20130228

Blütenlese

Blüteとは花の意。
詞華集とはこのドイツ語の翻訳か?
ふとそんな事を思ってみた。

Selma Neerbaum-EisingerがReclam文庫になった。

Blütenlese

アンソロジーという意味だ。

これ程相応しい題名もあるまい。そんな気がする。


只のReclam文庫の表紙だが、それに意味がある。
あのSelmaがReclam文庫になったのだ。

何年前だろう、間違いなく黒姫のよしはらさんの紹介で知った。

リンク先の詩も勿論ある。

そればかりではなく今迄知らなかった詩が沢山あるのに驚いている。Webで知り得たのはほんの10篇に満たなかった。

僅か18でホロコーストの露となってしまった。けれどこの人の詩ほど生命の躍動を感じる詩も少ないと思う。命の叫びと言ってもいいと黒姫のよしはらさんに同意する。


好きな詩をひとつ引用しておきたい。気が向いたら訳すかも知れない。


Träume

Selma Meerbaum-Eisinger

Es sind meine Nächte
durchflochten von Träumen,
die süß sind wie junger Wein.
Ich träume, es fallen die Blüten von Bäumen
und hüllen und decken mich ein.

Und alle diese Blüten,
sie werden zu Küssen,
die heiß sind wie roter Wein
und traurig wie Falter, die wissen: sie müssen
verlöschen im sterbenden Schein.

Es sind meine Nächte
durchflochten von Träumen,
die schwer sind wie müder Sand.
Ich träume, es fallen von sterbenden Bäumen
die Blätter in meine Hand.

Und alle diese Blätter,
sie werden zu Händen,
die zärteln wie rollender Sand
und müd sind wie Falter, die wissen: sie enden
noch eh' sie ein Sonnenstrahl fand.

Es sind meine Nächte
durchflochten von Träumen,
die blau sind wie Sehnsuchtsweh.
Ich träume, es fallen von allen Bäumen
Flocken von klingendem Schnee.

Und all diese Flocken
sie werden zu Tränen.
Ich weinte sie heiß und wirr -
begreif meine Träume, Geliebter, sie sehnen
sich alle nur ewig nach dir.

8.11.1941

この詩を元に作られたYouTube動画もある。

20130224

ヘビメタソナタ月光

ベートーヴェンのソナタが頭から離れない。

離れない割にはそれぞれの区別が付いていないようで
先日のエントリでも触れたとおり
頭から離れないのに題名の分からないメロディーがいくつもある。

その内のひとつがこれ。

ベートヴェンらしい事は辛うじて判別出来ていた。
曲の形式からして、それがソナタである事も分かっていた。


しかし今回は一発では当たらず、
もやもやした気分が続いた。

居心地が悪く、
題名を判別する為に、
ベートヴェンのソナタを全曲聴いてみる羽目に陥った。
そして何と最後に聴いたソナタが
題名が分からずにいた曲だった。

しかもそれは『月光』。
我ながら何と言う名曲を忘れていた事か!
恥ずかしくなった。


勿論あの第1楽章は忘れる筈がない。
第1楽章を聴けば第2楽章は自然に浮かんでくる。


分からなかったのは『月光』の第1・2楽章が余りにも身近過ぎたせいでもあったと思う。

ずっと第3楽章が頭の中で鳴り続け、それが何の曲か分からずにいたという訳だ。

まさか忘れる訳がないとチェックせずにおいた。
流石に「外れ」が続くとよもやあれではあるまいな…。と疑い始め、
YouTubeでチェックしてみて分かったのだ。

その作業の最中に見付けたのがこの動画。

いやはや、
凄いもんだ。

メタル魂炸裂!

ベートーヴェンも現代に生きていたら、
『月光』の第3楽章はヘビメタで編曲したかも知れない。
そんな事をふと思ってみた。

それはちょっと哀しい事だ。

何故なら私は『月光』が大好きで(だったら忘れるな!と言いたい)、
あまりヘビメタ好きではないからだ。

しかし確かに凄い!

20130222

Dans le même wagon

たまにこうした事が起こる。

朝から頭の中に懐かしい音楽が響いていた。
子どもの頃聴いたような気がする。

何の曲なのだろう?

気になってiPhoneの鼻歌検索アプリSoundHoundで調べてみた。
駄目。
歌が下手なせいか、全く見当外れの結果しか出ない。

このアプリは最近巧く検索してくれなくなった。

分からないとなると俄然気になってくる。
日本語の歌詞もあったが、元はフランス語っぽい。そんな記憶がある。

さてはて、どうしたものか?


口笛で何度もメロディーを繰り返していると、
「そよ風」というフレーズが浮かんだ。
メロディーは確かにそよ風っぽい。


駄目で元々、検索してみよう。
YouTubeを立ち上げ、「そよ風」と入力してみた。

「そよ風の誘惑」
「そよ風のメヌエット」
「そよ風のマーチ」
「そよ風に寄り添って」
……。

候補は沢山ある。

メヌエットやマーチではなさそうだ。


これ?かな。
当たりを付けたのは
「そよ風にのって」


大当たりぃ!!!

まさに「その」メロディーが流れ始めた。

やった!これだ!!

原題はDans le même wagon
Marjorie Noelと言う人の唄だった。

こみ上げてくる。
勘が一発で当たった快感!


こうなるとどんな歌詞なのか気になってくる。

ところがDans le même wagonまたはMarjorie Noelで検索して引っ掛かってくるのは日本語か韓国語のサイト。
欧文のサイトがなかなかヒットしない。

東アジア向けの「シャンソン」だったのかも知れない。

それでも何とか歌詞を見付ける事が出来た。

「そよ風にのって」は名訳だと思う。
このメロディーに(何しろ一発で当たったのだから)ぴったりだ。

Dans le même wagonは「同じ列車で」と言う事になるのだろうか?

同じ車両に乗り合わせたひとに淡い恋心(恋の予感?)を抱く可愛らしい歌詞だった。



Dans le même wagon

Nous voyageons dans le même wagon
Tous les deux {x2}
Et nous allons dans la même direction
Tous les deux {x2}
Mais moi, je ne te connais pas
Et toi, tu ne me connais pas
Pourtant dans peu de temps ça changera
Car tout à l´heure dans le même wagon
Tous les deux {x2}
Tu m´as souri et tu as cherché mon nom
Dans mes yeux {x2}
Bientôt dans des bruits de tonnerre
Nos cœurs ne pourront plus se taire
De tout le train c´est toi que je préfère
Nous voyageons dans le même wagon
Tous les deux {x2}
En arrivant je crois bien que nous serons
Plus heureux {x2}
Et si tu penses comme moi
Au bout de ce voyage-là
L´amour viendra nous prendre entre ses bras
Et si tu penses comme moi
Au bout de ce voyage-là
L´amour viendra nous prendre entre ses bras

わたしたちは同じ車両で旅をしています
お互いに(x2)
そしてわたしたちは同じ方向に進んでいます
お互いに(x2)
けれどわたしはあなたを知らないし
それにあなたはわたしをしらない
しかしそれはまもなく変わるでしょう
同じ車両の(同じ)前に向かっているから
お互いに(x2)
微笑んであなたはわたしの名前を見た
わたしの目には(x2)
すぐに雷が
わたしたちの心はもう黙ってはいられません
物語はわたしがあなたを好きという方向に進んでいます
わたしたちは同じ車両で旅をしています
お互いに(x2)
わたしたちが着いた時わたしたちは信じています
より幸せを(x2)
そしてあなたがわたしの様に思うのなら
その旅の後
彼の腕の中でわたしたちは愛に陥ります
そしてあなたがわたしの様に思うのなら
その旅の後
彼の腕の中でわたしたちは愛に陥ります

何だかよく分からない訳になってしまった。
これだったら詞だけを載せて翻訳ソフトにかけて貰った方が良かった…orz

折角の感動が遠くに去って行くよ!

ま、私の事だ、こんなところだろう。

日本語ヴァージョンもあった。
フランス語の方が遙かに良い。

「走る」が「あしる」になっているのはフランス人のご愛敬と言うところか?


頭の中にはまだまだ題名の分からないメロディーが山のように残っている。

20130219

鴨脚樹

月に一度来るしのばず自然観察会からの会報が届いた。

クイズが載っていた。

鴨脚と書いて何と読む?

全く分からなかったので検索してみる。

何と…
…。
銀杏!

驚いた。驚きついでにATOKで「いちょう」と入力してみる。

出た!…。
鴨脚樹!!

それだけではなかった。

広辞苑を引いてみると、

「イテフの仮名を慣用するのは「一葉」にあてたからで、語源的には「鴨脚」の近世中国音ヤーチャオが転訛したもの。(略)」

とある。

鴨脚樹の方が語源に近いとは!

鴨脚は苗字として有名らしい。名家のようだ。

20130217

Sapaの子どもたち

全く知らない言語のBlogも大意を掴む事が出来るようになった。Webの有り難いところだ。

FBで出回っていた写真が良い。画像検索して、とあるBlogに辿り着いた。ベトナム語。どうやらベトナムの少女のようだ。







北部Sapaの少数民族の子どもたちらしい。

多分ここが出所だろう。
Trải nghiệm: Cùng trẻ em San Sả Hồ - khám phá SaPa

良い写真に出会う事が出来た。


何と言う笑顔だろう!

20130215

St. Valentine's day

女房殿の娘さん(だからと言って我が娘ではない。そこがほろ苦く、味わい深いところだ)のM美さんが今日届けてくれた。

容器には色気がないが、この生チョコ、ロイズやモンロワールのものよりも美味しいのだ!

最近甘いものに目覚め続けている私には分かる!はっきりとそう断言出来る。

私が高校生だった頃、まだ世の中にそれ程ヴァレンタインディは定着していなかったと記憶している。

幸いだったと思う。地の底を這う程にモテなかった。けれど一丁前に傷付きやすさを持っていた。あの頃、ヴァレンタイン狂想曲が蔓延していたらどうなっていたことだろうか?


大学に入って、京王線に乗っていた時のことだった。

向かいの席に坐っていた女子高生が手にチョコを持っているのを見た。

驚愕した!

そのチョコにはでかでかと「義理」と書いてあったのだ。

こんなものがあるのか!

この年齢でもう「義理」だの何だのに気を配らねばならないのかと不憫に思った。だが、そこでこの風習(商業的だが)は留まらなかった。それは皆様の方がご存じの事と思う。

話としてはSt. Valentine's dayなるものがある事は耳にしていた。けれど、それとは別のヴァレンタインディと称すべきシロモノが、現実社会で嵐のように吹き荒れる風習となっていたの初めて体感したのだ。


私が朴念仁なので、只単に知らなかっただけなのだろうか?

そうとも思えない。モテた友人もそれ程手に余る程のチョコレートを手にしていた記憶が無い。

そんな中に突如として義理チョコの文化は発生したのだ。第一あのフォークソングなるものにもヴァレンタインディは登場しないではないか。


今日渡された生チョコは正真正銘の義理チョコだろうが、それも良き哉。 ロイズよりモンワールより甘く、ほろ苦く美味しい生チョコを頂けるのだから幸せな事だ。そう自覚出来る。

ほろ苦く、時にしょっぱいが、それなりに甘く、味わいが深い。

私の人生、それ程悪くない。

20130213

Er ist wieder da

多分翻訳され、話題作になるだろう。だが、私はこのドイツ語の題名で、この表紙で読みたかった。

"Er ist wieder da"
そのまま英訳すれば"He is here again"ということになるのだろう。

和訳される時はどの様な題名が付けられるのだろうか?『ヒトラーの復活』ではひねりがなさ過ぎる。と言うより、原題のニュアンスが伝わらない。

突然、何の前触れもなくヒトラーが現代に復活する。

それがこの物語の始まりだ。だから前述の様な題名が付けられる予感がある。避けて貰いたい。

それにしても、彼はかつて何故あれ程愛されたのだろうか?

ともあれ「彼」は聡明だ。2011年の8月30日に忽然と復活した彼、ヒトラーは忽ち現代に適応して行く。Emailを操りケータイ、Webを使いこなすようになるのにそれ程時間は掛からなかった。

勘違いが複雑に絡み合い、彼はテレビスターになってゆく。


コメディアン。それが彼が新に与えられた職業名だった。だが、彼は70年前の主張をそのまま繰り返しているに過ぎない。

彼に備わった「感じの良さ」が笑いを誘う。

何と言う恐るべき「勘違い」!

現代の矛盾に対する的確な指摘もコメディーとして受け容れられ、むしろ現代人は彼ヒトラーに強く惹き付けられて行く。


このような「彼」の描き方が、現代のドイツで許されるとは思わなかった。それが正直な感想だ。もっとドイツは深刻に過去を懺悔していたのではないか?


作者は、「愛された」魅力的なヒトラーを描こうとしているのだ。戯画化された怪物ヒトラーでは、過去の熱狂は説明出来ない。

しかし、それが余りに成功している為、読者は笑いながらも、ヒトラーの主張に頷いている自分を見いだし驚愕するだろう。


安倍内閣が支持率70%を超えた。
日本人はどこへ行こうとしているのだろうか?
その日本人はこの本が翻訳された時、どの様な感慨を持つのだろうか?

慎重な翻訳が期待される。

20130212

断煙100日

断煙し始めて100日経った。

iPhoneアプリ「禁煙ノート」には切りの良い数字が並ぶ。

  • 吸う筈だった煙草の本数:2,000本。
  • 得した煙草代:44,000円。
  • 得した時間:166時間。

この内煙草代と時間はそれ程実感がない(しかし44,000円は凄い!)。

ご褒美と称して、氷見から海とろ丼鰤を取り寄せたり、甘いものを頻繁に買ったりしている。
それにもともと収入が減るから煙草を止めようと決断したのだ。得したとは感じられない。

また、煙草を吸わなくても十分に無駄に時間を使っている。煙草を吸う為にベランダで過ごした時間は確かに完全に無駄な時間だったが、その分時間を有効に使っているとは死んでも言えない。


けれど吸う筈だった煙草の本数には正直言って衝撃を感じている。


ただし、これは1日に20本煙草を吸うものとして計算している。
断煙する数ヶ月前から、あれこれあがいて「断煙の練習」をしていたので煙草の本数は激減していた。正確とは言い切れない。

しかし、少なくとも1日に10本は煙草を吸っていた。つまり断煙を始めた期間の内に少なくとも1,000本は煙草を吸っていたことになる。


千の単位の本数で煙草は消費されていたはずなのだ。


妙な言い回しになるが、地道に努力する者には敵わないなと感じるのだ。


学生時代は今より遙かに吸う煙草の本数が多かった。
1日に2箱は吸っていたのではないだろうか?そうなると100日に4,000本という事になる。

2,000本は妥当な数字だと思う。


吸わない!を意識し始めたので、長く感じるが、 100日は煙草を吸っていた期間に比べて遙かに短い。その短い期間の内にこれ程大量の煙草を消費していたのだ。


一気に2,000本の煙草を吸え!そう言われて出来るものではあるまい。

1時間に1本ずつ。「真面目」に吸い続けたのでこの数字が達成出来ていた。


逆に言えば、「真面目」に断煙を続けたので、2,000本吸わなかったという数字が達成出来たのだ。

1時間に1フレーズ、外国語のフレーズを覚えれば100日で2,000フレーズ覚えることが、(理論上では)可能なのだ。会話が出来る!


実際には吸った煙草はいつ迄も吸った煙草であり、吸わなかった煙草はいつ迄も吸わなかった煙草のままだ。
外国語のフレーズは忘れる。理論上で出来る事も、そうやすやすと実行出来るという訳では無い。


けれど、この100日で2,000本の煙草を吸わなかったという業績も実行出来た事柄のひとつである事には変わりあるまい。

断煙という成し難い事業をひとつ、達成したのだ!


この事実にはもっと自信を持っても良いだろう。


断煙を始めてから、それ迄殆ど更新されていなかったこのBlogも比較的頻繁に更新されるようになった。
その事も密かに特筆すべき事柄として意識している。


更新しなかった時期に失ってしまった読者は戻っては来ないだろうが、新しい読者もその内に付くのではないだろうか?

しかし、頻繁に更新するようになって、若干文章が荒れている。これは意識して直して行かねばと思っている。
昔は、Upしてから相当経ってからも文章に手を加えていたのだが、最近それをしなくなっている。直した文章が読まれないからだ。読まれなくても精進は必要だろう。反省!

過去のBlog、それもこのBlogではないBlog群に載せた文章を読むと、格調の高さにびっくりする。取り戻したいものだ。


今こうして実際に読んで下さっている皆様には心から感謝の意を表したいと思っている。
本当にありがとうございます。

20130210

トルストイの家出


そっと置いておきたい。今回はそんな気分。





徹底した非戦・非暴力を唱え、20世紀の世界に多大な影響を与えた平和思想家トルストイ。しかし、その名声とは裏腹に、家庭では16歳年下の妻ソフィアとの確執が絶えず、死の間際にはついに家出を決行する。 82歳の老作家を家出にまで駆り立てた夫婦の対立とは何だったのか。

今回、その謎に光を当てる資料が初めて公開された。ロシアの芸術アカデミーに保管されていたソフィアの日記である。そこからは自らの崇高な理想と家族の現実に引き裂かれ、もだえ苦しむ生身の人間としてのトルストイと妻ソフィアの姿が浮かび上がってきた。

番組は、ダンサーの田中泯さん、俳優の余貴美子さんによる日記の朗読劇を軸に、トルストイと妻ソフィアが繰り広げた知られざる愛と葛藤の日々を見つめる。  (公式サイトより引用)

動画への直リンク
ETV特集 動画 「トルストイの家出」 10年12月06日放送分

 

20130208

ルドルフ@YouTube

きちんと探してみれば見付かるものだ。

「母と子のテレビ絵本」版のルドルフがYouTubeに上がっていた。
恐らくそれ程遠くない過去にあげられた動画だろう。以前検索した時は引っ掛かってこなかった。

ルドルフとイッパイアッテナ①

ここから最後まで辿って行く事が出来る。

試しに幾つか並べておこう。



この作品はビデオで商品化もされていた(もう入手は困難になってしまった)ので図書館などで探せば意外とあるのだが、なかなか見る事は出来ない。


久し振りに観てみたが、やはり良い。「母と子のテレビ絵本」のテーマも入っているのが嬉しい。



調子に乗って更に探してみると、

ルドルフ ともだち ひとりだち 1

あった!

こちらも何とか最後まで辿ることが出来る。

この作品は、商品化されていたかどうか、私は知らない。恐らくされていないのでは無いだろうか?私は丹念に放送されたものを録画した。かなり努力した記憶がある。

この作品で、初期のルドルフは一応完結する。その意味でさらに貴重な動画と言える。

余り宣伝すると削除されてしまうかも知れないのでこの辺りで留めておく。


20130207

ルドルフとスノーホワイト

このシリーズも4作目が出た。

しかし、

私は

(小さい画像しかないが)
この堀口忠彦の絵ですっかり慣れ親しんでしまっている。

1作目『ルドルフとイッパイアッテナ』も2作目の『ルドルフともだちひとりだち』も本を持っていない。

何年前になるのだろう。NHK教育(どうだ!懐かしい呼び方だろう!)の「母と子のテレビ絵本」でこの2作を採り上げていた。
毒蝮三太夫の怪演も素晴らしかったが、何と言ってもこの番組を盛り上げたのは、堀口忠彦の絵だった。

この番組を録画したのは大正解だった。

ビデオは東日本大震災のまさにその時、東北を「巡業」した。
一時は帰ってくる事を諦めもしたが、無事震災をくぐり抜けて帰ってきた。デジタル版のおまけまで付いていた。

このビデオは私の宝物である。

この絵に魅せられてしまってはどうにも本の杉浦範茂の絵に不満を持ってしまう。
…絵柄が「怖い」のだ。


しかし、もう「母と子のテレビ絵本」はやっていない。無い物ねだりをしても仕方が無いだろう。

3作目の『ルドルフといくねこ くるねこ』から本を買い始めた。

4作目になって、この絵にも慣れてきた。

絵も若干明るさを持ち始めたのでは無いだろうか?

ルドルフとスノーホワイト』はルドルフの仲間ブッチーの子どもチェリーが行方不明になるところから急展開し始める。

チェリーはトラックに乗って東京へやって来たルドルフに憧れていた。もしや…。

登場してくる猫たちは大半が今迄出て来た猫たちなのだが、この作品で登場してきたスノーホワイトが魅力的なのだ。

姉御肌。だが意外に乙女!

スノーホワイトに逢えただけでも、この作品を入手した甲斐があったというものだ。


物語は従来の作品に比べて、ちょっとドタバタが多いかな?という感触。

それに、終わり方が次回作に引き摺る形で急いでしまっており、終わった気がしない。

どうせ暫くは次回作は出ないのだから(一体何年待った事だろう)1冊1冊の独立性に重点を置いて欲しかった。

名作と言って良いシリーズなのだから。

前回作と合わせじっくり味わって、書評Blog『夏の行方』の方に纏める事も考えている。

20130206

断煙3ヶ月!ご褒美に代替依存か?

他にも実は自分へのご褒美と称して、毎日食べている物があるのだ。
これである。

病み付きなのだ。

シュークリームで無くとも良い。
甘ければ良いのだ。


毎日シュークリームをひとつ、
または
ストロベリー&チーズムースをひとつ、
食べてしまっている。


…。
……。
そう、…食べてしまっている。のだ…。


これが煙草の代替物である事は確かだと思う。

強い喫煙衝動に駆られると、それを忘れる為に甘いものが欲しくなる。

最近は喫煙衝動を通り越して、ダイレクトに甘いものを欲するようになってきている。
煙草への依存が無くなる前に、甘いものへの依存が始まったのだろうか?

これでは煙草代の節約に殆どなりゃぁしない。


これも止めなければなぁ…とは思っている。
今のところ体重は(それ程)増加していないが、脂肪を摂っている事に変わりは無い。
欲しているからと言って、摂って満足感があるかというとそうでも無い。満たされる感覚は無く、そこは煙草と似ている。

少なくとも健康的では無い。


自分へのご褒美としては、氷見の鰤だけでも十分満足なのだ。いや、十分過ぎるだろう。



煙草を止めて、丁度3ヶ月を突破した。

鰤、旨っ!

一口食べて思わず声が出た。

ナガラモがここ迄効果を上げるとは思っても居なかった。
鰤!旨っ!!最高!!!

永芳閣から今朝、海とろ丼鰤が届いた。丁寧に梱包してある。そのまま冷蔵庫で解凍。

女房殿が帰ってくるのを待ち、あれこれ味を想像してみた。

そのいずれとも違っていた。現実に届いた海とろ丼鰤は、山国長野県人の想像を軽々と超えていた!


思わず顔が笑ってしまう。

この食べ方はひとつの発見だと思う。


海とろ丼鰤@自宅

何と言うハーモニーであろう。

づけの鰤だけでも旨いのに、ナガラモがそれを倍増する。
女将さんのBlog

>忘れちゃいけないのがこの薬味!!

と書いてあったがその通りだった。
大根おろしとワサビを1:1に合わせた薬味が効いてくる!

大根おろしだけ、またはワサビだけではこうは行かない。


…、至福。である。


いやはや。ここ迄旨いとは思ってもみなかった。
長野県人には死んでも思いつかない食べ方だ。

氷見の鰤をづけにするなんて!
そしてそれをナガラモと和えて食べるなんて!!

このようなものを食べると、
食べる事は1冊の重厚な小説を読んだり、絵を観たり、
長編の映画を鑑賞するのと同じ、
ひとつの文化だとはっきりと理解出来る。

永芳閣と知り合った事は、
私にとってかけがえのない幸福のひとつだと自覚している。

これから取り寄せて食べる方は、づけを倍増または3倍増する事をお奨めする。
贅沢だが、それだけの価値は十分にある。

20130204

海とろ丼鰤

もうすぐ3ヶ月を突破するが、今になって断煙という行為が、結構難事業だったと感じさせられている。最初の3日間を突破すれば、後は簡単だと思っていたが、未だに強い喫煙衝動がある。これは誤算だった。煙草を止めれば吸いたくならなくなるものだと思っていた。

けれど、積み重ねというものは大したもので、止めてから今日まで吸う予定だった煙草の金額が4万円を超えた。それだけの金を煙にしていた訳だ。

断煙の切っ掛けが収入の減少だった。だからこれだけの金額が貯まった訳では無い。残念だが貧乏なままだ。

だが、いちいちご褒美をあげようという気分にはなる。


少しBlogを見ていなかったら、もう永芳閣のお取り寄せに載っていた。今回のご褒美はこれにしよう!


このどんぶりの名称を募集していた頃から、必ず食べようと狙いを定めていた。旨そうだ!!

私も少し考えたのだが、鰤とろ丼くらいしか思いつかなかった。良い名前が付いたものだ。


この永芳閣の女将さん、余程普段から美味しいものを食べているに違いない。次から次へと旨そうなものを考え出してくれる。

本来ならば永芳閣まで出向いて泊まりたいところだが、懐がそれをなかなか許してくれない。そんな私たちの為にこのBlogからお取り寄せが出来る。

お蔭で山国に居ながら、海の幸にありつく事が出来る。有り難い事だ。

ここは頻繁にチェックしておきたい。

20130202

Concierto De Aranjuez

そもそもJim Hallのアルバム『Concierto』が名盤なのだ。

メンバーは
Jim Hall(guitar)
Chet Baker(trumpet)
Paul Desmond(alto Sax)
Roland Hana(piano)
Ron Carter(bass)
Steve Gadd(drums)

スーパープレイヤーが勢ぞろいしている。

これが1000円以下とは恐れ入る。


表題曲は名曲『アランフェス協奏曲』

多くの名演奏があるが、このアルバムに入っているテイクも押しも押されもせぬ名演奏だと思う。

YouTubeに上がっていた。


削除されても良いように、他のもあげとこう。Part2へはリンクを辿って行ける。



アルバムに含まれている曲はどれも名演奏と言える。

中でも1曲目『You'd Be So Nice To Come Home To』が良い。

YouTubeで探したが、上がっていなかった。残念!

20130201

海街diary 1〜5巻

もしかすると世紀の大傑作が産まれる瞬間に立ち会っているのかも知れない。


これに出会ったのは2007年の時だったと記憶している。
漫画でこれ程の…と言うより、漫画だからこそ出来る表現に達しているのに度肝を抜かれた。

主な舞台が鎌倉というのも良い。個人的に非常に思い入れのある街だ。


祖母の残した大きな家に住む3姉妹。ある日、遠く山形から父親の訃報が届く。

実感の伴わない葬儀の身のやり場のなさが描かれ、「家族」を問うこの物語が始まって行く。

葬儀で3姉妹は腹違いの妹、すずと出会う。

そのすずの泣き方が凄いのだ。この号泣の描き方は漫画で無ければ不可能だったろう。漫画史に残る名場面なのでは無いかと個人的に思っている。


1巻の号泣が印象的過ぎた。2巻は若干醒めた視点で読んでしまった。けれど、読みかえしてみると、物語が丁寧に作られている事が分かる。

1巻だけで止めようと思っていた計画は崩れた。


すずを主人公にするという設定は、最初からあったのだろうか?主に彼女の視点から物語は語られ、他の3姉妹の視点がそれに絡む。

シリアスな展開でも重くならず、ストーリーと絵が相乗効果をあげて微妙な心理描写が可能になっている。


吉田秋生は他の作品でも子ども時代を子どもらしく送れなかった者が遭遇する困難さを描いているが、「カリフォルニア物語」では、それを問題提起として痛烈に描いていたのに対し、「海街Dairy」では、その問題をどのように乗り越えていくかを描こうとしている。

その姿勢があくまでも丁寧で繊細なので、読む者は救われる。

只者では無い。


4巻から5巻までの間はかなり時間が空いた。なので、この期間に1〜4巻を繰り返し読む事が出来た。そして、読む度にこの作品が繰り返し読むに耐える名作である事を確信した。

そして5巻!


今迄で最も充実した巻なのでは無いだろうか?

完結してはいない。けれどこれは採り上げなければと思わされた。


また読みかえしてみた。

名作である。
その誕生に立ち会えた事は幸運だったと思う。





…まだ完結していないけれど。