20130308

『イラン・パペ、パレスチナを語る』-など

何が報道で、何がプロパガンダなのか分からなくなってきた。

このような時はじっくりとまとまった本を読んだほうが精神衛生上にも良い結果をもたらす。

ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>が翻訳した『イラン・パペ、パレスチナを語る』(つげ書房新社,2008)が良かった。

この本は岡真理さんの『アラブ、祈りとしての文学』と共に、わたしが「パレスチナ」を考えてゆく上で軸となってゆくような気がする。


無論、E.W.サイードの一連の著作は、今も強烈なメッセージを放っており、良き指針となっていることは確かな事だ。


イスラエルのニュー・ヒストリアンの一人でもあるイラン・パペが2007年3月に行った3つの講演と質疑応答を記録したものだが、いずれ日本語訳が出されるだろうイラン・パペの『パレスチナ現代史』へ、良い導きになってくれそうだ。

講演と質疑応答なので使われている言葉は難しくない。だが、それだけに難しい本だと感じた。
言葉が難しくないので、自然にパペの主張を受け容れてしまう。

パレスチナに2つの国を作ろうとすること自体が言ってみればアパルトヘイトなのであって、目指すべきは2つの民族が共存して生きること。

思わず納得してしまう。
だが、それを希望として掲げる事は、現実的には極めて困難な事だと感じる。

この本に書かれていることで、初めて知ったことも多い。

帯にも書かれているが、最初の講演での終わり近くで語った

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私たちすべての人にとってパレスチナ/イスラエルに注意を向けるのが義務であるのは、その地域が注目すべき不正義がなされている世界で唯一の場所であるからではなく、世界がもっているはずの、不正義を看過しない能力に対して影響を及ぼしうる中心的な問題だからです。
--イラン・パペ--

と言う言葉には感銘を受けた。 …このように抜書きすると感銘は薄れる。

不正義や義務がどうのこうのという言葉が妙に説教臭くなってしまう。やはりこの本を通読して頂きたくなる。


ところで、報道はどうなってしまったのだろう?


少し(どころではないが)時計を逆戻りさせてみる。


妙な報道が目に付くのだ。


基本的にはP-navi infoの「空に光るものは……」に書かれているような

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 いつものように、ひどい殺戮と破壊の後には、ちょこちょことミサイル攻撃が続き、少しずつ人が殺される。しかし、メディアの注目を浴びることはない。パレスチナ側が「何かをしでかした」時に、急にそれが起点として語られるようになるだけ。そういうパターンを今もまた繰り返していると思う。
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まさにそういうパターンを連日のように繰り返しているのだが、それに混じってイスラエルがリークした情報を裏付けなしにそのまま載せているような記事が目に入る。
それが先に書いた報道なのかプロパガンダなのか分からないの意味なのだが、本当にどちらなのか分からないのでうっちゃっておく事にしている。

2009年2月6日には次のような記事が幾つも報道された。 US Jewish leader sees "pandemic of anti-Semitism"

何と言うか…これはプロパガンダにすら値しないような気がするのだ。

完全に批判可能性を封じてしまう言説だ。
イスラエルがやっている事を少しでも批判すると、それは反ユダヤ思想だということになりうる。

ユダヤ人にとって逆効果じゃないか?

anti-Semitismに関してはen.wikipediaの記述が詳しい。日本語もとりあえずあるが、余り参考にならなかった。

ホロコーストという言葉を使うことはユダヤ人に対する攻撃である、という記事もあった。

ホロコーストはナチスドイツが組織的・計画的に行ったユダヤ人に対する大量虐殺のことだ。とその記事では仰っていたが、ナチスドイツをイスラエルにユダヤ人をパレスチナ人に置き換えただけで今回のガザ虐殺にはそのまま当てはまりそうな気が、わたしにはする。


イラン・パペは1948年にあった事を「Nakba(大災厄)」と表現するのは適切ではないと指摘している。
それはその年に突然起きた大災厄ではなく、それ以前から組織的・計画的に行われていた「民族浄化」が完成した年なのだと。


2008年12月27日にガザ虐殺が始まって、すぐヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読んだ。

その中で目に留まった部分を『DAYSから視る日々』でも採り上げていた。
題して「ガザの夜と霧」。それをコピペしておきたい。勿論、全文にも眼を通してもらいたいと思う。

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 「・・・とくに、未成熟な人間が、この心理学的な段階で、あいかわらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度を見せることがしばしば観察された。そういう人びとは、今や開放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履き違えるのだ。こうした幼稚な人間にとっては、旧来の枠組の符合が変わっただけであって、マイナスがプラスになっただけ、つまり、権力、暴力、恣意、不正の客体だった彼らが、それらの主体になっただけなのだ。この人たちは、あいかわらず経験に縛られていた。
このような事態は、些細なことをつうじて明らかになった。たとえば、ある仲間とわたしは、ついこのあいだ解放された収容所に向けて、田舎道を歩いていた。わたしたちの前に、芽を出したばかりの麦畑が広がった。わたしは思わず畑をよけた。ところが、仲間はわたしの腕をつかむと、いっしょに畑をつっきって行ったのだ。わたしは口ごもりながら、若芽を踏むのはよくないのでは、というようなことを言った。すると、仲間はかっとなった。その目には怒りが燃えていた。仲間はわたしをどなりつけた。
「なんだって? おれたちがこうむった損害はどうってことないのか? おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて・・・」
不正を働く権利のある者などいない。たとえ不正を働かれた者であっても例外ではないのだというあたりまえの常識に、こうした人間を立ちもどらせるには時間がかかる。そして、こういう人間を常識へとふたたび目覚めさせるために、なんとかしなければならない。・・・」
 --V.E.フランクル--訳・池田香代子--

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