20130615

印象派の巨匠たち

印象派と言えば私にとって不倶戴天の敵である。

彼らのように描く事が出来なかった。なので、小学生の頃図画工作の成績はとんでもなく悪かった。私には絵を描く才能がなかったのだと諦めるしかないと思い込んでいた。

大きく印象を掴んで、大胆に筆に乗せること。それが出来なかったのだ。

美術の教師は何が何でも印象派だった。


中学生になった途端、私は取り憑かれたように絵を描き始めた。印象派の様に描くだけが絵ではないと美術の先生が言ってくれたからだ。

描いていればそのうち巧くもなってくる。高校の終わり頃には、美術系の大学に行くことを薦められるまでになっていた。

けれど一旦染み込んだ苦手意識というものはなかなか抜けないものだ。根本的に美術の才能が無いと信じ込んでいた私はそちらの方には進まなかった。

大学で地質を専攻し、初めて私は絵が巧い方だと人から教えられた。露頭のスケッチをしなければならなくなってからだ。

もう遅かった。私は地質に専念した。


今日、長野県信濃美術館に行ってきた。『ひろしま美術館コレクション─印象派の巨匠たちとピカソ』と題する展覧会があったからだ。

実を言うとそれ程期待していなかった。

たかが日本の地方都市のコレクションだ。大したことはあるまい。そう思っていた。

目玉はマネの「灰色の羽根帽子の夫人」とロートレックの「アリスティド・ブリュアン」らしかった。
それだけ見ることが出来れば良い。そう自分に言い聞かせて出掛けた。


意外に(失礼!)コレクションが充実していたのには正直驚かされた。

ピカソは青の時代のものとキュービズムの頃の作品がそれぞれ1点ずつと少なかったが、印象派の作品はかなり質が高かった。

「印象派」のムンクやルドンを見ることが出来たことも大きな収穫だった。


敵視していたが、余裕を持って鑑賞してみれば印象派も悪くない。

学校の美術教師が印象派を持ち上げすぎるのは害があると今でも思っているが、作品を追求してゆく態度には学ぶべき点が多くある。


だが、やはりこのようには描けないと思わされた。

印象派の描き方は、一種の技術だと思うのだ。筆遣いのテクニックと言っても良い。それを身に付けないとあのようには描けない。


だが、良いものはやはり良い。

そう思えただけでも美術館に行って良かったと思う。


やはり絵はいいな…。そう思いつつ帰ってきた。

私はやはり美しいものが好きだ。


もう一度行っても良いと思える展覧会だった。

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