20091228

急に楽になった

こんな事が起こるのかといった気分。半ば感心している。

すぐに元に戻ってしまうのかも知れない程あやふやな感覚だが、18時頃、楽な場所にすとん!と降りた様な感覚が訪れる。

あやふやなので記しておきたい。

あれ程しつこくつきまとっていた煙草がわたしから離れた。
今は、過去の自分が何故煙草の様なシロモノを欲しがっていたのかそれすら理解出来ない。何であんなものを吸っていたのだろう?

「抜けた」感触がある。
この感触は、いつまでも捕まえておきたい。今年のうちにこんな感触を持つ事が出来るとは、今日の夕方になる迄想像も出来ない事だった。

断煙した人は、皆、こんな感触をどこかでつかんでいるのだろうか?強制的に閉じ込められていた、暗く冷たい場所から解放された様な不思議な感覚だ。

だが、油断しない様に!
そして、あやふやさを確かめようとしない様に。
あやふやさは不安と紙一重だが、光が射し込んで来る様な期待感もまた確かにあるのだから。

20091225

それ程単純な事ではなかった

煙草は何も与えてくれない事、多くを奪う事、そしてわたし自身の人生を破壊するものである事。それをきちんと理解し、信念を変えれば、今年のうちに煙草から自由になれると思っていた。
物事はそれ程単純で甘くはなかったようだ。

今年も残り1週間を切った。
まだ、ふとした気の弛みから、煙草に引き寄せられてしまう自分を感じる。

その一部始終を書いておけば、それなりに面白いBlogになったかも知れない。実際、断煙日記になっても構わないと思った事もあった。

けれど、正直に告白してしまうと、その余裕がなかった。
兎にも角にも断煙を続ける事。その事だけで頭の中は一杯だったし、その理性も時としてぶっ飛んでしまいそうになる程、煙草への誘惑は強烈でしつこいものだった。

断煙を始める前は、せめて、吸わないからと言って、喫煙者を弾劾する様な奴にだけはなるまいと思っていたのだが、ずっと煙草について考え、どうせ考えるのであれば…と、何冊も煙草に関する本を読んで来た今となっては、かなり過激な(今のわたしには、それは日本だからだとしか思えないのだが)嫌煙原理主義者となってしまっている。煙草について知れば知る程、その理不尽な、そして厄介な存在に敵対してゆくしかなかった。

日本は余りにも麻薬に関して寛容に過ぎるのではないだろうか?今はそう思っている。


ひと月も経ったら、禁煙本は捨てるつもりでいたのだ。もう用はない、と。

残念ながら、捨て去る事が出来ずにいる。むしろ、それにすがって、綱渡りの様な断煙の日々を渡り歩いている状態が今も続いている。

この1ヶ月間、読んだ本と言えば煙草に関するものばかりだった。にも拘らず、まだ、同じ様な本を求めている。断煙に踏み切った時の気分を持続していないと、断煙そのものが途切れてしまいそうな気がしたからだ。

煙草と言う存在が、これ程厄介なものとは思ってもいなかった。

あと1週間で、煙草から完全に自由になれるとは、とても思えない。情けないが、これが今のわたしが辿り着いた場所だ。それも全身全霊を掛けて辿り着いたと言って良い。


最初に煙草を吸った時の事を、何度も思い出した。
成人を過ぎて、わたしは煙草に手を出したのだ。長い間、それを誇りにすら思っていた。だが、何と言う愚かな行為だった事か。成人に達していながら、煙草に手を出すとは!
まともな分別や、判断力もあったろうに。何故易々とそれを捨て去ってしまったのだろう?

20歳を過ぎてから、人生は辛いものになった。その辛さを一時的にでも忘れたくて、煙草に手を出したのだ。半ば、自分の人生を捨ててもいた。
その頃の自暴自棄な考えは、今も顔を出し、判断を曇らせる。

わたしは思い違いをしていたのかも知れない。
自暴自棄になったから煙草に手を出したのではなく、煙草がわたしを自暴自棄にさせ、持続的に喫煙をさせようと囁いていたのかも知れない。


今も、その囁きは止まない。少し救われるのは、その囁きに対抗する術を少し身に付ける事が出来た事だろうか?

認知行動療法が、今回、役に立った。

ほとほと疲れても来たのだが、毎日煙草の事ばかり考えて暮らしている。
世の中にはもっと、わたしを楽しませてくれる事もあるだろうと思うのだが、断煙は全くの綱渡りの様で、気を緩めた瞬間に、落下してしまいそうだ。

これでも、一時より楽になったのだ。信じがたい事ではあるが、本当の事だ。

20091209

来年は自由でいるか?

12月に入って始めた事がもうひとつある。
半端な形で挫折するのが恥ずかしく言い出せなかった。

早く言い出せば良かったと、今では思っている。そうすれば、もっと早く止められたかも知れない。


煙草を止めた。

今迄も何度か試み、全て失敗して来た。

今回は思い余って、幾つもの禁煙サイトを覗き歩き、読み比べてみた。
どうやら今迄の「意志の力」に頼る力ずくの禁煙は失敗の確率が高いやり方だったらしい。

煙草を吸うのは何故か?
それを冷静に考えてみれば、答えはひとつしかない。離脱症状を緩和したいからだ。

つまり煙草を吸いたいという気持ちは、煙草だけが作り出し、煙草だけが持続させている幻想に近い虚構。と言うより幻想そのものの気持ちだ。

煙草はストレスの解消になどならない。煙草がストレスを作り出しているのだ。


意志の力や精神力で煙草を止めようとする事は、常に煙草を吸いたいという自分に向かい合っていなければならず、ともすると煙草への渇望感を心に刷り込む作業以外の何者でもないものになりかねない。

無論、そのやり方で禁煙した人も多いだろう。だが、それは意志の力があったからこそ禁煙出来たと言うより、意志の力でやったにもかかわらず禁煙出来たと表現した方が良いやり方だと思う。


何故、煙草を吸う必要があるのか?
そんな必要は、言わなくても分かる通り、実はない。

この先一生涯煙草を吸わない事で、わたしが失うものは何一つない。


書いてみると、余りに当たり前過ぎてがっかりする。そんな当たり前の事にようやく気が付いたのだ。

もう、煙草に束縛されたくない。わたしは自由になりたい。自由になろうとする事が楽しくない筈はない。

20091201

12月は入れ歯と共に

歯医者に行って来た。

延々とスケーリングを続けて来たが、ようやく上顎の新しい入れ歯が完成した。今迄使って来たのは継ぎ足しで入れていた仮の入れ歯。それよりも左右のバランスが良く、顎にフィットしている。

だが、仮の入れ歯より大きく、やはり口の中が窮屈だ。

夕飯を食べたが、今のところ違和感はない。このまま大きな調整なしで行けるのではないか?

入れ歯を入れた事で食事は以前より楽しみの少ないものになってしまった。仕方がない。全て自らの不摂生が成した事だ。

自分の歯と同じ様な感覚を入れ歯に要求するのは無理というものだろう。

むしろ、入れ歯という挟在物をいかに上手く使いこなしてゆくかという観点から付き合って行った方が良い結果をもたらす様な気がする。

 その観点から見ると、今日入れた入れ歯はしっかりと食べ物に馴染み、調子が良い。顎に入れた力が無駄なく入れ歯に伝わり、噛みこなす作業をきちんと行ってくれる。

この事は、「動き」への結構大事な教えを含んでいる様な気がしてならない。

思いもかけなかった事だが、12月、最初に行った事は入れ歯を入れる事だった。

20091130

支払い

科学雑誌Natureの年間購読料と「しのばず自然観察会」の年会費を納めに郵便局迄行く。

両方とも生かそうと思えば生かす事が出来るのだが、なかなか生かせずにいる。
とりわけ、Natureの代金は高価い。貧乏人には大変な負担だが、どうにかこうにか今年迄はきちんと支払いを続けて来た。

英文。しかもかなりハイレベルな専門知識を必要とする論文が掲載されている。

何故、この高価な科学雑誌を読み続けているのだろう?と時々不思議に思う事もある。

この雑誌を個人で購入し始めたのは、科学的な情報が地方に来てから明らかに入手しにくくなった事が動機だ。
知識への飢餓感があった。

『図書』12月号の編集後記「こぼればなし」に、飢えが消えかかっている事に対する危機感が綴られていた。

つまり、本が読まれなくなった。

同じ様な危機感はわたしも持っている。飢餓感が全くの悪い事であるかのように排除され、その結果、飢餓感が消えかかっている。
知識に対する飢餓感も消えかかっている。

地方都市に来て、わたしは確かにあまりに少ない情報に危機感を感じた。その危機の感覚も、確かに消えかかっている。

高価いNatureの購読料を支払う。支払った分だけの情報は、確かに毎月送られて来る雑誌の中にある。それを掬い取らないのは、ただひたすらわたしの怠慢からだ。

毎年悩む。このままNatureを購読し続ける価値があるのか?と。

支払いを済ませると、その高価さにびっくりして、真面目に読もうと決意する。

例え、Natureの英文がその決意を跳ね返すほど高度なものであろうとも。

…しかし、悩む。何よりもわたしは相当の貧乏人なのだ。

--
購読料を支払ったからという訳では勿論ないが、早速Natureの最新号が来た。やはり面白い。今月特に興味を引いたのは「カリフォルニア湾直下のマントルにみられる対流による上昇流」という記事。

…だが、狭い部屋にNatureは降り積もり続ける。出来れば全て保存しておきたいのだが。

20091105

Blogを更新しなかったことの罪と罰

Macが壊れた。
もう少し正確に言うと壊れていた。もう修理から戻って来ている。

今回はシステムの問題だった。
半年前壊れたときはハードの問題だった。
いい加減疲れて来た。
そんなにわたしの使い方は荒いのか?

今回のトラブルで、半年間のわたしに関するデータが消えた。
とりわけ痛かったのは、Macに付け続けていた日記のデータが消えた事だ。

取り立てて公開するだけの記録はなかった。
だが、毎日付け続けていた記録が失われた事のダメージは思いの外大きかった。
こんな事ならBlogになんでもかんでも書けば良かったと思っている。そうすれば失われる事もなかっただろう。

事実、SNSなどに書いたものは残っている。そこにはあまり大切な事を書いていない。

記録が失われた事のダメージは、Blogという形で記録を外部に保存しておかなかった事の罪に対する罰なのか?

Blogは既に古い媒体のひとつになろうとしている。

それはわかっているが、ある程度まとまった形で記録を残してゆくには、やはり今のところBlogがいちばん手っ取り早い。

Macでまた日記を付け始めた。
それはそれとして、もう少し「きちんと」Blogを書いてゆかねば…と感じさせられた。


いきなり冬になった。今年はもう平地で初雪が降り、北側の低い山にも冠雪があった。
大抵、高い山々に雪が付き、それが2、3回繰り返されて平地に雪が降る。
今年はやや高い気温が続いたかと思ったら、あっけなく零下を記録した。こんなパターンで冬が来るとは思わなかった。

その記録も、Macがなかったので、残す事は出来なかった。

雪や低温より、Macの故障と作業環境の復元の方に大童だったのだ。

残念な冬の迎え方をしてしまったように思う。
しかし、それも仕方あるまい。

20090910

寒くなり、オリオン座が見え

夕べはなかなか寝付けなかった。

頭を冷やそうと、ベランダに出てびっくりした。
中空にオリオン座が掛かっていた。

冬は意外と近く迄来ている。


7日に白露を迎えた。その日は30℃を超えた。それが夢のようだ。


涼しいと言うより肌寒い。
今日の最高気温は14:12に記録された25.2℃。実感としてはそれ程暖かくはなかった。
今朝は10.2℃迄下がった。そちらの気温の方がリアリティーがある。


善光寺平に戻って来て、ベランダのある場所に暮らすようになって、感じるのだが、秋と言う季節は、薄い膜のような空気に包まれた季節なのだと思う。

夏と言う大きな季節と冬と言う大きな季節、その間にフィルム状に挟まれて、春と秋がある。


だから秋と言う季節は捕まえにくい。


北からの冷気の流入は颱風の影響もあると思っていたが、颱風が遠ざかっても止まない。

今日は上空の層雲の底が波打つような雲が出ていた。
恐らく、強い風が上空では吹いているのだろう。


あの秋らしい空のその上には、もう冬があるのではないか?


その冬が地上に降りて来る頃、どこまで読み進める事が出来ているのだろう?
そんな事を考えながら、Michael Endeの『MOMO』を読み始めた。

遅々として進まない。
けれどBeppoの教えを守ろう。

Schritt für Schritt.

わたしはわたしでしかないのだ。

20090823

処暑に処暑を感じる年

Blogを2ヶ月以上放置してしまった。読者ゼロという事態がリアリティーを持って感じられる。


この2ヶ月の間、日蝕があり、近所の方々とほんのりと触れ合う事が出来た。幾つかの災害や地変もあった。今年もまた、颱風が日本列島のすぐそばで発生した。
それらをここに記録出来なかったのは残念な事だが、仕方あるまい。


奇妙な夏だったと思う。
今日は処暑。冷気が感じられるがまだ暑さの痕跡は残している。そんな季節として二十四節気に記されている。
今日の善光寺平の最高気温は昨日に引き続き30℃を割り、29.0℃。14時38分に記録されている。全体的に涼しく、昼頃ようやく暑く感じたのはその為だろう。
特徴的だったのは朝だ。明瞭な寒さを感じた。
5時20分、恐らく今日の最低気温になるだろう18.2℃が記録されている。

確かに冷気が感じられ、暑さも残っている、そんな日だった。

多くの場合、二十四節気は若干のずれと共に訪れる。然し今年は立秋は立秋として、どことなく秋を感じさせて訪れ、処暑は「定義」どおりに訪れた。

いつ始まったのか?いつ終わったのか?そして何より、果たしてあの暑い日々は夏だったのだろうか?と疑問を感じる程、雨が多く、夏らしさの少ない夏だった。


ゲーテをまた、読み始めた。詩編。

20090603

ウマノアシガタ

数週間前から、ベランダから黄色い花の群落が見えていた。
それが何であるか確かめようと思いつつ、さほど忙しくもないのに今日を迎えてしまった。

次第に花の数は少なくなって行く。これ以上遅くなると、花の形態など細かい事が観察出来そうにない。

昼ご飯を造って食べ、階段を下りた。


その花はウマノアシガタだった。
これをキンポウゲ(金鳳花)と呼ぶ人もいるが(実はわたしもそうだった)、正確には間違いらしい。キンポウゲとはキンポウゲ科の植物の総称、或いは、八重咲きのウマノアシガタを呼ぶ名前らしい。どちらかははっきりしていない。

ここ迄はWebで検索すると簡単に確認出来た。

だが、意外な事が知られていない事も知り、驚いた。


ウマノアシガタという名前の由来は、その葉、特に根生葉の形にあるのだが、ざっと調べてみた結果、由来が正確に伝わっていないようだ。


wikipediaのウマノアシガタ項目には
--
和名の由来は根生葉を馬の蹄に見立てたものと言われるが、葉の形は実際には似ていないというのが、衆目の一致するところである。個々の葉ではなくロゼットの形状を指すという見解や、「鳥の足形」が誤って「馬の足形」と伝わってしまった、という説がある。
--
とある。

わたしは衆目には一致しない。

他にもいろいろなサイトを当たってみたが
「正直なところ、そのようには見えません」
「いろいろ見てもあまり想像できません」
などの記載ばかりだった。


何故、ウマノアシガタの名前の由来が知られなくなったのだろう?

馬の脚をあまり良く見た事が無いのか、あっても気が付かなかったのか?


ウマノアシガタと聞いて、やはり簡単に連想出来るのは馬蹄形の馬の足跡だろう。
だが、これにこだわっているとウマノアシガタは見えて来ない。

あれは単なる蹄鉄の跡であって「馬の足形」ではない。


最近馬そのものを見なくなった。
従って馬の足跡も見ない。
例え見たとしても、それは馬の足跡ではなく、蹄鉄の跡。

これでは幾ら想像しても名前の由来に気の付きようが無い。

更に、馬の脚の裏を見た事がある人でも、蹄に囲まれた境界に注目する人は殆どいないだろう。

ウマノアシガタの名の由来は殆ど謎のゾーンに突入してしまっている


蹄鉄を打ち込む馬の蹄に囲まれた部分に注目すると簡単に納得出来るのだ。

確かに蹄の外側は馬蹄形をしているが、それに囲まれた肉質部との境界は複雑に入り組んでいて、切れ込みのある植物の葉に似ている。


心理学で使われる図で、黒い部分に注目すると人がふたり向き合った様に見えるが、その時白い部分は単なる地だ。しかし、一旦白い部分に注目してみると、それがグラスの形に見えて来る。そんな図があるが、それと同じ事かも知れない。

言わば図と地の部分を逆転して見ると言う事なのだろうが、その名前の付け方の妙に感動した記憶がある。


子供の頃、知り合いの家に行き、馬の蹄鉄を付ける手伝いをした事があった。その時、いやと言う程馬の足の裏を見た。

子供と言うものは妙なものに興味を持つもので、わたしは今よりずっと動植物の名前を知っていた。勿論ウマノアシガタも知っていて、それが蹄ではなく、蹄に囲まれた部分の形に似ている事にも気が付く事が出来た。殆どそっくりなのだ。

これだけ似ているものに対して、
「葉の形は実際には似ていないというのが、衆目の一致するところである」はなかろう。


花の名の、由来の洒落っ気が既に伝わっていない事を知って、わたしは少なからず淋しい気持ちがした。

20090602

いつの間にか全天を雲が覆い

危うく昨日もう気温が10℃を割る事は無いだろうと書くところだった。危ない、危ない。

或るBlogでつくばの気温が11.8℃迄下がった事を知った。向こうは寒かったのだなぁ…などと暢気な事を考えていたのだが、こちらも肌寒かった。最低気温は4時46分の8.4℃。26日より遥かに低い。
日の出と共に気温は急上昇し、14時00分には28.8℃まで上がった。この気温差も26日を遥かに凌駕している。
ちなみに最高気温は那覇より高かった。

蒸気圧が一定だったと考えれば何の不思議も無いのだが、気温と反比例して湿度は昼急降下。5時には82%だったが14時15時とほぼ一定の26%。最低だったのは13時57分の23%。湿度が低かったせいか、暑い割に過ごし易いいちにちだった。

空には薄らと高層雲がなびき、ところどころ巻雲になっていた。この様な時、雲量はどのように判断するのだろう?とぼんやりと考えていたのだが、結論は出ず。青空とも見えるし、かと言って雲が全くない澄み切った青空と言う訳でもない。

ぼんやりしているうちに15時頃からその高層雲が厚くなり、全天はいつの間にか雲に覆われていた。
日照時間を見ると、確かに15時迄は60分だったが、16時は34分。次いで17時にはたった4分間。後はゼロ。この天候の変化には、正直に言って全く気が付かなかった。


とりあえずぬるい風呂を沸かして入る。

20090601

季節が変わった

昨日迄の雨もきっぱりと上がり、朝から太陽の光が眩しかった。
今日は暑くなるか?と気象サイトを見るが、思った程ではない。確かに太陽の光は眩しいが、実感としては肌寒い朝だ。

最低気温は01:21の11.2℃。ここからなかなか気温が上がらない。6時になってようやく12℃台に突入する。


天気が良く、さほど暑くないなら今日は絶好のサイクリング日和だ。正午辺りでひとまず仕事を打ち切(さぼ)り、目的も無く自転車を乗り回す。

車と違って、気侭にどんな細い道路にも入って行けるのことが嬉しい。

盆地とは言え急流、千曲川の浸食と、主に北側の山からの活断層起源の堆積物が造る地形は起伏があり、頻繁にギアチェンジを要求される。それでも初期より上り坂を楽に上がれる様になった。


気温がそれ程高くなく、心地よい強さの北風があるので汗は殆どかかない。

16時頃、帰宅。最後のだらだらした坂道はさすがに息が切れた。


アメダスデータを見ると、いつの間にか気温が20℃近辺で上下している事が分かった。午前中の11℃付近のプラトーと、午後の20℃付近のプラトーのふたつにきれいに気温は分かれていた。
最高気温は14:23の21.3℃。大体予報通りだ。

しかし、今度は気温がなかなか下がらない。


空を見ると、午前中に目立っていた山際の積雲が消え、爽やかな快晴になっている。

ふたつの気温のプラトーの間で、少しだけ季節が変わったとはっきり思えた。明日は暑くなるだろう。

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Blogを付けずにいた1週間の最低気温・最高気温。

5月26日 04:55-8.7℃ 13:06-27.0℃  この日が最も気温差が激しかった。
5月27日 05:02-14.3℃ 11:54-26.9℃
5月28日 22:42-15.9℃ 09:30-19.5℃
5月29日 05:17-13.2℃ 12:37-23.0℃
5月30日 24:00-16.9℃ 12:53-25.5℃
5月31日 22.54-11.9℃ 13:05-19.0℃

20090525

肌寒い日曜日

上空に寒気が流れ込んでいると言う事で、天候は下り坂だとは思っていたが、朝から雨になるとは思わなかった。
しかしその雨も朝のうちに止み、天気は概ね曇り。

北からの風が吹き込んで来て、肌寒い。

つい2日前に、最低気温がようやく20℃を割ったと言う事が信じられない程の冷え込みだった。


ドイツ語の予習をしていて、妙にケバブが食べたくなった。番組の中に出て来たのだ。しかし長野でケバブを扱っている店はあるまいと諦めていた。
だが、女房殿がひとつくらいはある筈だと検索して、何と長野市内でケバブを食べたと言うサイトを見つけ出してくれた。

これは是非食べなければ!と出掛ける。


いつもの感覚で、店の近くにある駐車場に車を停めれば良いだろうと考えていたのだが、考えてみると、善光寺周辺では今御開帳という行事が行われており、しかも日曜日は屋台奉納というものがあり、交通規制だらけ。
ケバブを食べたと言う場所は歩行者天国になっていた。だが歩行者天国そのものに馴れていないのか、車道部には殆ど人は歩いておらず、歩道がやたらに混んでいる。


停めた駐車場からも近いと女房殿は言っていたのだが、そこには目指す店がない。
更に歩く。

いつまで経っても目的の店が姿を現さない。


諦め、偶然見付けたタイ料理の店に入る。ここは旨かった。贔屓にしてやろう。
しかし、気持ちの良いタイの音楽に聴き入っていると、突然屋台奉納のお囃子が外から飛び込んで来るのには参った。

そこを出ると、ぽつりぽつりと雨が落ちて来た。大急ぎで駐車場に戻る。


結局、日曜日の最高気温はケバブを探しまわっていた頃、12時41分の19.1℃。2日前の最低気温に遠く及ばない。
最低気温は朝05時42分の12.6℃だった。



今日はその寒さを少し引き摺り、晴れたと言うのに最高気温は14時06分の21.8℃。最低気温は03時03分の11.5℃だった。

無論長袖のシャツを着ている。

20090522

朝から暑い!

すっかり気温の記録の為のBlogになってしまった。


前線と低気圧に伴う雲が中部地方にやって来て、今日は朝から雨…の予報だったのだが、山に雲が付いている以外全くのピーカン。水やりにベランダに出たが、肌が日光に焼けるのが分かる様な気がした。

東京暮らしをしてしまったわたしには寝苦しくはなかったが、それでもタオルケット1枚で十分だった夜に気温が下がらず、最低気温は2時、5時、6時に記録された20.2℃。
この季節ではちょっとあり得ない数字だ。

気温はそこから上昇しつつあるので、予想最高気温まであと1℃。まだ8時なのだ。

外が明るすぎて、部屋の中が暗く感じる


強く暖かな南風が吹いている。

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午後になって雲が広がり、気温は下がった。昨日が暑かっただけにとても涼しく感じられた。
だが、4月の終わり頃迄は、朝方、寒いと感じる日が続いていた事を覚えている。このひと月の気温変化は、やはり激しい。


気象庁のサイトで調べてみると、今日の最低気温は2時25分に記録された19.5℃だった。とりあえず20℃を割ったのだ。

予想されていた最高気温は24℃との事だったが、10時に早くも夏日に突入し、最高気温は13時22分の26.9℃。予想気温がこれだけ違うのも最近では珍しい。

どちらも妙な時間に記録されている。

20090521

真夏日

19日の最高気温は結局26.0℃だった。昨日は28.4℃。しかしこの暑さのピークも昨日迄で今日は雲が広がり、気温は下がるものと思っていた。…昨日の夜迄は。前線に伴う雲が夜のうちに中部地方迄掛かって来ており、確かに星の姿は少なかった。

だが、その雲がむしろ落とし穴だったのかも知れない。最低気温が下がらない。5時の12.8℃。ここから今日の気温はぐんぐんと上がって行った。

アメダスデータでは11時の段階で27.1℃と夏日に突入した事が分かる。その前の10時の気温が23.1℃だったので、急上昇と言って良い。


植物達は大丈夫か?とベランダに出たところ、部屋の中より外の方が暑かった。土は乾いている。早速水やりをする。


そして14時。気温は目出たく30.0℃を記録した。梅雨入り前に真夏日になった。


植物達にも水をやったのだからと、熱いお茶を淹れて飲む。

お風呂にでも入ろうか?

20090519

今日の陽射しは昨日と違う

アメダスデータによると、昨日の最高気温は15時に記録された24.0℃だった。この時間の気温だけが少し突出していたので、いくら全国で最も標高が高い測候所、箱清水のデータであったとしても、盆地部でも夏日にはならなかったのだろう。

今日の朝の気温は昨日より明らかに低かった。4時に10.7℃。
半袖Tシャツの上に長袖を着てしまった。太陽が昇るや否やすぐ脱いでしまったけれども…。

しかしベランダに出て日に当たると、その陽射しが昨日とは全く異なる事に気が付く。肌がじりじりとひりつくような夏のそれだった。
9時の気温は19.2℃。昨日より低いが、殆ど同じ様なものか?

今日の最高気温は27℃と予想されている。完全な夏日だ。


毎日の様に一番先に啼き始めていた気の早い燕は、いつの間にか啼かなくなってしまっている。何かあったのだろうか?

しかし、朝は嬉しい程に鳥が啼いてくれる。
燕を始めとして、郭公、ウグイス、そして最近はホトトギスまで啼く。

この「うるささ」は東京では味わえないものだ。


山笑うの季節はいつの間にか過ぎ去り、むしろ山滴るの季節になっている事に気が付く。


春山澹冶而如笑
夏山蒼翠而如滴
秋山明淨而如粧
冬山慘淡而如睡
        ─『臥遊録』─

20090517

Mac復活!

雨が降り続いている。

昨日、電機屋さん迄Macを取りに行った。予想以上に速く修理は終わった。

冷静だったのはMacを受け取り、お昼にサンドウィッチを食べ、部屋に戻る迄だった。Macが無かった1週間、頭の中で様々なシチュエーションを描き、出来る限りのシミュレーションと準備はしておいた。

システム的な故障ではなく、メモリーケーブルなる訳の分からない部品に不具合が発生しており、その取り替えが必要と言われていたので、殆ど内部の個人的なデータやシェアウェアのソフトは諦めていた。

だが、データの取り出しはやってもらう事が出来ていたので、少しばかり期待していたのも事実だった。

戻って来て、Macを起動し、驚いた。カスタマイズした壁紙がそのまま出て来たからだ。

全てのシミュレーションと準備は無駄になった。それどころか18,000円もだして取り出してもらったデータも、自分でやれば100円も掛からない単なるバックアップになってしまった。


これは!と、あちこち見て回ると、故障する直前の状態がそのまま残っている事が分かった。もはや大騒ぎ。自分でも余りうるさいので閉口する程だ。

何故か慎重にWebにつなぎ、ブラウザを立ち上げた時は思わず笑ってしまった。クラッシュが起きた時に見ていたサイトが立ち上がって来たからだ。
なにもそこ迄故障した時の状態そのままを保つ必要は無かろう。

だが、機械としては親切心からそれをやっている訳ではない筈。しかし可笑しい。


兎に角、Macがそこにある事、そして滞り無く動く事が嬉しく、長い時間Macに触っていた。


この故障があった為、予定外に延びてしまった地域密着型SNS「N」への参加を、今日になって果たす。
遂に、事務局からは何の連絡も無かった。仕方なしにmixiで呼びかけて、招待状を送ってもらい、ようやく入る事が出来たのだ。

これでわたしが参加しているSNSはmixi、twitter、そしてN、と3つにもなってしまった。それぞれ性格が異なるので使い分けは簡単だが、それに加えて4つのBlogを抱え(休眠中の奴をそろそろ起こしてやらなければ)書く作業にはそれなりに時間を割かねばなるまい。…そうでもないか。

問題は語学の勉強だ。ドイツ語はどうにか例文を覚えるレベルを保っているが、フランス語に関しては殆ど付いて行けない状態が続いている。

昨日、待ち合わせの時間にフランス語の参考書に没頭し、少し遅刻してしまった事を考えると、それ程やる気にかげりが見えて来ている訳でもなさそうだ。
今学期の「テレビでフランス語」はレベルが高過ぎる。


一日置いて、Macの前に坐ると、あたかも、それが無かった日々が無かったように、まるで当たり前の様にMacがあり、わたしは昨日程興奮せずにそれに触っている。これはある意味で怖い馴れだと思う。

20090513

Mac依存

東風が強く、気温が上がらない。最高気温は17℃に達したのかどうか?これでは涼しいのではなく、寒い。

Twitterに書いてあるとおり(しかしフォローしてくれる人がいないなぁ…)Macが突然カーネルパニックという奴(らしいもの)を起こして、起動できなくなったのが9日。
どうやら「メモリーケーブル」という、これまた訳の分からないパーツが不具合を起こしており、これが原因だったらしい。こちらの責任ではないので何となく釈然としないがデータの取り出しを含めて4万5千円也を支払う事となった。大変痛い。

いろいろな方にいろいろ教えて頂いて勉強になったが、その全ては今後に生かす教訓として、これまたドロナワ式に『すぐ効く Mac OS X v10.5 “Leopard” のトラブルシューティング』なる本にも手を出してしまった。殆どはAppleのサイトを見れば書いてある事だろう。

Macが居なくなって、広々としてしまった机の上を掃除する。
ここにもNatureだの新書類だの様々な本が沙漠の砂のように進入し始めていたからだ。

机の上は更に広々としてしまった。

その何もない机の方向を度々見る。
今日が何曜日で、何日なのか。そんな事もMacを見なければ分からなくなっていたという訳だ。

すっかりMacに依存して生きていた(る?)わたしを自覚する。

と、言ってそれを改善しようなどとは全く思わない。
堕落したものだ。


Macが居なくなってからの出来事を遡って頭の中に再生し、ようやく今日が幾日であるかを確認して驚いた。今日はフランス語、ドイツ語と続く「厳しい日」ではないか!

驚いてWinを立ち上げ、これを書いている。
もはやわたくしは人の屑である。

Macはどの様なかたちで帰ってくるのだろう?
兎に角、あれがないとなにも始まらない。



こうの史代の『この世界の片隅に』の下巻が出たことを知ったのはMacが居なくなる直前だった。
上巻が出てすぐ買い、次に出たのが中巻であることにびっくりして下巻が出るまで読むのをやめようと考えていた。

昨日その下巻が届いた。

中巻を読んでいて、もしかしたら作者は何かに影響されて「右の人」になってしまったのではないか?そんな不安が頭をよぎるような、いかにも「戦争中、日本国民は皆苦労してきたのです」という展開。
何度か中断しようとしたが、読み切って良かったと思っている。

小学生の頃、子供用の読み物に魅せられた、あの感覚を思い出した。

エバンゲリオンではないが、この上・中・下という分け方の呼び方は変えたほうが良い。序・破・急の方が内容に即している。

勢いで漫画を描いている人が多い中で、こうのさんは良く調べてものを書いている。
構想を練りに練って、物語を組み上げてゆく作り方ではないが、人物の書き分けや、物語の展開の仕方は悪くない。


一方で別の不安が頭をよぎる。
日本人は(文学的、という意味で)主題を失ってしまっているのではないか。


などと言う暇があったら、語学の勉強をし始めなければ。

しかし気合が入らない。

20090504

颱風1号、2号、殆ど同時に発生

2号の方は気象庁のサイトを念のため確かめたら発生が確認されたので、実際には同時と言う訳ではないのだろう。だが、雲の渦が幾つも同時にフィリピン付近に出ているので、同時発生と言うしか無い。

1号はKujiraという名前がついている。日本語でクジラ座を意味するのだそうだ。2号はChan-homという名。何だか良く分からないが木の名前らしい。

Kujira颱風はフィリピンの東海上にあり、Chan-hom颱風は南シナ海にいらっしゃる。フィリピンはふたつの颱風に挟まれた形になっている。

更にKujira颱風の東にも熱帯性低気圧がある。わたしはこれが颱風1号になるかな?と期待(じゃないな予想)していたのでその西に続いていた雲の渦が急成長した事に驚いている。

颱風はいつも何らかの形で予想を裏切ってくれる。

実を言うと連続して発生している雲の渦の列が集まって颱風になるのでは?と考えていたので今年も予想は外れてしまった事になる。もう少し遅くなってからだと思っていた。


毎日4時近くになると毎朝、気の早い燕が啼き始める。
昨日もそうだった。
鳥は光に敏感な動物だが、東の空のどこをどのようにして見ても、日の出の気配は感じられない。彼らには感じられるのだろうか?


颱風はいずれも直接日本には影響を与えそうにない。

…これは日本列島に限った事。小笠原には影響を与えそうだ。

20090430

昨日も強風

昨日も朝方寒く、その勢いで(?)起きてしまったが、太陽が出てからはぽかぽか陽気。迷わず布団を干す。
だが、午後になってから急に北東からの強風が吹き始め、その風は冷たかった。

4月も終わる。

フランス語、ドイツ語と今期も続く「厳しい日」。今期は特にフランス語のレベルが高く、最初から付いて行けない。予習をしておいてもTVを見ていると、どの部分が話されているのか分からなくなり、結局日本語訳の字幕を読むだけと言う情けない有様。

ドイツ語が始まると何だかほっとしてしまう。

だが、今回はGWという事もあるのだろうが、再放送を含めて同じ放送が4回続く。その間に単語練習や発音練習をしておいて、少しでも慣れるようにしておこう。

今期のフランス語で役立っている事と言えば、ひとつのフレーズの流れを、どこにアクセントを置き、どの様なイントネーションで発語して行けば良いのかを詳しく解説してくれる事だ。

半ば惰性で、殆ど漫然と見ているだけの様に感じていたが、フランス語の綴りから発音が少しだけ分かるようになって来ている。この事は予習をしていて自分でびっくりした。

レッスンを始めた頃は、「この綴りからどうしてこの発音になるのか」が殆ど全く分からなかったからだ。

最後の母音を発音しない習慣にも慣れて来ている。

しかしhを発音しない事は、遥か以前から知っていた筈なのだが実際に発音する時未だに慣れない。先週のレッスンの時、Bachの音楽会を企画している人が登場したのだが、Bachをバックと発音しているのには驚かされた。
いや、少し考えれば簡単な事なのだ。フランス語ではhを発音しないし、ドイツ語ではchを(不正確な書き方になるが)ハと発音する。このふたつの特殊な読み方が交差すると非常に聞き慣れない人物の名前になる。

ドイツ語の方は非常に基本的な事から始めて貰っている事と、『ドイツ語講座』の時から何年も見慣れていたLIZAがまた出ている事から番組に親しみが持てるのか、結構快調に学習を進める事が出来ている。

だがまるまる1年掛けてひとつ繋がりの番組を構成していた『ドイツ語講座』の時代に比べ、『テレビでドイツ語』になってから学習の進行が非常に速い。
今日は早くも未来形が出て来た。
尤も、ドイツ語会話では未来の事は通常現在形で話す事が多いらしく、実際に使う事は稀らしいが、本の中では頻繁に出て来る形だ。

それが指示代名詞と同時に出て来ると、覚える事が多すぎて混乱して来そうになる。

ドイツ語は構造は複雑だが、それを乗り越えると楽しくなると言う。その言葉を信じて、一歩一歩、確実に覚えながら進んで行こう。

それにしてもわたしの外国語センスのなさには自分でも呆れてしまう。


夜になって、強い風は止んだが、流石に冷えて来た。だが、その冷え方が段々と楽になって来たのも確かな事だ。

これからぐんぐんと気温は高くなって行くだろう。


問題は夏。今年こそ暑さに負けず、語学学習のペースを変えないように気をつけねば。


明日も東風は吹くだろうか?

20090428

寒暖の差が激しい

今朝5時に気温はアメダスで1.3℃を記録。

同じ頃わたしは起きてしまったのだが、これは寒かったからではなく、朝方気温が低いという予報が出されていた為、布団を2枚も掛けて寝たので重すぎて目が醒めたのだった。

昨日は昼頃から夕刻に掛けて、北西からの激しい突風が吹いた。ベランダのシクラメンが吹っ飛んだ。
思わぬところで寒空の下、飛び散った土を掻き集め、ずる、ずる、と風に飛ばされつつあったシクラメンを取っ捕まえ、奇跡的に割れなかった植木鉢に杜撰でない程度に詰め込むという「農作業」に追われる事となった(本当のお百姓さんごめんなさい)。

だがその風で、朝方あった雲も吹っ飛ばされて、概ね久し振りの快晴。
遠くに見える高山が白くなっていた。
このところ穀雨に相応しい雨が降り続いていたが、雲で見えなかった高山は雪だったらしく、積雪があったのだろう。
山裾が段々と緑色に染まって行く山々の、その遥か高みが真っ白になっているのは美しく、また、春と言う季節の移り変わりの速さも感じさせてくれた。

その雪も今日の昼頃にはおおかた解けてしまい、寒いながらもやはり春を意識してしまった。

最高気温はどの程度迄上がったのだろう?アメダスでは14時に14.8℃が記録されている。恐らく15℃は越えただろうと推定出来る。

一日に14℃程度の寒暖の差は、さほど大した事ではない。
一日一日の寒暖の差が激しく、これが身体にこたえる。

こたえながらも、どことなくそれを楽しんでいる風もあるのだが。

20090420

穀雨

今日から穀雨。

穀雨を目の前にした昨日、大分と広島で真夏日を観測した。

今年の夏も猛暑になるのだろうかと調べてみると、猛暑だった94年や昨年・一昨年にはこの時期に既に40℃近い気温が記録されており、少なくとも「それ程ではない」気温である事が分かった。どこも30℃を少し上回った程度の気温だったからだ。

それでも岡山と和歌山ではいずれも79年からの観測になるが、4月の最高気温を更新している。やはり暑かったのだろう。

寒い方では北海道の釧路で、今日、-4.6℃という気温が記録されている。いくら細長い日本列島とは言え、この気温差は激し過ぎる。


長野では14時に22.5℃を記録。アメダスではこれが最高気温と言う事になっているが、あくまでもアメダスの記録であり、それも日本で最も標高の高い箱清水観測所の記録なので平地はどの程度だったのかは定かではない。最高気温は23℃に届いたのだろうか?

このところ至って過ごしやすい気温で推移している。大変ありがたい。
大抵気温と言うものは暑過ぎるか寒過ぎるかのどちらかの事が多く、平年値と言うものはその平均値に過ぎない。わたしはその様に理解している。

一昨日本屋に語学のテキストを買いに行き、バスの窓越しに様々な花が咲いているのが見えたので、昨日は自転車に乗ってあちこちに出掛けた。さほど遠いところ迄は行かず、目的も持たずに風を楽しむ。

今年初めて、モンシロチョウを見る。あらゆる生物が大きく変化しつつある事を肌で感じた。


プランターにアシタバとバジルを植えた。

20090410

夏日!

雪が降った日しかBlogの更新を行なわずに居たら季節はいつの間にか移ろっていた。
下手をすると2ヶ月間更新なしになってしまうな。そんな事も考えて、焦ったりしていた。
その間にも雪や雨や黄砂などが降り、ベランダのあちこちには、汚れが雨水で流されきれいな黄褐色の状態になった黄土が今も堆積しているが、その事も書かなければなぁ…と思っているうちに時は過ぎた。

朝の気温は6℃前後。随分と暖かくなったな…と感じていたのだが、遂に14時の気温が25℃を突破した。善光寺平は本日、夏日を記録した。半袖でも全く寒くない。どころか、そうでなければ暑くて何もやる気が起こらなくなる。

夏だ!海だ!山だ!海水浴だ!

ようやく梅が散り終わりかけ、桜が咲いたところ。まだ4月なのだ。参ったなぁ…。

身体がゲル状に溶け出しそうだ。

20090216

再び冬へ

昨日迄の無闇矢鱈の暖かさから一転して冬に逆戻りした。

くもりのち晴れの予報だったが、朝から雪がちらつく。だが例の雪は降っていても空は晴れているパターン。このパターンがこの冬妙に目立つ。

15時頃には空も曇り、雪も本降りになる。だが、長続きせず暫く経つと晴れ間が覗いた。

昼は「それ程の寒さではないな…」と思っていたのだが、さすがに夕方から寒さを感じ始め、気象サイトを見ると16時以降は零下になっていた。

気温の変化は概ね単調減少と言った所。0時の5.3℃を最高に午前中は3℃を少し越える辺りをうろうろし、午後になってからじりじりと気温が下がっている。10時頃、一旦気温が上がり4.7℃を記録している。「それ程の…」と思ったのはこの辺りかも知れない。


暫くWinでものを書く事をしていなかったが、どうも辞書機能が壊れているらしい。そう言えば心当たりがない訳ではない。相当前からだ。治そうと思えば、システムの復元でどうにかなると思うのだが、それをする事によって失われる履歴の事などを考え、止める。さほど不自由はしていないからだ。…やはり拗ねたのか?


MacのFirefoxは、昨日迄閉じようとすると、設定を保存するか?と聞いて来て、Yesを選択すると履歴やログインの設定が閉じる前と同じ状態で始める事が出来ていた。さすがMac。と思っていたのだが、何故それが出来るのか良く分からないまま続けていた所、今日になって設定の保存を聞かなくなって来た。どの機能を使っていたのか良く分からない。
要するに普通の設定に戻ったと言う事なのだろうか?便利だったのに…。

これらはこのまま放置しておいても何ら不便を感じないが、この頃Bloggerが上手く繋がらない事がままある。その為に面倒になって幾つかエントリを中止してしまった。間が空いたのはそれが原因でもある。
Blogを表示した時も左上にある小さな画像がなかなか開かない。何回かリロードして漸く画像が出て来る。画像がないとこのBlogは味も素っ気もないものになる。

読者の皆様(いればの話だが)左上に絵が出る迄、何回かリロードを繰り返して下され。お願い申し上げる。

通信速度もやや落ちて来ているような気がする。何故だろう?別に配線などを変えたと言う訳でもないのに…。


雪は小降りのまま、降り続けている。ベランダには細かな雪が薄らと積もった。勿体ないのでベランダに出る事はせず、薄い積雪をそのままの状態で保存する事にした。美しい。

明日、最低気温は-6℃と予想されている。このまま気温が下がり続ければ、もっと低い気温が記録されるかも知れない。


わたしも機械も、やや調子が悪い。

20090201

強風

昨日の午前中、雨だったので躊躇っていたのだが、通院してしまって良かったと思っている。病院から帰って来たときは一時薄日も射したのだが、その直後から気温が下がり始め、激しい風が吹き始めた。雨も横殴りに降って来た。

夜中、何度か風の音で目が醒める。結局3時頃起きてしまった。長野県の北部は雪に変わると天気予報では言ってたが、どうなったのだろう?とベランダに出る。風は音を立てて吹きすさんでおり、若干の雪も交じっていた。

気温の確認を怠っていた為、どの程度だったか分からないが、かなり寒かった。

そのような時は大人しく部屋に閉じ籠っているべきだった。少し風邪気味。身体が芯から寒い。禁断のインスタントラーメンに走る。


星空ではなかった。その事ははっきり覚えているのだが、降っていた雪は、頭上の雲からのものだったのだろうか?そんな疑問が明るくなってから芽生えた。

現在(13時30分程)頭上は良く晴れていて、周りの山々に少し雲が付いているだけだ。だが、細かな雪が北風に乗ってやって来る。
北側の低い山には雲はない。雪は相当遠くから運ばれて来ているらしい。これで頭上に雲があったら、天気は雪、それも吹雪と判断していただろう。それだけの量がある。


昨日の診療には戸惑わされた。

このところガザの虐殺が続いていた為、興奮していたのか、とりあえず動く事は出来ていた。資金が潤沢にあれば東京に出掛け、デモに参加する事もあり得たと思う。だが、身体は重く、調子としてはそれ程良くなかったと判断出来る要素は沢山あった。

その事を伝えようとしたのだが上手く行かず、考え込んでしまっていた所に医師から質問があった。

「で、論調はどのようなものなのです?」

しどろもどろになってしまった。


つまりは診察の数分の間にまとめ切れるだけ、論調を理解していなかったと言う事だ。


先ず、マスコミの論調とBlogやメーリングリストなどWebでの論調の間にかなり開きがあると言う事から始めるべきだった。

マスコミの論調は今だ変わらず、発端はガザからのロケット弾攻撃に耐えかねてイスラエルが「戦争」に踏み切り、暴力の連鎖が続いている。そうしたものだ。

そして何故かいつも、パレスチナはテロリストであって、イスラエルは戦士なのだ。


この論調はそのままサイードが『イスラム報道』で明確に示した欧米の報道のされ方に当て嵌まる。ひとつの偏見と言っても構わない。


Webでの論調、主にアクティビストのそれは、過去60年間、一貫として続けられているのはイスラエルによるパレスチナへの一方的な、攻撃と(入植地を含めての)侵略。そのようにまとめる事が出来ると思う。

わたしの抱いている思いは後者に属する。偏向しているか?
少なくとも(読んだ量は当然の事ながらマスコミの方が遥かに多いのだが)日本のマスコミは殆ど欧米の報道機関からの翻訳に等しく、欧米のマスコミの論調には同意出来ない。

これ迄読んで来た数冊の本から得た、100年スパンの歴史や国家と国民との間にある無視する事の出来ないずれや矛盾についての論考を加味してもイスラエルを「中東唯一の民主国家」として認識する事は出来そうにない。そもそもユダヤ人とは何なのか?


やはり考えは方々に拡散して行ってしまう。


今回の出来事をただ単に「イスラエルのやり過ぎ」として捉えるならば、出来事はとりあえず終結している事になる。
だが、ガザが何故ロケット弾攻撃を止めないのか?という問いに真剣に答えるとしたら、陸地も海も国境は閉ざされ、生物として生きるだけの物資にも事欠く(仕事は勿論ない)現状、つまり人間として生きるに足る場を与えられず、ガザ全体が広いゲットーと化している現状から解きほぐして行かねば理解にはほど遠いのではないか?

それをしない答えは欧米のマスコミ論調に顕著に現れている。何故彼らはロケット弾攻撃を捨てないのか?それは彼らがテロリストであり、何故なら彼らはイスラムだからだ。そう言う事になってしまう。
これは人間を人間として理解する事ではない。わたしはそう判断する。

わたしのこの判断に決定的とも言える影響を与えた岡真理さんの講演の様子がYouTubeで配信されている。

リンクしておきたい。

岡真理さんの講演1

岡真理さんの講演2

岡真理さんの講演3

岡真理さんの講演4

岡真理さんの講演5

岡真理さんの講演6

岡真理さんの講演7


北側の低い山は、先程迄雪に霞む程度だったが、じわりじわりと雲に覆われ始めた。あの雲が頭上にやって来るのも時間の問題だ。

20090131

Gaza

ひと月に3つ位は何かを書いておかねば。

このひと月余りはガザ虐殺に掛かり切りだった。主にmixi日記でそれを書いていた。その為Blogの方は手薄になってしまった。むしろBlogでそれをやるべきだったのではないか。そうも思う。しかし、最初にガザに触れたのがmixi日記だったので、そのままそちらの方で続ける事にした。

破壊と殺戮の22日間が一段落し、今は欧米を中心として「その後」を検討する段階に入っている。

このひと月余り見て来たものと、全く異なった空間で物事が進行しているような気がする。

あれ程多くの人々が抗議活動を展開したにも拘らず、イスラエルはやり過ぎだったが悪いのはハマス。そうした流れで話し合いが進んでいる。


アメリカ合州国はハマスをテロ組織として指定している。だから国際的な場にハマスを登場させない様に、慎重に物事が進められている。
しかし、ハマスは民主的な選挙によって選ばれたパレスチナの代表組織である事を忘れてはならない。


夥しいと言って構わないサイトを知る事が出来た。幾つかの本もまた。それがわたしにとってのこのひと月余りの収穫だったのかも知れない。今ここでガザ虐殺に付いて何かを論じようとすると、スペースが余りに少なすぎてまとめ切れない。…つまりはまだまだ不勉強ということか?


大寒に入ってからも暫くは、それに気が付かずに居た。
この異様な暖かさがひとつの原因だろう。
今日も雨。この季節の雨と言うのはどこか不自然で、どこか腰が据わらない所がある。その大寒もそろそろ終わろうとしている。積雪はない。ここ迄来れば、もうそれ程大した降雪はあるまい。ありがたいが、やはりどこか居心地が悪い。

20090117

14年

またこの日がやって来た。

忘れてはならない日は幾らでもあるが、忘れられない日はそう沢山あるものではない。

1月17日5時46分。この日時をわたしは一生忘れないに違いない。阪神・淡路大震災から、今日で14年になる。

14年前のこの日に何があったか、わたしはそれを繰り返し書いて来たような気がする。もう語る事もなくなってしまっている自分に気が付いた。

わたしの中でも阪神・淡路大震災は「風化」し始めたのだろうか。

ヒロシマ・ナガサキが一年のうち一日だけ考えれば良い問題でないのと同じ様に、自然災害も祈念日に一日だけ考えて済む問題ではない。実際にそれを職業にしている方々も沢山居る。毎日考えているのだろう。

何故だろうか?わたしはあの日を境にして純粋な理科系の仕事に勤しむ事を止めてしまったような所がある。様々な問題が横断的に存在している。

その選択は失敗だったのかも知れない。だが、地質災害に対する姿勢はあれからがらりと変わった。まさに人生を変えた瞬間だったと思う。

あの選択が失敗だったとしても、その失敗がなかったら今のわたし、人間関係を含めた今あるこのわたしは存在しなかっただろう。その意味では悔いはない。


神戸新聞の取り組みは、今年もやはり各新聞社の中で突出している。ここでも高齢被災者の孤独死と同時に、震災の記憶の風化が取り上げられている。

あの震災は何を奪ったのか?
あの震災は何をもたらしたのか?

祈念式典で語られたこの言葉が印象的だった。

20090114

積雪

昨年最後のエントリで書いた事は殆ど外れた。

雪はさほどのものとならず、ドイツ語の基礎も固める事は出来なかった。これと言うのも全く正月気分と言うものを経験せずに2009年を迎えてしまったからなのだ。全てイスラエルが起こしたガザの大虐殺のせいだとわたしは思っているのだが、雪の責任迄イスラエルに負わせるのは、ちと無理があるか?

雑誌『オルタ』のバックナンバーを注文した。それが何故か年間購読として登録されていたらしく、昨日、その旨のメールが届いた。これでは金が掛かるだけでなく目的の記事を読む事が出来ない。急いで年間購読ではなく、バックナンバーの注文であると言うメールを送り返した。

本当は1冊しか注文していなかったのだが、その次の号も欲しくなっていたので、2册注文していた事にしてしまった。この嘘はばればれだろうが向こうも損する事ではないのでとりあえず2冊注文した事になり(なったのか?本当に。やや疑問の残る返信メールだったぞ)前金として金を振り込め。と書かれた更なる返信メールが届いたのが14時45分頃。
雪が降っていたが、このような時のわたしの行動は早い。15時には郵便局を出ていた。ちらちらと雪が身体に降り掛かる。

この程度の雪ならば今年に入ってしばしばあった。いずれもさほどの積雪とはならなかった。むしろ風情がある。だが帰って来た直後から、雪が急に本降りになって来た。30分くらいの間に3cm程積もった。

素早い行動は得意ではないのだが、あの時迷わずに出掛けて良かったと胸を撫で下ろした。本降りと言うより凄い降り方だ。

暫く経つと雪は勢いをいよいよ増して、間断なく降り続いた。

結局20cm程も積もっただろうか(公式記録は15cmだった)。湿った重そうな雪で、しっかりと樹木や電線にも付着していた。

15cmや20cmほどの雪でおどおどしているのだから、やはり今年は雪が少ないのだと思う。天気予報を信用するならば明日は久し振りに気温も上昇し、零下の世界から抜け出すことが出来そうだ。

パチンコ屋の駐車場に車が停まり、ドアをばたんと閉めた途端、その電線の雪がどさっと落ち、丁度真下を歩いていた人の頭に当たったのか、悲鳴が聞こえて来た。その時はベランダに居ながら思わず笑ってしまった。悪い事をした。済まん!
しかし、ドアを閉めた車はかなり遠い所にあったのだ。あの振動で電線の雪が一気に落ちるとは…!

現在は丁度日付が変わった時間。雪はまだ、かなり降っているが一時の勢いはなく、雪の向こう側に月が見える。山は越えたと考えて良さそうだ。