閾値がない、つまり強さがその値以下なら安全という値がない、ということの根拠と思われます。

この指摘は正しいと私には思えた。


知らなかった事実も多く書かれている。

しばしば核分裂はオットー・ハーンによって発見されたとされるが、ハーンはウランに中性子をぶつけたらバリウムが出てきたことを見出しただけで、それを核分裂と見抜いたのはリーゼ・マイトナーだと言う。

発見とはある事をただ目撃する事ではなく、あることをこれまで知られていなかったあることとして理解すること

この意味では実際の核分裂の発見者はリーゼ・マイトナーと言う事になるのだろう。

オットー・ハーンは核分裂の発見者としてノーベル賞を受賞しているが、リーゼ・マイトナーは貰えず、「ドイツのキュリー」となり損ねた。

何故もらえなかったのだろうか?リーゼ・マイトナーが女性だったからだろうか?


この本は原子物理学の教科書としても優れているが、真骨頂は原爆そして原発について語っているところにあるのだろう。

しばしば聞かれるリスクは何にでもあるという論法に対して著者は述べている。

どのような技術でも完全ではありえないから、事故の可能性はゼロではありません。航空機でも墜落の確率はゼロではありません。人は、飛行機に乗るとき、事故のリスク(危険性)がゼロではないにしても、そのことによって速く目的地に行けるというベネフィット(利得)を優先して搭乗を判断しているのです。しかしその議論はリスクとベネフィットの受け手が同一人物であることを前提としています。少なくとも万が一の事故による危険の及ぶ範囲がその技術の恩恵を蒙っている受益者とその周辺に限られる場合でなければ、このような議論は成り立ちません。

更に著者は原発の核のごみの問題や、ウラン鉱採掘に伴うリスクを論じている。

原発は長く見積もっても100年のエネルギー源。それに対し数100万年の核のごみの補完が必要とする。非合理きわまりない。

原発は理系の目を以てしても、非合理的で反倫理的な存在である事が分かりやすく解かれている。

原発の過酷事故を経験した現在の私たちが必要とする知識や考え方を、過不足無く極めて美しいまでに整理された形で網羅した本だと思う。

20150529

『香港バリケード』

2014年9月26日。香港の若者たちは中華人民共和国に対して立ち上がった。
只、普通の選挙を求める運動だった。中心となっていた学生たちは皆、非暴力を示すために両手を挙げて運動していた。
それに対し、警察は28日から何度も催涙スプレーや胡椒スプレーを使用し、武器を持たない一般市民を「鎮圧」しようとした。
警察側は1日で計87発の催涙弾が使用されたと公表している。
この動きを私は主にTVで「怖々と」見詰めていた。

やはり1989年の「六四天安門事件」の記憶が未だに鮮明なのだ。あの時のような「事件」が起きることだけは避けて欲しかった。

若者たちは催涙スプレーや胡椒スプレーを避ける為に雨傘を差し、ゴーグルやマスクを付け、レインコートを着て身を守った。

その姿に雨傘革命"Umbrella Revolution"の名称を与えたのはイギリスのインデペンデントの記事が最初だった。

その呼称はすぐに世界中に広まることとなった。
Wikipediaなどでは、この運動は現在進行形の扱いをされている。異論はない。

その雨傘革命の本が出ると聞いて、矢も盾も溜まらずすぐに取り寄せた。NEWSなどではつかめなかった事が、この本にはぎっしりと詰まっていた。

主要な著者である遠藤誉は物理学者らしい、徹底した論理的で実証的な筆致で、様々な背景や情報を調べ上げ、中華人民共和国の圧倒的な力と人類の運命を左右するその深刻な危機とを描き出している。

何よりも香港という場所がどの様なところであるのかが詳しく示されていたので、この運動の特殊性をやっと私は理解することが出来た。

それを説明するために遠藤はアヘン戦争迄遡って解説している。

香港はアヘン戦争によってイギリスのものとなったが、それが1997年7月1日中華人民共和国に返還される。

この時鉄の女サッチャーは鋼の意志を持つ男鄧小平に、事実上「ひれ伏して」いる。

この時の共同声明が今回の雨傘革命に「仕組まれて」いる。

香港が返還されるとき一国二制度が用意されたがその期間は50年。長いように感じるが、大陸の時間感覚からすれば一瞬と言っても過言ではない。

しかもその50年の間に徐々に一制度に変わるのか、50年後一気に変わるのかは中華人民共和国の出方次第だ。

今回、選挙の方法を巡って、中華人民共和国は一国二制度の一国の方を表に出してきた。

事実上中国寄りの人物しか選ばれないような制度を押し付けてきたのだ。

元々香港には中華人民共和国の圧政から逃げて来た者たちが多く住む。またどこかに逃げるだろう。誰もがそう予想した。

しかし、香港新世代は新しいメンタリティを獲得していた。

「僕はこの香港を変える。この運動が20年後の香港になる。僕たちは逃げない。ここに踏み止まって、香港人として生きる!」
香港新世代は初めて登場した「香港人」なのだ。彼らは既にどこかに逃げれば済むという感性を持った「難民」ではなく香港を「生まれ育った家」だと認識している。だから中華人民共和国に立ち向かったのだ。


この本は2部構成になっている。

本の過半を占める序章と第1部を遠藤誉が担当し、残りを深尾葉子と安冨歩のグループが担当している。このグループにはジャーナリストの刈部謙一氏、獨協大学の学部生の伯川星矢氏が参加している。

独立した章立てになっているが、著者等は本を作る中で綿密にコミュニケーションを取っていたらしい。


今回の雨傘革命は台湾にも大きな影響を与えた。つまりこの運動は香港に閉じる性格は持っていないと言えるだろう。
つまり雨傘革命は広くアジアに向かって拡がってゆく戦いであり、それは終わったのではなく、始まったところであると言えるのではないだろうか。

雨傘革命は日本では少なくともこの本を産んだ。
熱い、本だ。
それだけ熱い運動なのだろう。

20150508

『貧困襲来』

今迄の人生の中で金に縁があった例しがない。

学生時代は明確に私は住む部屋のあるホームレスだと実感していた。貧困はいつもすぐ脇にあった。けれど運が良いのだろうか、抜け出そうにも抜け出せないとされる貧困状態には辛うじて陥ることなく生きてきた。
けれどこのままでは近い将来確実に貧困に陥るだろう。全く人事ではなくこの本、湯浅誠の『貧困襲来』を手にした。

ゲラを読んだという方の「読み進めながら、驚き、悲しみ、怒り、憤り、恐怖を順番に感じました。」という言葉は実感だろう。だが、私はこの時期にこの本に巡り会えて、良かったと思っている。まだ間に合うという気持ちにさせてくれたからだ。なので感想の最後に僅かだが希望も感じたと付け加えたい。

本の中に繰り返し「溜め」という言葉が出て来る。当事者が浸かっている外からの衝撃を吸収する働きをしたり、エネルギー源として機能したりするものをそう呼んでいる。
貧困と単なる貧乏を区別するのはこの「溜め」のあるなしだという。私には何だかんだ言ってもこの「溜め」があったのだろう。

この本が書かれた2007年当時は、書かれ方で分かるように貧困は十分周知された事柄ではなかったようだ。だが現在TV等で貧困の文字を目にしない日は少ない。それだけ周知されてきたのでもあり、周知されざるを得ない程、貧困が広範になり、深刻化していると言う事でもあると思う。

貧困はまさに社会問題として存在感を増している。貧困には五重の排除が成されているとされている。

1.教育課程からの排除
2.企業福祉からの排除
3.家族福祉からの排除
4.公的福祉からの排除
5.自分自身からの排除

頷ける。

にも拘わらず未だに自己責任論は根強い。その論調に乗る形で、これからはどしどし公的福祉は切り捨てられてゆくのだろう。

だからまずこれをいかにして無化してゆくかが生き方の技法として必要になってくる。

それを含んでこの本の最後には10の提案が成されている。

1.自己責任論とオサラバする
2.自分を排除しない
3.疑ってみる
4.調べる、相談する
5.計算する
6.ぼやく
7.はじける
8.つながる、群れる
9.攻める
10.変える

これらが簡単に出来る人間ならば、そもそも貧困には陥っていないとも言える。だが、簡単でなくてもやってみる価値は十分にある。出来なかったら。次は出来るようにするだけだ。その時の為に「もやい」のホームページをリンクに加えた。

20150418

『さらば、愛の言葉よ』

無意味なことをして来たのかも知れない。
しかし、私はそう思ってはいない。

日本最古の映画館と言われる長野相生座・ロキシーのプレミアム会員になっている。
会員券の更新があった。

どうせ行くのなら1本くらい映画を観てきたい。

で、選んだのがジャン=リュック・ゴダール監督の最新作『さらば、愛の言葉よ』だった。
ゴダールが3Dに挑戦した映画だと言うことだけは知っていた。だが、さすがに日本最古の映画館では2Dでしか上映していなかった。

この映画を2Dで観ることは殆ど意味がない。帰ってきて様々なサイトで評論を読むと軒並みそう書いてある。

つまりゴダール監督がこの映画で何をやりたかったかと言うと3Dの常識を覆すことだという辺りで見解はまとまっていたのだ。

異議は別にない。

娯楽の最終兵器のように扱われている3D映画を解体したい。そうした意気込みは2Dで観ても十分に伝わってきた。


恐ろしく引用が多用されている。

台詞だけでもフローベールの『感情教育』に始まり、ドストエフスキー、レヴィナス、サルトル、ボルヘス、リルケに、ジャック・デリダ。ハワード・ホークスに、フリッツ・ラング等々。それに加えて音楽もスラブ行進曲やベートーヴェンの第7などが繰り返し立ち現れては途切れる。

それに加えて斬新な映像がこれまた立ち現れては途切れる。

つまりこの映画は全体がコラージュなのだ。

そして3Dに加えて多重露出の映像も入る。

映画は2部構成になっており、それぞれよく似た容姿の女と男が出会い、すれ違い、ぶつかり合う。

よく似た二組の男女のよく似た物語。

つまりそこに主題があるように、私には思えた。


3Dが殆ど同じ画面の視差差を利用して画面を立体的に見せるのと同じように、この映画では殆ど同じ男女(そして犬)の物語の僅かなずれを見せる事によって、物語そのものを「立体的に」構成しようとしているのではないだろうか?

それは3Dを解体することによって得られる豪華な遊びだ。

その意味でこの映画を3Dで観ることが出来なかったのはくれぐれも残念だった。監督の施した遊びが殆ど味わえなかったからだ。
だが、2Dだったから気付けた主題だったようにも思えるのだ。

原題は"ADIEU AU LANGAGE"

直訳すると『さらば、言葉』という事になるのだろうか?

それにしてはコラージュされている言葉は豊潤だった。それを追っていると何も理解出来ずに映画を見終えてしまうことになりかねないのだが。

83歳になるジャン=リュック・ゴダール監督の若々しい意欲作だと思う。この映画を残して下さった事に最大級の賛辞を送りたい。

20150415

『サイコパス・インサイド』

この本も都合3回読み直す事になった。

私は心理の専門家でもなく、脳科学に従事している訳でも無い。門外漢だ。なので友人の臨床心理士にこの本を紹介し、専門家から見たらこの本はどう映るかを確認してから感想を述べようと狡いことを考えていたのだ。
そのうちに時間が経って本の記憶も薄れ、再読したのだが、図書館で借りていたため予約が入り、2度目は途中で中断せざるを得なくなった。

そして今回3度目の再読となった。

最初前回読んだところから読み直せば良いだろうと思っていたのだが、内容をすっかり忘れていたため、最初からの再読となった。

それで良かったと思う。読んだ記憶はあるものの、前回読んだ内容は全くと言って良いほど頭に入っておらず、実に新鮮な気持ちで読み進めることが出来た。それに、3度目でようやく脳科学や解剖学用語が頭に入ってきたのだ。やっと理解したのだと思う。

サイコパスの定義は未だ確立されていない。だが「芸術作品」のようにそれを語ることは出来る。

定義できない。だがそれと分かる。

多くの人びとはサイコパスとして『羊たちの沈黙』のレクター教授を思い浮かべるだろう。

特徴は対人関係における共感性の欠如である。

ある日神経科学者である著者は大量の脳スキャン画像の中に奇妙な特徴を持つ画像を見いだす。それはサイコパスに特徴的な脳の部分的な領域における機能低下を示していた。そして次により驚くべき事実に遭遇する。その脳スキャン画像は著者自身のものだったのだ。

サイコパスの専門家自身がサイコパスの脳を持っていた。

この衝撃的な事実からこの本の物語は始まる。
眼窩皮質(目の上あたり)と扁桃体周囲の活動低下がよく分かる。

しかし著者はさほど動じなかった。彼は自分はサイコパスではないという確固たる自信があったのだ。

著者は人殺しや危険な犯罪を犯したことなどなかったし、それどころか科学者として成功し、幸せな結婚生活を送り、3人の子宝にも恵まれていたのである。

この事実は著者の科学的信念を大きく動揺させる。

サイコパスがサイコパスとして存在する条件とは何か?

それを探求し始めた頃、母から次なる衝撃的な事実を聞かされることになる。

父方の家系に数多くの殺人者が存在し、そのいずれもが近親者を殺害した疑いがあるという事実だった。

彼は遺伝的にも犯罪者の家系に属していたのだ。

著者は「三脚スツール」という名の理論を確立していく。サイコパスの要因となる3本の脚とは、
①前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機 能低下
②いくつかの遺伝子のハイリスクな変異体
③幼少期早期の精神的、身体的、あるいは性的虐待、異常
である。それは著者自身の人生との間にも、十分 に折り合いを付けられるものであった。

この研究成果発表に乗じたカミングアウトもまた、パンドラの箱を開ける行為であった。ある日講演前の打ち合わせにおいて、同席した医師から双極性障害を患っているのではないかという指摘を受けるのだ。

この瞬間、彼の人生で起こってきた出来事、喘息、アレルギー、パニック発作、強迫性障害、高度の宗教性、不眠、快楽主義、個人主義...。様々な症候群が、一本の線でつながり出す。

やがて彼は、自分自身が向社会的サイコパスであることを受け入れる。たしかに反社会的な特性はなく、怒りをコントロールすることが可能で、犯罪歴がないことも紛れもない事実であった。だが、対人関係的特性、情動的特性、そして行動的特性に関して、サイコパスの特性となる項目の多くが該当していたのである。

これまでの人生における自己認識そのものを疑う必要性に迫られた彼は、自分に共感が欠けていたことを確信し、周囲の人間に自分の人物像を聞き回っていく。 自らが主観と客観の架け橋となり、同一性のギャップを埋めようとしていく様は、それ自体が数奇な物語であり、自分探しのための巡礼の旅でもあった。

この本は自己発見、自己理解、自己変革を遂げてゆく波乱に満ちた自伝であると共に、最新の脳科学の解説と科学的発見─その挑戦と冒険の物語になっている。溢れかえる脳科学の用語、特に解剖学用語にはかなり翻弄されたがお蔭で脳科学の知識が飛躍的に増えた。

20150412

『複雑さを生きる』

安冨歩の本『複雑さを生きる─やわらかな制御』を読んだ。

この本で旅をする世界は非常に広い。だが、主張している事は一貫している。
 世界は複雑系で出来ている。その複雑さを生きる為に必要な事は、頭で考える前に感じなければならないと言うことだ。その感覚を信じ抜いた上で考える事によって初めて私たちは宮沢賢治が言う「因果交流電灯」のひとつとしてたしかに灯り続けることが出来るのだろう。

この本の内容から少し離れるが、ひとはしばしば数学なんて社会に出たら役に立たないと言う。確かに2次方程式を解くと言うような機会は日常生活でそう滅多に訪れるものではない。本当に役に立たないのだろうか?
そうでは無いのではないか。この本を読みながら、ふとそのようなことを考えた。

この本は人間同士の様々なコミュニケーションにまつわる問題を、カオスや複雑系を導入することによって解決可能なものに出来る事を示している。
そればかりかそれは発展の契機となる可能性も示唆している。

それは「知る」という行為についての考察に始まり、コミュニケーションの持つダイナミズムとそれに潜むハラスメントの可能性にどの様に対処してゆくかという問題圏を経て、殆ど訳に立たない計画制御の代替案として「やわらかな制御」を提案し、その果てに現在の資本主義的な市場も関係を断ち切る敵対的なマーケットではなく「物資と情報と人間関係が入り乱れて飛び交う」バザールとして成立していること。それ故に未来に希望を繋ぐことが出来る事を示している。

複雑系を通して世の中を見ると、それは途方も無くダイナミックで柔軟性と躍動感に溢れた魅力的なものとして映る。複雑系は実際に世の中で役に立つ。それを理解するためにも基礎数学を学ぶ価値がある。そう実感することが出来た。

他の本の中で端的に表現されていた幾つかの概念の内実を、私はこの本を読むことでようやく納得する形で理解することが出来た。

安冨歩の思想の核を形成する本のひとつだと思う。

20150405

『最後の親鸞』

2度ほど、読むことを放棄している。

3月25日の日記には

心に響いてこないので中断
とすら書かれている。
その後何とか読了したものの、殆ど内容を把握することが出来ず、辛うじて末尾のテープ起こし「『最後の親鸞』ノート」でようやく意味を拾い上げることが出来た有様だった。

友人から親鸞のなにに魅力を感じているのか?と問うメールを頂き、それを探すために読みかえしてみた。

ようやく理解出来た。

深く頷ける。

吉本隆明はこの本で、記録されることがないままに放置されている親鸞の「到達点」を、記録された文言から再構成する事を試みているのだろう。

親鸞がその思想を築き上げていた時代、世の中は平穏ではなかった。災害や飢饉が頻発し、それに対する人間の側の力は無に等しかった。

極言すれば親鸞は飢えて死につつある人びとに向かって、どんな自力の計らいをも捨てよ。〈知〉よりも〈愚〉の方が、〈善〉よりも〈悪〉の方が阿弥陀の本願に近づきやすいのだと説いていたのだ。

しかも親鸞は宗教という一種の組織人としては恐ろしく大胆な宣言も発している。

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり(歎異抄)

これはどの様に解釈したら良いのだろうか?

無論、そのままを読めば良いという立場も十分に成り立つだろう。

だが、これを言いながら親鸞は教えを「広め」つつあったのだ。
それが両立したのはいかなる〈業縁〉だったのだろうか?

信徒を突き放すような言動はこれに留まらない。

念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおんはからひなりと云々

もはや念仏を唱えよという教えすら放棄している。
宗派人としての親鸞の、自己放棄を意味する言葉でもある。

思えば自力作善というものは、それ自体が自我への深い執着なのではないか?それが私が他力の思想に惹かれた最初の気付きだった。

親鸞はその他力の思想を極限まで突き詰めた。

その結果として組織としての宗教性をも解体する境地にまで達したのではないだろうか?

つまり称名念仏そのものにも自力の匂いをかぎ分けてしまうほどに。

そこまで達してしまった親鸞という人物の言動が(完全に親鸞のみの言動とは断定できないのかも知れないが)現代にまで生き延びてきたと言う事は、それ自体が奇蹟のように、私には思えるのだ。

20150319

『1995年』

あれから20年経った。

阪神・淡路大震災が起き、引き続いてオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。

この2つの出来事だけでも、1995年は記憶に深く刻み込まれた特別な年だった。

20年目の節目という動機から、1995年を振り返ってみようと思った。
漠然とあの年に何かが終わったと言う感触を持っていたからだ。それが何か確かめたかったのだ。

最初に速水健朗の『1995年』を読んだ。期待していなかったが、その予想は当たり、さほど深い内容を持った本ではなかった。新書なので仕方がないか。とも思ったが、1995年という年を中心に何が起きたのかは網羅されており、それをチェックするには都合の良い本だった。

それよりも期待していたのは中西新太郎・編『1995年─未了の問題圏』の方だった。
この本は横浜市立大学教授の文化社会学者中西新太郎が、雨宮処凛、中島岳志、湯浅誠、栗田隆子、杉田俊介の5人と対談し、

95年をエポックとして何が変わったのかを検討(対論を終えて)

しようとする意欲的な対談集だった。

しかし奇妙な本だった。

1995年に焦点を定めて語れば語るほどに1995年が後景化してしまう奇妙な対談集だったのだ。

湯浅誠を除いて他の4人は1995年に二十歳だった論客が並ぶ。そこで語られるものは労働(生きること)性(フェミニズム)そして政治・文化(マンガ・サブカルチャー)など多岐に及ぶ。
近過去を様々な局面から振り返る事が目的ならば、この対談は成功している。

しかし何度も1995年に立ち戻ろうと苦心惨憺しているが失敗している。

何故か?

気分や雰囲気は確かに1995年何かが終わったと言う実感にあるのだが、具体的に検討を始めると時代の分岐点はそこになかったことが白日の下に明らかになってしまうのだ。

その為に実質的にこの対談集は90年代後半から2000年付近で何が起きたのかを回顧する内容になってしまっている。


本の題名は素晴らしいのだ。
確かに1995年に起きた出来事はどれもが未了の問題として放置されている。

だがそれは怠惰の結果として放置されているのだろうか?

そうではなく、誰もが1995年に何が終わって何が始まったのか?何から何への変化だったのかを探し求め、しかし見付けられずに途方に暮れてきた「問題圏」なのではないだろうか?

1995年が時代の節目だったという実感が実は虚妄のものではなかったのかという史実に気付くという予想外の結果を遺してこの本は終わっている。

勿論本にはそうは書いてないのだが。

20150308

『自閉症者の魂の軌跡』

叢書・魂の脱植民地化のシリーズにはどの本にも貫かれているひとつの特徴がある。それは途方も無いほど誠実に繰り広げられる自己との対面というドラマだ。
今回読了した真鍋祐子『自閉症者の魂の軌跡─東アジアの「余白」を生きる』もまた、鬼気迫ると表現したくなるほど、壮絶に、真摯に、そして真剣に自分と向かい合うことで、「余白」という鍵概念に到達し、そこを起点として自己と世界を模索し探索する事を可能にした精神の高みに到達した論考になっている。

著者は東京大学東洋文化研究所に籍を置く朝鮮シャーマニズムの研究者である。
だが、ここ迄の道のりは決して平坦なものではなかった。むしろ常人より遙かに厳しい道程を歩んできたとも言える。

それは小学生の頃のベテラン女性教師からの「虐待」とそれを切っ掛けとする級友たちからのいじめに始まり、院生・ポスドク時代のアカデミックハラスメントやフィールドである韓国で受けた政治的な迫害など遭遇した障碍には枚挙にいとまがない。

5年ほど前にはアスペルガー症候群の診断も受けている。

むしろ著者はアスペルガー症候群によって受けた様々な仕打ちに対して他罰的になることを許されず、それ故に自己処罰的に対処することによって、つまり勉強は嘘をつかないからという理由で、「勉強でみかえしてやる」と自らの心と身体を痛めつける事で辛うじて生き延びてきたのだろう。

そうした著者はテンプル・グランディンやエリック・ホッファーに強く共感するようになる。

例えばテンプル・グランディンの自伝

牧師は講壇から離れて、参拝者たちの前に立った。そして言った。
『あなた方一人ひとりの前に、天国に続く扉があるのです。開きなさい。そうすれば救われます』
(略)多くの自閉症児がそうであるように、私はすべてを文字どおりにとった。私の心はひとつのことに集中した─『扉』。天国へ続く扉。通り抜ければ私を助けてくれる扉。賛美歌の歌声が『歓喜と愛への永久なる証、この扉こそ祝福あれや』と、聞こえた時、私はほんとうにこの扉を探し出さねば─と確信したのだった。
(略)
そしてある日、夕食から自分の部屋へ戻る途中、私たちの寮のそばに別棟が建設中なのに気がついた。だれも働いていなかったので、その棟の周りを歩いてみた。そこから小さな渡しが突き出ていたので、上がってみた。足を踏み入れた場所は小さな物見塔であった。山々を望む三つの観察窓があった。
解放感が私の体にあふれた。何か月ぶりに、初めて、その時点での安らぎと将来への希望を感じた。愛と歓喜が私を包み込んだ。やっと探し当てた!『私の天国』へ続く扉を。

自閉症者であるグランディンは自分の人生の『扉』を感じるために、実際の扉を探し当てねばならなかったのだ。

著者はグランディンが扉に辿り着いたのと同じように、恐山に辿り着き、イタコと向かい合い、朝鮮シャーマニズムの研究に我が身を駆り立てる。

そして辿り着いたのが「余白」という鍵概念だ。

「余白」のイメージは村上靖彦が論じた「すき間」、或いは「裏側」の概念をヒントにしている。

定型発達においては、非イメージ的な意味を焦点として空間は濃淡をもち、イメージを欠いたすき間もまた意味を持つ。(略)自閉症児は意味を持たないのではなく、感覚的な形こそが意味である。それゆえ自閉症児にとって、形の不在は意味の不在・無意味であり、これは侵襲的なイメージである。だから、彼らは可能な限り明瞭で安定した形を持つ時空間を要求するのである。

朝鮮半島の政治力学の狭間で生き、そして死んだ者たちはこの「余白」に存在したのではないか?そして著者自身の生もまた東アジアの「余白」に存在していたのではないか?

そしてまた、私たちの生も死も。

つまり

構造と構造の狭間に埋もれた「余白」とは、言葉にはならない「経験」の多様な真実が吹き溜まった面と面のあわいを指す。

ここに至るまでの論考は決してスマートに一筋ではなく、紆余曲折を経ている。それはこの本の欠点でもあるが、同時に抗い難い魅力にもなっていると感じた。


もうひとつこの本を読んで深く共感した部分がある。それを引用しておく。

あるいは、震災直後から巷間に流れ始めた「花は咲く」の歌詞(岩井俊二作詞)はどうだろうか。「叶えたい夢もあった/変わりたい自分もいた」、「傷ついて傷つけて/報われず泣いたりして」という現在の「私の生」と3.11での「誰かの死」、「いつか生まれる君」と表現される未来の「誰かの生」は、実は決定的に断絶されているはずである。本来そこにあるべき「死者=死体」から目を背け、これを「花」という口当たりのよい比喩に置き換えることで、「誰かの歌が聞こえる/誰かを励ましている/誰かの笑顔が見える」と根拠のない「妄想」をささやきかけてくる。歌は続けて「誰かの笑顔」や「誰かの未来」は「悲しみの向こう側に」見えると語るのだが、その「悲しみ」とは一体誰のものなのか。もし、夢かなわず変わりたくても変われぬ自分や、傷つき傷つけられ報われず泣いた自分の「悲しみ」を、地震と津波で命をもぎとられてしまった人びとや、そこに遺された人びとの「悲しみ」に重ねたとすれば、それは死に対する何という冒涜であろうか。

我が意を得たり。

20150207

『魂の脱植民地化とは何か』

出会うべくして出会った本を読むべくして読んだ。読了した時それを感じた。以前から気になっていたのだがようやく読んだ。その意味では満を侍してという言葉が似合うだろう。
深尾葉子さんの著書。叢書・魂の脱植民地化の第1巻として出版されていた『魂の脱植民地化とは何か』である。

この本の前提は、人間の魂は本来自由に、自己の生命をまっとうすべく作動するものであるという確信にある。これを肯定したところから始めないと、人間という存在は魂の植民地状態から永遠に脱却することは不可能であるという結論に導かれてしまう。

そうした人間の本来性。生命には自分自身の存在を十全なものとし、その生命をまっとうする意欲と力が備わっているというテーゼを証明するためにこの本はある。

第1章の冒頭付近に幾つかの用語が定義されている。この概念は魂の植民地状態を理解する上で重要なので、引用しつつ紹介したいと思う。

本来自由であるべき魂は、その成長や存在過程の中でゆがめられ、外界との相互関係の中で、他者の意図によって操作される。そう著者は訴える。

それを「魂が植民地化され」た状態と呼ぶが、それは次のように定義されている。

「魂が植民地化され」た状態:それは他者との相互作用の結果といえるが、それによって自分の内在的な感覚を否定し、他者から押し付けられた視点で自分を見つめ、その結果、その目線を内部にとりこんで自分自身を監督し、行動を律するようになること。

つまり魂の植民地化とは呪縛された状態にある人間とする事が出来るだろう。

ここで言われている呪縛とは

呪縛:自分自身の置かれている状況、自分自身のありかた、についてフィードバックがなく、何ものかにとりつかれたように目の前の変化にのみついてゆく。

と定義されている。

しかし他者に何かを強要されても、あるいは外的規範や支配しようとする意図によって操作されても、必ずしも魂の自立性が損なわれているというわけではない。それによって、自らの感覚へのフィードバックが断たれているかどうかが重要なのだ。

外界と真の自分の間に遮断が敢行され、本来の自己は出口を塞がれている。

つまり魂は蓋をされた状態にあると言える。

ここでは

蓋:自分自身の感覚との接続を部分的に断ち切り、あるいは長期にわたって知覚できないように押さえ込む装置ないし機構

と定義されている。

「蓋」によって魂と分離された、感情の装着と偽装的行為とは、自らの身体だけでなく、他者に対しても加虐的な作用をもたらすと著者は言う。

魂の植民地状態にある者は他者を理解する時、「憑依」によってそれを行うからだ。

憑依:コミュニケーションする相手、あるいは理解しようとする他者の感情になぞらえて自己の中でシミュレートすること。

これは一見有効な他者理解の方法と思えるかも知れない。しかし、真に自らの魂を通わせて、他者との共感を達成しているのではない。
自分自身の魂に蓋をして、偽装的に他者の心の動きをなぞろうとするものであり、その過程にはいくつもの危険が潜んでいる。

そもそも、人間の魂は、他の魂やその人の本来の魂でないものを宿してしまうのだ。その結果、やはり肝心の自己はより厳重に蓋の下に閉じ込められ、その存在に注意を払われることが極めて少なくなり、自分自身の身体の宿り主たる自分自身の魂が存在することすら、ろくに注意を払われなくなる。

以上、本分の引用を主に用いて基本的な概念を説明してみた。

本書はこれらの基本的な概念を用いて、ゼミで出会った学生や研究者の魂の遍歴を丁寧に描き出す。

ここで行われている魂の脱植民地化の作業とは、植民地状態にある自分の魂を自覚し、植民地状態がいかなるメカニズムによって引き起こされたかを分析しつつ、呪縛、蓋、憑依などの概念を使ってそれを具体的に図示し、自らの魂の植民地状態をカミングアウトすること。そしてその行為によって植民地状態からの脱出をはかるという事だったと理解している。

この本の白眉のひとつは、「分かりにくい」「説明不足」と評されることの多かった宮崎駿監督の映画『ハウルの動く城』を魂の脱植民地化プロセスを可視化した作品として見た場合。透徹した一貫性に貫かれ、徹底した描写、完璧なまでのストーリー展開と人物配置で構成された映画として理解出来るかを示した第五章だろう。

そしてもうひとつは東日本大震災によって引き起こされた原発事故とその後の対応が、いかに非人間的なものであったかを分析した第六章にあると思う。

そこでは、「共同体の大義」を共有することこそが「価値」であり、自ら思考し、行動することは「共同体の秩序を乱す」反社会的行為である、という「レッテル」が貼られ、社会全体の多元性が著しく低下し、また状況に応じて柔軟な対応をするという性質が失われ、人々は「大本営」(国家の情報発信の中枢)が出す情報のみに反応し、自らものを考えない、という「集団的思考停止状況」に追い込まれる。さらに恐ろしいのは、こういう「 集団的思考停止状況」を作り出す権力は、おのずと自分の思考も「目的硬直型」となり「状況に応じた」適切なフィードバックの回路を断つ、同じ「集団的思考停止状況」に陥るということである。

この『叢書・魂の脱植民地化』は続々と成果を出しつつある。
しかしその速度以上に今こそ魂の脱植民地化は急がれていると感じた。
私が焦っているからではないと思う。


20150129

Black Dog

最初に知ったのはYouTube動画だった。

I had a black dog, his name was depression

鬱を黒い犬に例えている。その表現の的確さに驚嘆した。
キャプションを日本語訳したサイト


も存在する。

調べてみると元は絵本だったらしい。日本語訳も出版されているようなので長野市立図書館から借りてきた。
訳は抄訳というか意訳。だが意図は伝わる。

鬱という黒い犬とどう付き合っていったら良いのか?
それが語られている。

続編もすぐ見付かった。

Living With a Black Dog
こちらも絵本になっている。
 『ぼくのなかの黒い犬』が鬱病者の立場から語られているのに対し、この続編『わたしとあなたと、黒い犬』は、鬱病者とその家族がいかに対処していったら良いのかが描かれている。

と言うより、鬱病者が家族にどう接して貰いたいかが描かれていると言った方が正確かも知れない。

これ程パーフェクトに振る舞える家族はそう滅多にいるものではあるまい。

だが、こうした出版物が世に出ていることは鬱病者である私にはとても心強い。

と言うか、嬉しかったのだ。

この頃ようやく私も躁鬱病から段々寛解しつつあることを自覚している。何よりもそれに向かって私を促し支えてくれた周囲の方々に感謝したい。

多分、この作者も鬱病からかなり恢復しつつあるのだろう。

そうで無ければこれだけ客観的に鬱を見つめることなど出来はしない。

ひとりでも多くの鬱病者とその家族にこれらの動画や出版物が届くことを祈りたい。