20130528

近畿、東海入梅

昨日の九州・四国・中国地方に引き続き、今日近畿・東海地方の入梅が発表された。

フェスが行われていた一昨日の赤外線画像は
確かに北海道から九州まではっきりと日本列島が見えている。

水蒸気画像はこうだった。
かなり湿っている感じはあるが、まだまだそれ程でも無いと思える。

それが昨日になると
水蒸気画像は
日本列島全体が低気圧に伴う雲で覆われ始め、この時点で九州・四国・中国地方の入梅が発表された。
この雲の移動と伴に入梅が発表されるのだな…と思った。

そして思った通り、
今日の赤外線画像。
水蒸気画像。
昨日と殆ど変わりはない。ここで近畿・東海地方まで入梅となった。

これなら中部地方も入梅していて構わないと思う。
だが、雨雲の及んでいる範囲が異なっているのだ。
確かに雨雲は、近畿・東海地方まで及んでいる。

恐らく、この雨雲の移動と伴に入梅が宣言されるのだろう。


気象学の教科書的には、南から梅雨前線が上がってきて、それに覆われると入梅となるとされている。
だが、現実の「気象業務」ではなかなか物事は教科書通りには進まない。

実際にその地方で、今、雨が降っているかどうかが結構決め手となる。


今年は梅雨入りが早いようだ。
5月中の入梅は2011年以来だという。以来という言葉を使うには最近過ぎるような気がするが、梅雨入り宣言が出されたのが早いという傾向はあるのだろう。

だが、その年ごとに同じ基準で宣言が出されている訳ではない。

それを比較すること自体にそれ程意味はない。


今年は梅雨入り以前に真夏日になる日が多かった。

と言うより、積雪から真夏日までの日数が異常に短かったと感じている。
4月21日に積雪があり、長野駅前の温度計が30℃を越えたのが5月10日だった。ひと月も経っていない。

気候に異常さを感じることのない日々は、もう戻ってこないのだろうか?いつも異常気象を気にしている昨今だ。

20130526

いの・くら・フェス

勝手に略してしまった。
正式には「いのちとくらしのフェスティバル」という。3月ころから企画していた催し物だ。今日やっと開催に漕ぎ着けた。
結果的に20余りの団体・個人が集まった。
会場の南千歳公園にはいつもの黄色い旗がなびき、午前中から舞台や各ブースで発表が始まった。

やはり昨年の12月16日が響いているのだ。

予想された事とは言え自民党が地滑り的に勝利し、それまで培ってきた脱原発への思いや行動が、一遍に押し流された。
3.11以後あったもうひとつの津波だったと思っている。

そのなかで、現状を打開したいという気分が高まってきたのだ。

現状を打開したい気分とは、地道に活動してきた団体や、個人が、今のようなばらばらの状態で取り残されるような感覚を抱いているのではなく、それぞれが繋がりを持ち、もう一度元気を取り戻したいという思いだった。

ステージでは
 ハワイアンあり
合唱あり。
意外と言っては失礼だがヨーガが大人気だった。
やはり皆、自分の身体に何らかの不安を抱えているようだ。

私も歌った
と言うか、歌わされた。

何かとバタバタしており、風邪をひいたこともあって、殆どぶっつけ本番。練習は全く無しで迎えてしまった。

案の定失敗の連続。しかし、笑う余裕があったのには自分で驚いた。照れ笑いか?

写真は松下まぐさんに撮ってもらったものだ。
巧く撮してもらえた。
取り敢えず催し物の一部になることは出来たと思う。それで良しとしよう。

ラストはDazzkokuという松本から来たバンド。
雰囲気のあるバンドだったが、歌のメロディーは殆どRootだったのではないか?

…それで良いか。バンドと言うよりはサウンドデモの方々だった。

この後、デモがあったが、今回は疲れてしまい心が折れてしまったのでリタイアした。

帰ってきて足が攣った。やはり疲れていたのだ。

20130525

カンタ!ティモール

長野松竹相生座・ロキシー1・2に、映画を観に行った。
久し振りのことだ。

だが、盛り沢山過ぎて、とても1回では伝えきれない。

目的は、1年以上前から観たいと思い続けてきた映画『カンタ!ティモール

チベットや福島に精力的に通っている渡辺一枝さんと、この映画を撮った広田奈津子監督のトークショーも上映後にあると言う。

それも楽しみだった。

映画はとても重い主題を、丁寧に、そして骨太な作りで訴えかける内容の濃いものだった。

以前から観たいと思っていたので、それなりに予備知識を仕入れてから観た。

だが、それが必要だったかどうかは分からない。

むしろ、東ティモールという国に対して、何の知識もないままに観て、衝撃を受けた方が良かったのかも知れない。

周囲の島々がオランダの植民地になったのに対し、東ティモールはポルトガルに占領されていた。この事が東ティモールという国に微妙な陰影を与えている。

けれど、南の海底に石油が出なかったら、これ程迄に苦しい過去を、この国は抱え込まずに済んだのではないだろうか?

1975年インドネシアは東ティモールに武力で介入した。

これに対し、国連は反対決議を提案したのだが、日本はそこでその決議に対してNoを投票した。インドネシアを支持したのだ。
映画の中で語られる東ティモール独立までの苦難。それに対し、単純に私たちは同情を抱くことは許されない。日本は、加害者なのだ。

しかし、東ティモールの人々は復讐史観に立っていない。あれは過去の事なのだと語る。

赦している。この寛大さは地に足を付けて生きている者の持つ広い心なのだろうか?


印象的だったのは『カンタ!(歌え!)』と謳われているだけあって、映画に採り上げられる音楽が豊富だったことだ。

監督によると、映画の為に歌われた音楽は全く無いとのことだった。演奏が始まって、それを記録しようとカメラを回したのだそうだ。


音楽は生活に余裕があって、演奏されるものではなかった。1週間も森の中を逃げ回っていて、ようやく辺りに兵士がいなくなった時、彼らはまず踊ったのだという。


映画の後、トークショーがあった。
幅広い活動をしている渡辺一枝さんと広田奈津子監督。
何よりも渡辺さんのしっかりした記憶力に驚いた。映画の隅々まで覚えていらっしゃる。途中、何度かマイクの調子が悪くなり、音を拾わなくなったり、子どもが下駄で歩き回ったりしたが、その都度渡辺さんは余裕のユーモアで切り抜けておられた。なかなか出来ることではない。

広田監督も結構多弁な方で、充実したトークショーになった。

監督の思いは、
「笑い合い、許しあうこの星の生き証人」
にも綴られている。


帰ってから検索すれば出て来るだろうと高を括って忘れてしまった言葉がどこにも見付からずしょぼくれている。
もっと真面目に覚えておくべきだった。

ゆっくりしかし確実に。

そんな意味の言葉だ。東ティモールの人々からのメッセージだ。


--5月31日加筆--

Facebookで『カンタ!ティモール』のファンページを紹介してもらった。大勢の方がこの映画を観て、大切なものに気付いていることを知り、嬉しくなった。

そのページに忘れてしまった言葉を訊ねる書き込みをした。

すぐに小向定と言う方から返信があった。

広田さんの言っていた言葉はテトゥン語の「ネイネイ マイベ ベイベイ」だと思います。
ネイネイ(ゆっくり) マイベ(だけど) ベイベイ(いつも)
少しずつでもいい。でも続けていく。っといった感じだとおもいます。

これだ!


ほぼ諦めていた言葉を、もう一度取り戻すことが出来た。これはとても嬉しい事だ。


もうひとつ東ティモールの人々からのメッセージを加えておこうと思う。

広田監督が再び『星降る島』を歌っていた青年アレックスと再会した時、アレックスが広田監督に伝えた言葉。

広田奈津子監督のトークの最後に語られた言葉だ。

自分たちの仲間が10人しか見えなくて、対する物が巨大で、1,000人にも見えても、命に沿った仕事というのは亡くなった人の魂がついていてくれるから、絶対 に大丈夫。恐れずに進んで下さい。仕事の途中で命を落とす事があるかも知れないけど、それでも大丈夫だから恐れないで。でもどうしても自分たちが10人 にしか見えなくなって不安になったら、僕たちのことを思い出して。僕たちは小さかった。巨大な軍を撤退させるのは奇跡だって笑われた。でも最後には軍隊は 撤退しました。それは夢でも幻想でもなく、現実に起きたこと。目に見えない力は僕らを支えてくれたから、どうか信じて下さい」

3.11を体験した私たちを勇気づけてくれる言葉だと思う。

東ティモールは実際に独立を勝ち取ったのだ。

夢ではない。

20130523

断煙200日

また、一区切りの日がやってきた。

吸いたいという気持ちが湧いてくることは殆どない。たまに何もすることがなくなって、待ち状態になった時などに、手持ち無沙汰が影響して、煙草があったらな…と思う程度だ。

iPhoneアプリ「禁煙ノート」がなければ、この区切りにも気付かなかっただろう。

それだけ煙草を吸わない事が常態になっている。もはや当たり前の話だ。

残念なのはこのアプリでも浮いたお金で自分にご褒美でもと薦めてくれるのだが、絶対的にお金がなく、それが出来ない事だ。

浮いたお金は主に本と甘いものに既に消えてしまったのかも知れない。

その代替物だった甘いものももうさほど必要としなくなっている。

それでも88,000円という金額を単に煙にしなかっただけ良かったとも思える。それ以前に、35年間ひたすらに吸い続けた。その金額はいかほどになるのだろう?
若い頃の方が吸っていた本数も多かった。
途方もない金額になっている筈だ。500万は突破するだろう。車が買える。

私は基本的にいつも貧乏だった筈だ。

それでも、吸っていた時代、ひと箱が800円を超えない限り吸い続けようと思っていたことを覚えている。
今思うととんでもない話だ。


BSでやっているドキュメンタリーなどを見ると、世界のたばこ産業はアジアをターゲットにしているようだ。もはや欧米では産業として成り立たなくなってきているのだろう。

アジアは欧米に比べ貧しい。そのアジアを煙草が狙う。

妙な矛盾だと思う。

だが、貧乏人ほど煙草を吸っているのも事実だ。

この妙な矛盾はなぜ発生するのだろうか?

私も貧乏人だった。そして煙草を吸っていた。貧乏の度合いが更に進み、もはや煙草を吸っていられる状態でなくなってから、薬に頼ってようやく煙草を止めた。

決して健康のためとか、周りへの迷惑とかの比較的合理的な理由からではなかった。


いずれにせよ微々たる成果だが、私は4,000本の煙草を吸わずに済ますことが出来た。

この成果はきちんと自覚しようと思う。

煙草なしでこれだけの日数を過ごすことなど、全く考えられない事だったのだ。

自分でも、良く止められたと思う。

そして、何の迷いもなく、止めて良かったと思える。

20130521

Flickrを始める

以前始めたつもりだったのだが、何度やってもログイン出来ず、リンクも保存していなかった。大幅なリニューアルがあったようなので、再びFlickrを始めてみることにした。

私はここにいる
表示のされ方も変わったようだ。
画面をキャプチャしてみた。

写真がタイル状に並べられるようになった。

無料のスペースが1Tbになった。

これだけあれば当分は凌げるだろう。

twitterやFacebookとの連携も強化されたようだ。

いくつも写真をupする場所が増えてしまってその分だけ煩雑になったが、写真がなくならないのは嬉しい事だ。

しかし、このような画像共有サイトの機能を、私は殆ど使いこなせないのだ。

20130520

不可解への耐性

FacebookでIさんから問い合わせがあった。

カフカの言葉なのだが、出典は分からないか?

よくぞ私を指名して下さったものだと感激すらした。うっすらと知っている。

「真理をおびて始まるものは、結局は不可解なものとして終わらなければならないのだ」

それは狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡 [新刊]と題して記されたBlogのエントリの中にあった。

自分を過大評価する訳ではないが、私以外の人をターゲットにしていたら、おそらく不明のままだったと思う。

私はこの言葉をドイツ語で知っていた。

” Erzählungen Und Kurzprosa Von Franz Kafka "という冊子が家にある。その中で読んだ記憶があった。

" Prometheus "という一文だ。

試しに「カフカ プロメテウス」で検索してみたが、案の定何も引っ掛かってこなかった。

全文を書き出して、拙訳と共に答えとした。


Prometheus

Von Prometheus berichten vier Sagen: Nach der ersten wurde er, Weil er die Göttr and die Menschen verraten hatte, am Kaukasas fest geschmiedet, und die Götter schickten Adler, die von seiner immer wachsenden Leber fraßen.
Nach der zweiten drückte sich Prometheus im Schmerz vor den zuhackenden Schnäbeln immer tiefer in den Felsen, bis er mit ihm eins wurde.
Nach der dritten wurde in den Jahrtausenden sein Verrat vergessen, die Götter vergaßen, die Adler, er selbst.
Nach der vierten wurde man des grundlos Gewordenen müde. Die Götter wurden müde, die Adler wurden müde, die Wunde schloß sich müde.
Blieb das unerklärliche Felsgebirge. - Die Sage versucht das Unerklärliche zu erklären. Da sie aus einem Wahrheitsgrund kommt, muß sie wieder im Unerklärlichen enden.



プロメテウス

プロメテウスについて四つの言い伝えがある。
第一の言い伝えによれば、彼は神々の秘密を人間に洩らしたのでコーカサスの岩に繋がれた。神々は鷲を使わし、その鷲はプロメテウスの肝臓をついばんだ。しかしついばまれても、ついばまれても、そのつどプロメテウスの肝臓はふたたび生え出てきたという。
第二の言い伝えによれば、プロメテウスは鋭いくちばしでついばまれ、苦痛にたえかね、深く深く岩に張り付いた。その結果、ついには岩と一体になってしまったという。
第三の言い伝えによれば、何千年もたつうちに彼の裏切りなど忘れられた。神々も忘れられ、鷲も忘れられ、プロメテウスその人も忘れられた。
第四の言い伝えによれば、誰もがこんな無意味なことがらには飽きてきた。神々も飽きた。鷲も飽きた。腹の傷口さえも、あきあきしてふさがってしまった。
あとには不可解な岩がのこった。言い伝えは不可解なものを解きあかそうとつとめるだろう。だが、真理を帯びて始まるものは、所詮は不可解なものとして終わらなくてはならないのだ。



絶望名人カフカは、言い伝えの放つメッセージを掴みかねて、この最後の言葉を書き記したのかも知れない。

しかし、その言葉の持つメッセージは、言い伝えの放つメッセージと呼応して、深く胸に刻まれる。


アインシュタインは「宇宙に関する最も不可解なことは、それが理解可能であるということである」という言葉を残している。

これは、分かるという事がいかに不思議な現象であるかを指し示している。

私たち現代人は、そして(多分)日本人は分からないことを恥のように感じて、早急に分かることを求めたがる。
だが、分かるとはそれ程迄に浅い行為なのだろうか?

私たちには決定的に不条理や不可解、わからないということへの耐性を欠いていると感じる。分からないの中に佇む時間が、余りにも短すぎるのだ。


恐らく(この本は読んでいないのだが)神子柴遺跡の発掘物をまとめた研究者は、それが持つメッセージの豊穣さに比して、自分が辿り着くことが出来たメッセージの(相対的な)少なさに圧倒されたのではないだろうか?

カフカの短文を手がかりにその思いに思いを馳せてみる。

言い伝えと遺跡が持つコスモロジー。

そしてやはり辿り着く分からないという状態。

恐らく、分からないという事への耐性を育まねば、表現すると言うことに必然的に付いてくる猥雑さを振り払うことは出来ないのだ。

分からないという海に潜り込むことによって、意味の海女たる私たちは、一つかみの真理を深い海底から拾い上げることが出来る。 

圧倒的な海の豊穣さから比べると、そのつかみ取った真理は本当に僅かなものなのかも知れない。

だが、豊穣な海に潜ったという行為が、獲得した真理の有意義さを保証しているように思うのだ。

海に潜るとは、分からないという事に耐性を持つと言うことなのではないか?


ニュートンもこんな言葉を残している。

Newton’s Great Ocean of Truth

I do not know what I may appear to the world, but to myself, I seem to have been only like a boy playing on the seashore, and diverting myself in now and then finding a smother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.


Sir Isaac Newton


私は、世間からはどう思われているか知らないが、私自身はといえば、目の前に未だ知られざる大いなる真実の海が横たわっているというのに、海辺ですべすべした小石や美しい貝殻を見つける砂遊びに夢中になっている頑是無い子供のようなものにすぎないと思っている。

20130518

チャフチャス

今日はチャフチャス(Chajchas)が届いた。二日連続で楽器が我が家にやって来た事になる。

実は数十年前からこの楽器は私の手元にあったのだが、名前も分からなかった。別段分からなくても気に掛からない楽器でもあった。そもそも楽器として認識していたのだろうか?

長年ライブやデモで活躍し、このところ、かなり痛んでも来ていた。

で、気になった。これは何と言う楽器なのだろう?
Webで購入することを考えると、名前が分からないと入手することも事実上不可能だ。

いや、楽器屋へ行けば現物があるだろうが…。

木の実が沢山付いた楽器。と検索したら、らしきものがいくつかヒットした。そこから調べていって、今回めでたくこの楽器の名前が分かったのだ。

しかも、もともとはどうやら木の実ではなく、山羊や豚の爪で出来ている楽器らしい事も分かってきた。

最初探し当てたものは5,000円以上した。

買えば高く付くなぁ…と諦め掛けていた時、ケーナを入手した楽器屋、ヨコハマエスニック倶楽部で安く入手出来ることが判明した。
写真右のiPhoneの上にあるのが、今迄使ってきた木の実のタイプ。

いくつか木の実が取れてしまっている。

写真左にある存在感抜群の奴が、今回買った山羊の爪タイプ。

意外に大きいのに驚いた。

音は殆ど変わらないが、山羊の爪タイプの方が厚く重い音がする。

もともとはペルーの楽器らしい。

調べてみると、このタイプは少し前まで日本ではなかなか入手しにくい楽器だったらしいことが分かってきた。

幾つかのサイトで、ペルーに行く弟に頼んで入手したなどのエピソードが語られていた。

道理で様々なライブを見てきたが、山羊の爪タイプのチャフチャスには今迄お目に掛かって無かった訳だ。

かなり通る音だ。

合奏しても、他の楽器に埋もれてしまうような音ではない。

だが、私はこのチャフチャスをどのように使うつもりなのだろうか?

近日中にこれを使うようなライブは予定されていない。やはりデモに持って行くしかないのだろうか?

笛の類なら、練習と称して毎日遊ぶのだが、チャフチャスは練習を要する楽器ではない。


笛と言えば、昨日upした笛。
これの名前がようやく分かった。リシ笛と言うらしい。アロク・リシと言う人の考案になるようだ。

裏に焼き付けられているサインが一致したので間違いはないだろう。

名前さえ分かれば、吹き方や運指など次々に分かってくるものと考えていたのだが、この人物、なかなか怪しい存在であるようで、過去に運営されていたサイトが幾つかあったらしいことは分かったが、軒並み閉鎖されており、今残っているのはFacebookのファンページくらいしかなく、そこには意味不明な書き込みが連綿と書き綴られている。

無論運指など全く情報がない。

音程から判断して、バリ音階のD管である事も殆ど判明したが、だからと言って吹けるようになる訳でも無い。むしろここで私としてはお手上げ状態になってしまったのだ。

ガムランのCDは1枚もない。バリに入り浸るような人間でもない。

西洋音階ならば、何とか感覚で探って行けるが、バリ音階では勘が働かず、かつ吹ける曲も全く無いのだ。

この笛に関しては、殆ど諦めの境地に至りつつある。

残念だ。

20130517

笛三昧

今日はケーナが届いた。
思いのほか安かったので音程など不安はあったのだが、今のところ過不足無く吹けている。

と言うより吹けていない。

やはりケーナは音の出し方が難しい。

様々なサイトを覗いてみて、音の出し方や運指などを確認しているのだが、ケーナは鳴らすものであって、吹くものではないというところで一致を見ている。

ケーナの鳴らし方(正統派 コチャ直伝)

腹式呼吸を基本として、タンギングで音を出す感覚なのだろうと思うのだが、何しろ初心者なので心許ない。

これを買おうかどうかで悩んでいる

大木岩夫のケーナ教則DVD~入門編~

今月もかなり散財してしまった。Webでかなりの情報が得られるので、来月に回しても良いかな?と思っている。

ここなどはかなり詳しく解説して下さっている

オンライン簡単ケーナ教室

こんな動画もある
だが、楽器を安く入手出来たのだから教則にお金を掛けても良いかな?という気もしているのだ。

バンスリも音が出始めたところ。
だと言うのにもうケーナに手を出してしまった。

さらにこんな名前の分からない笛も私の手元には何年も前からある。
10cm位の長さの笛だ。

左右礼(そーれー)さんという方から頂いたものと記憶しているが、音を出すことに成功したのが数ヶ月前のことだ。

それも完全ではない。左手の穴を放すともう音が出ない。

笛の名前が分からないので運指も分からず押さえ方も自己流だ。未だに1曲も音楽を演奏することに成功していない。何と言う名前の笛なのだろうか?それだけでも知りたいと思っている。

腹式呼吸が巧く出来ない事がそれぞれの笛の上達を妨げている。それは段々分かってきた。とりわけ、ビブラートのかけ方がなっていない。

その辺りが壺だろう。


これだけ集まってしまったのも何かの縁というものだろう。ひとつにこだわらず、練習に勤しむしかあるまい。

幸いなことに、私は物事に飽きることがまずない。

いろいろな演奏を聴いて、こんな風に歌いたいと思えるものを探してみよう。

Webの発展は音楽の練習環境を根底から覆すほどに変えてしまった。今ならあれこれ探してゆけばかなりの練習環境を得ることが出来るだろう。

基礎は大切だが金を掛ければいいという訳でもあるまい。


実はこれに飽き足りず、オカリナにも興味を抱き始めていることを告白しておく。

20130516

なごフェス2013

12日に名古屋の栄にある「もちの木ひろば」で行われた「なごフェス」が良かった。
当日まのび放送局でUst配信されたのだが飽きることなくずっと見入ってしまった。

録画がどうやら出そろったようなので、Blog『バンビの独り言』 を紹介しておきたい。

2013.5.12「Go Slow! なごフェス」レポート

このエントリからなごフェス2013の殆ど全貌を辿ることが出来る。

伝えて下さったのはこの「いつも真面目な」お二人。
バンビ・中根桂子さんと真野明日人さん。

真野さんの「まの」と バンビさんの「び」をつないでまのび放送局の名前が出来た。

このおふたりの姿勢にはくそ真面目なだけの私はいつも学ばせて頂いている。

ゆるい。だが、芯はある。

このように在りたいと思うのだが、なかなか出来ない。

肩に力が入ってしまうのだ。

老子でも読んで、水のように生きる術を学ばねばといつも思っている。
上善水の如しであり、天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す、なのだ。

これからもお二人の活躍には注目してゆきます!

このフェスで私はK-ROADというユニットを知った。
それだけでも大収穫だった。無論CDを買った。だが、なごフェスのライブのノリのほうが私は好きだ。

20130515

弘田三枝子

TVで昭和の歌謡曲が特集されており、そこで弘田三枝子さんが歌っていた姿があった。整形後の歌だった。

私の記憶の中で弘田三枝子は日本人で唯一「パンチの効いた」と言う形容が似合う天才歌手だった。だがそれは私の中ではあくまでも整形前の話だ。

YouTubeで探してみた。
弘田三枝子はこの曲で14歳でデビューしたのだ。この頃から天才振りが窺える。
悲しきハート
1963年の紅白歌合戦の映像。既に歌い方が完成している。
整形の前と後とで最も違うのは、聴き終わった後の後味というか余韻の清々しさだ。若いという利点があったにせよ。この爽快さは追随を許さないものがある。

他にもいくつも聴いたのだが、切りが無い。

私たちは遠い昔に大変な宝物をなくしていたのかも知れないと痛切に思った。この歌声を失ったことは返す返すも残念な事だ。

だが、若い弘田三枝子が歌に恵まれなかったことはこうして聴き彷徨っているとわかる。歌が巧いので、どうでもいい歌もそれなりに聴かせてしまうが、それにしてもこの歌手に何と言う杜撰な曲をあてがっていたことか。


あれはないのだろうか?とふと思い出して探してみたらあった。
ここから世界は弘田三枝子から少し離れ始めた。
この歌をもう一度聴く日が来るとは夢にも思っていなかった。大好きだったのだ。薄れてしまった記憶が蘇ってきた。

ジャングル大帝と言えばあの歌だ。これも探してみた。
探し当てた版がどうしても表示されない。意図が伝わるだろうか?いずれにせよ冨田勲の名曲と言って間違いないだろう。
video
やはり歌詞のある版をupしておこう。
映画のような志で作られた、良心の塊のような番組だったと、今になって分かる。

当時、アニメ嫌いの教師が、他の漫画は駄目だが「ジャングル大帝」だけは観て良いと宣っていたことを思い出す。

それだけのものがこの作品にはあったのだ。

単なる懐かしさだけでなく、素敵な素晴らしい番組だったと思う。

今の番組に比べ、沢山の宝物が埋め込まれたようなものが多かったように思う。その後、TVは俗悪番組と呼ばれるものが増えていった。子供心に残念に思ったことを覚えている。

弘田三枝子から始まって、意外な方向に進んでしまった。だが、心地よさが残った。

20130513

アンニャさんLive

お昼頃、気に掛けている人が参加するとFacebookに書き込んでいたので、急遽参加を勝手に決めた。
バスはないに等しい。ベッカライ麦星に電話し、手配して頂いて、親切な方の車に乗せて貰う事ができた。

アンニャ・ライトさんのトークライブだ。
店の前にあるロッコ(犬の名前)の像も今日はお手伝い。

ディープなエコロジストと聞いていたので、若干緊張して赴いたが、実際の人物はとても物腰が柔らかく、笑顔の素敵な方だった。

ナマケモノ倶楽部に属していらっしゃるのだという。

だからピースサインはVictoryの2本指ではなく、ミツユビナマケモノの3本指だ。

誰かがwinして、誰かがloseする。そうした関係ではないピースサインなのだ。

ライブが始まる前は、極めて和やかな雰囲気だった。その雰囲気をアンニャさんが醸し出しているのは確実だろう。こまめに話しかけ、客と早くもコミュニケーションを図っていた。
予想してはいたが、参加者に女性と子どもが多い。
男はなにやってんだ!という気分になる。…仕事しているんだろう。きっと。

敢えて言いたい。そんな場合かと。
分かり易い英語だったが、ライブは通訳の方を通して行われた。上手な通訳で、トークとライブのリズムは全く損なわれない。
急遽参加した私は、急遽ジャンベを叩くことになった。私としてはちょっとしたハプニングだった。
写真を整理していて、自分が映っている写真があるのに驚いた。どうやらベッカライ麦星の寛さんが撮って下さったようだ。ありがとうございます。
パチャの歌の時には彼女のお子様パチャも舞台に。
歌の後、アンニャさんが各テーブルを廻り歓談した。

私は語学コンプレックスからちょっと離れたところでお茶を引く。だが、目を付けられ、アンニャさんに音楽家かと訊かれる。学者だと答える。半分は冗談だったのだが、外国語で冗談を言うのは難しく、まともに受け止められたようだ。

ま、それでも良いだろう。半分は本気だ。それに本当のことだ。私は自分のアイデンティティを音楽より科学に置いている。


子ども達はそれぞれすぐに仲良くなる。誰が教えたのだろうか、草笛が流行っていた。


ゆっくり、ちいさく、シンプルに!。メッセージはきちんと受け止めたつもりだ。

思い付きだったが、思わぬ収穫の多い一日になった。

20130511

USGSが変わっていた

イランの地震が気になり、アクセスして気が付いた。USGSのサイトがリニューアルされていた。
今迄世界の地震を地球儀で表示していたページはなくなり、重要な地震がリスト表示されるようになっていた。

そして、そこからMap/List/Search表示のページに行ける。
どうやらモバイル端末に対応したようだ。
iPhoneで見てみると確かに今迄より見易い。

右はリスト表示。

PCで見る時は、ListとMapを両方表示させておくと便利だ。

Listで地震を選ぶと、それがMapで反映される。

だが、今迄の表示になれているせいか、どうもやりにくい。

モバイル端末では横にしてもListとMapを両方表示させることは出来なかった。

RSS Feedを登録しておくと主な地震は逃さず確認できるのだろうが、どのRSS(一杯あるのだ)を選ぶのか悩むところだ。
更新頻度などを考慮し、結局Significant earthquakesのATOMを選んだ。

Map表示にすると右のようになる。

白地図とプレート境界のみのシンプルな表示だ。

ListでもMapでも各地震をタップする事で、詳細な情報を得ることが出来る。

PCからは少し不便になったが、確かにiPhoneからは格段に調べやすくなった。

出先でも、NEWSなどで地震を知った時に、すぐに調べられるのは好都合かも知れない。

PCから不便になったと書いたが、まだ不慣れなためという理由だろう。
得られる情報は今迄と変わりが無い。

Blogなどで、適当な縮尺を選び、そのリンクを表示しておけば自動的に更新されて余震などの活動を追跡できていたのが出来なくなる。
その点はやはり不便だ。

機動性を優先して、速報に力を入れてゆく方針なのだろう。

今迄よりUSGSにはiPhoneからアクセスする事が増えると思う。

20130510

気温差24.7℃

松本ほどではないが(松本は昨日気温差が25℃以上あった)長野市も昨日(9日)朝の最低気温が4.2℃で肌寒くさえあったのに対し、最高気温は28.9℃。気温差が24.7℃あった。

湿度も低く、最低値は17%。からからだ。

このお蔭で部屋の中ではさほど暑さを感じずに済んだのだが、身体がついて行かない。

つい最近まで、春が遅いと話題になるほど気温は低かったのだ。

この寒暖の差は偏西風の蛇行によるものとされている。

成る程、最近まで南に降りていた偏西風(ジェット気流)が蛇行したまま東に移動し、現在は北に上がった状態になっている。

ここまで偏西風の蛇行が強いとそれによって引き起こされるブロッキングが気になってくる。
ブロッキング高気圧の例

様々な異常気象の原因になる。

しかし、この偏西風の蛇行の原因は何なのだろうか?

エルニーニョは現在起きていない。

尤も、海のエルニーニョと空のエルニーニョは時期がずれる現象がある事が確認されているので、過去のエルニーニョの影響が残っていることも考えられるのだが、それよりも温暖化との関係が気になってくるのだ。

これもWebで調べてみると、温暖化の影響で偏西風の蛇行が起こるとしているサイトもあれば、そんなことは考えられず、むしろ寒冷化が蛇行を起こすのだとしているサイトもあり、それぞれに理屈が付けられているのでよく分からないというのが率直な感想だ。

いずれにせよ、この蛇行が早めに収まって、普段通りの季節が戻ってくれるように祈るしか私に出来る事はない。

明日は雨だという。今日の内に洗濯を済ませてしまおう。

20130507

憲法・平野ノート

Facebookで憲法に関する重要と思われる史料が回ってきた。

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について

憲法第9条に関する故幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう)の証言である。

押しつけとの誤解がある憲法だが、むしろ日本から要求された第9条であった事を、この史料は示す。

だが、改行が不規則に入っているため、ちょっと読みにくい。そこで改行を訂正し、文書を読みやすくして再掲する事にした。

私が個人的に、自分のために残したメモと思って下さって構わない。

だが、もし差し障りがあるとしたらご連絡下さりますようお願いします。削除を含めて見当させて頂きます。



--引用--ここから--
(この資料は国会図書館内にある憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)と題されたものを私(今川)が川西市立図書館を通じて国会図書館にコピーを依頼して手に入れ、さらにそのコピーをワードに移し替えたものである。原文は縦書きであるが、ホームページビルダーの性質上、横書きで書いている)

昭和三十九年二月

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について

ー 平 野 三 郎 氏 記 ―

                      憲法調査会事務局


は し が き

この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。
なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

  昭和三十九年二月

                      憲法調査会事務局


第一部

私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬のことである。同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。
 側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。その内容については、その後まもなくメモを作成したのであるが、以下はそのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。
 なお、当日の幣原先生のお話の内容については、このメモにもあるように口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにしたのである。

問  かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから是非うけたまわりたいと存じます。実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。
 あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。 

答  いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。

問  そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。

答  それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。

問  死中に活といいますと・・・・・。

答  たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍  幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

問  しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

答  そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。

答  それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。だが何らかの形における世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。
 そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。この例は世界を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。
 要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展しその同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行うほかはない。このことは理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた訳だ。

問  それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。

答  そこだよ、君。負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。君の言うとおり正にそうだ。しかし負けた日本だからこそできることなのだ。おそらく世界には大戦争はもうあるまい。もちろん、戦争の危機は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。第二次世界大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。
 したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその死顎の理想に到達するかということにある。人類は有史以来最大の危機を通過する訳だがその間どんなことが起こるか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その成否は一に軍縮にかかっているということだ。
 もしも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起こるだろう。既に言った通り、軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。常に相手より少しでも優越した状態に己を位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る。すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないとい恐るべき不安状態の連続になるのである。 
 そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮を身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない。交渉に当たるものに与えられる任務は如何にして相手を欺瞞するかにある。国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。虚虚実実千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など初めからないものなのだ。 
 原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。不振と猜疑が亡くならない限りそれは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。
 そのような瀬戸際に追いつめれても各国はなお異口同音に言うだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。それは分っている。分ってはいるがどうしたらいいのだ。自衛のためには力が必要だ。相手がやることは自分もやらねばならぬ。相手が持っているものは自分も持たねばならぬ。その結果がどうなるか、そんなことは分らない。自分だけではない。誰にも分らないことである。とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。責任は自分にはない。どんなことが起ろうと、責任は凡て相手方にあるのだ。 
 果てしない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが軍拡競争の果ての姿であろう。
 要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ方法がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。
 一、二、三の掛け声もろともすべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。もちろん不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー
 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもっている。その前にはだかのかだかをさらそうと言う。なんという馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。まさに狂気の沙汰である。
 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。
 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。
 日本民族は幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その紙は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることによって再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。

問   お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下のところは差当りは問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したらです。

答   その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。しかも次の戦争は今までとはわけが違う。僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。もちろん軍隊をもたないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。とくに世界の一員として将来世界警察への分担負担は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。もしある国が日本を侵略しようとするそのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。その第三国との特定の保護条約生むにかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ

問   よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。もっとも草案は勧告という形で日本に本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

答   そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階であった。        幸いマッカーサーは天皇制を維持する気持ちをもっていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。所がアメリカにとって厄介な問題があった。それは豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備したら大変である。戦争中の日本軍の行動はあまりにも彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。日本人は天皇のためなら平気で死んでいく。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の評決ではアメリカは孤立する恐れがあった。この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。
 豪州その他の国々は日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である豪州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることができる。
 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。もっとも天皇制存即と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、またなかったからこそ続いていたのだ。もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。
 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打ち明けることのできないことである。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一年の一月二四日である。その日僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

問   元帥は簡単に承知されたのですか。

答   マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。
 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。
 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったらだれが世界の運命を切り拓くか。
 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現もまた空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たしうる位置にある。歴史の偶然は日本に世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は対外的にも対内的にも承認される可能性がある。歴史の偶然を今こそ利用する秋である。そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。
 また日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際ありうる。しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。未来を約束するものは、たえず新しい思想に向って創造発展していく道だけである。共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかのごとく考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史のかなたに埋没してしまうだろう。現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。それと同様に共産主義のイデオロギーもいずれ全く変貌してしまうだろう。いずれにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。 このことはやがてロシア人も気付くだろう。彼らの敵もアメリカでもなく資本主義でもないのである。世界の共通の敵は戦争それ自体である。

問   天皇陛下はどのように考えておかれるのですか。

答   僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案をもって天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。僕は元帥と会うときはいつも二人きりだったが、陛下の時は吉田君にも立ち会ってもらった。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、といわれた。この英断で閣議も納まった。終戦の御前会議の時も陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。もしあのとき天皇が権力に固執されたらどうなっていたか。恐らく今日天皇はなかったであろう。日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。当初の戦犯リストには冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのは元帥であった。だが元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。天皇は己を捨てて国民を救おうとさらのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。天皇は誠に英明であった。
 正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。危機一髪であったと言えるが、結果において僕は満足している。
 なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君から聞かれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。
--ここまで--

20130506

ソフトクリーム行脚

連休最終日。ふと、黒姫コスモス園のソフトクリームが食べたくなって、行楽というものに繰り出してみることにした。

お昼少し前に出発したのだが、予想外に道路が空いているではないか。

今日はもしかすると狙い目かも知れないと思い、戸隠に向かうことにした。

パワースポットということもあり、吉永小百合さんが宣伝してくれもしたので、戸隠は大層なブームになってしまった。
シーズンには竹下通り並みの人混みと聞いて、恐れを成して近付かないようにしていた。

ここで先ず早いお昼を食べる。
 以前は良く通っていた大久保の茶屋だ。

何年ぶりなのだろうか?

ここの蕎麦は少し固茹でだが、私は好きだ。噛みしめると独得の風味が口いっぱいに拡がる。

市内にもチェーン店があるが、そこの蕎麦ははっきり言って不味い。
水が違うのだと言うことがはっきり分かる。本店の蕎麦は冷たく綺麗な戸隠の水で打ってあるのでとても美味しい。

軒下にはリス用なのだろうか?ヒマワリの種が一杯入った容器が置かれていたが、そこに餌を食べに来るのは鳥ばかりだった。

庭を見ると、もうトガクシショウマが咲いていた。

特大というのもあったが、ちょっと遠慮し、ざる蕎麦の大盛りと山菜天ぷらを頂く。

蕎麦の味に変化はない。…と思う。
天ぷらは前より美味しくなったと思った。

典型的な田舎蕎麦である。
蕎麦は太く、そして硬い。信州流の唐辛子を掛けて食べる食べ方より、江戸っぽくワサビで食べた方が、この麺には合うように思えた。

店内も思ったより空いていた。余裕で窓際の席を確保できた。

さて、どうしよう。ここまで空いていると、行ってみたくなるでは無いか。

そう、恐れを成していた戸隠奥社へ!いよいよ向かうことに決めた。
やはり思ったより人出は多くない。

以前だと、少し待てば全く人気の無い戸隠を堪能出来た。

もうそれは無理だろう。

遠くまで見ると、かなりの数の人が来ている。
だが、「竹下通り」ではない。

蕎麦も食べたことだし、腹ごなしを兼ねて奥社まで行こうという話になった。

空は薄曇り、暑くもなく寒くもない、丁度良い陽気だ。これを逃すともう戸隠に来ることが出来なくなるかも知れないではないか。

興味もあったのだ。

人出がさほどではなかった頃、随神門の屋根には樹が生えていた。

あのまま放っておくと、随神門は壊れるのではないか?
そのように危惧していた。

有数の観光地になって、随神門は少しは手入れされたのだろうか?

少し歩くと随神門が見えてきた。

いや、あの樹が生えた風情もなかなか(おどろおどろしくて)良かったのだが。
 南から随神門を見る。

こちらからは大丈夫だったのだ。
だが、大きく感じた。これ程立派な門だったろうか?
北側からの随神門。

門をくぐり、すぐに屋根を見た。
おぉ!きれいになっている。

以前はこちらから見ると、この屋根の上に1〜2mの樹が何本も生えていた。
それがきれいさっぱり刈り取られている。

さすがだ。

Webなどで調べると、この随神門は戸隠の中でも随一のパワーがあるスポットだと言う。そんなものは全く感じなかったが、この門が様々な意味で境界になっている事は確かだと思う。
何よりも、並木を作る杉の密度が全く違う。
戸隠の杉並木は随神門から始まると言って良い。

子どもの頃、戸隠に連れてきて貰って、随神門をくぐった時の驚きは今でも覚えている。

一種の衝撃だった。

その衝撃は今でも感じることが出来る。

子どもの頃より杉も太くなっている筈だ。並木の迫力も増しているだろう。

ここの杉並木は地元だから贔屓目に見ている訳ではなく、見事なものだと思う。一見の価値は確かにある。

妙に人気がないのは、参道にうっすらと水が流れているからだ。それを避けて、皆杉の根元を歩いている。
これでは杉の根元が硬く締まってしまうではないか!と気が気では無かった。

水が流れているのを見て、雪解け水だと思っていたのだが、少し進むと参道にも積雪が残っていた。

あぁ、そうだよなぁ。と思ったのだ。

これも子どもの頃、連休中にも戸隠には雪が残っているのだと驚いた記憶がある。

しかも今年は4月21日に記録的な積雪があった。

恐らくその名残だろう。

水はこの残雪から流れ出していた。これも随神門を境界として起こっている出来事だった。
最初は珍しかった残雪もすぐに方々に見られるものになった。道の脇にはこの通り。

不思議なもので、最初は随神門だけ見て戻ろうと思っていても、いざ辿り着いてみると、それより先にどうしても行ってみたくなる。
例え、そこから先は勾配が急になると分かっていてももう止められない。
ぜえぜえ言いながらいつも撮る参道脇のお地蔵さんの所まで来た。ここまで来ればもう奥社はすぐそこだ。


最後の階段を登る。

私も随分歳を取ってしまったが、戸隠に来ていつも驚くのは、奥社まで来るお年寄りが多いことだ。

かなりきついだろうに。

このように思うのは、私自身がかなり限界を感じているからだ。

奥社まで来るのはもう最後かな?

しばしばそう思う。今回もそう思った。

戸隠山に登る人たちは、ここが事実上の出発点だ。元気だなぁと心から思う。

思いがけず奥社まで来てしまった。
奥社に行列が出来ているのを初めて見た。
改めて人気が出たのだなぁと感じる。

さて下山。地質屋は下りが早いのだ。

吉永小百合さんの杉の洞穴も素通り。

ここは未だに人気スポットになっている。

だが、さすがに入る人はいない。
意外に小さいのには少し驚いた。

ひと言も断らずに余りに早く下ったので女房殿からクレームが付いた。

一緒に来ている気がしないとの事。
済まぬ!これが私のペースなのだ。
戸隠奥社の次に向かったのが、近くにある神告げ温泉

凄い名称だ。パワースポット戸隠の近くにこのような名称の温泉があると言うことを今日まで知らずに居た。
由来は何だろう?と、やはり気になるではないか。

探してもそれらしいパンフもない。
仕方が無いのでお店の人に訊いてみた。

「社長が東の方を掘れば、温泉が出るという夢を見たんです。」

社長?…生きていらっしゃるんですよね?

「お祖父さんも見たそうです」

意外と新しい由来だった。

さて、いよいよソフトクリームだ!

カーナビに黒姫コスモス園と入力しても該当なしと出る。
仕方が無いので、黒姫童話館と入力すると出た。

思いも掛けない道を紹介された。
その挙げ句、コスモス園には行かず、直接童話館に着いてしまった。

童話館にはコスモス園からバスに乗るか、歩くかしなければ辿り着けないと思っていた。

こちら側からの童話館を見るのも今回が初めてだった。

人気がなく、やっているのかと一瞬危ぶんだが扉は開いた。やっていた。

だが、ここで意外な情報を得た。

コスモス園は15時30分までしかやっていないという。
もう過ぎているでは無いか!

ソフトクリームならば、ICの近くの道の駅しなので同じものが食べられるという。
そこならば夕方まで大丈夫だろう。

童話館でいつもの展示を見る。

エンデ館の入り口は鏡張りになっている。

ちょっとした目眩感を感じることが出来る。

いかにもファンタジーのエンデの館だ。

いつも同じ展示なのだが、私はいつも童話館を愉しんでいる。

いつでも何度でも新鮮なのだ。

今回は桜井誠の絵に感動した。この人の絵に私たちは育てられたのだ。『長靴下のピッピ』や『幸福な王子』の絵は懐かしく、それだけではなく、構図も大胆で良い絵だった。

今日は紙芝居の日。

お客さんもいないので、勉強会のようなものをやっていたが、私たちが顔を出すと、ひと作品読んで下さった。

紙芝居も良いものだ。

さて、今度こそソフトクリームだ!
道の駅へ行く。

だがそこで!待ち受けていたのは!!

がーん!!!

今日の行楽は、戸隠や温泉は単なる前座であって、更に黒姫童話館はついでであって、主目的はあくまでもソフトクリームにあったのだ!

駄目!とは…。

く、黒姫のソフトクリーム!!!