20080102

雪の中、年が暮れ年が開け

久し振りの更新となる。
誰か読んでいてくれる人は居るのだろうか?と不安になったりする。

薬も適度に効いて、比較的好調な年末年始だった。

この頃の天候は北半球と南半球でほぼ完全に分かれるような、古典的な気団の動きをしていないような気にさせられるものが多い。
年末年始には大雪になったが、これも雲の動きを追跡していると南半球からやって来た雲がインド経由で中国に至り、それが日本迄やって来た。そんな動き方をしていた。
それでも週間予報を信じて、曇り空が続いてたまに雪が降るような天候を期待していたのだが、直前になって朝鮮半島の付け根当たりで渦を巻き始めた低気圧を見るに至り、観念した。大雪になった。

だが、大陸からの吹き出しの雲はかなり西に傾き、冬らしい冬とはまだ言えない。雪雲も殆どは北アルプスでブロックされたのではないだろうか?

雪は層状に積もっている。所々汚れているのは目の前の店舗の工事現場から飛んで来た砂埃が混じったのか、年末に朝鮮半島付近で観測されていた黄砂が混じっているのかよく分からない。色は黒い。

心なしか昨年降った雪は重く、今年に入ってから降った雪は軽い。そんな気がする。寒くなって来たのだろう。

新年早々、雪掻きで腰を痛める。

腰を痛めた事を口実にして、本ばかり読んでいる。
ロマン・ロランは昨年再発見した最大の作家だった。しばらくはロラン熱が続くだろう。熱が醒めたら…一旦作家に熱を上げるとあまり醒めないわたしだが、醒めたら醒めたでわたしにとって重要な作家のひとりになるだけの話だろう。

amazonで手頃な値段の本がなかった事から他のWeb古書店を幾つか知る事が出来た。確かに古書店のオンライン化はかなり進んでいるようだ。

ロランの魂は強靭だ。どの本を読んでもその事を感じる。無論人間的な弱さもあり、苦しみの吐露もあるのだが、自由で不屈な精神の存在を十分すぎる程に信じ切っている。これは生きた時代の厳しさから考えると驚異的な事だ。或いは、生きた時代が苦しい時代だったからこそ、生まれ、愛された作家なのかも知れない。

逆に言えば彼の強さが、現代と折り合わないのかも知れない。生きづらさが強調される。自分探しが至る所で行われている。そして、人々は孤立し、更に自分を捜そうと躍起になる。

他人探しをした方が良いのだ。
一般の人が思う程、他者というものは見付けやすいものではないように思う。そして、一般の人が思うより、自分探しは意味があるものではないと思っている。「本当の」自分なるものを探しまわるならば、他者と交わるところから始めた方が良い。交わるに値する他者を発見する事の方が遥かに実りがあるだろう。

これは、一見矛盾する事のように思われるかも知れないが、孤独であれ、と言っているのと殆ど同じ事だ。

ロランはロランという独りの人間である事によって、ベートーヴェンに、ミケランジェロに、そしてトルストイに出会っている。ヘッセに向かい合っている。そのように感じる。

わたしがそうであったように、現代人はこの強靭な精神に「負けて」しまうのかも知れない。

3日は人と会う為に長野駅にゆき、時間があったので善光寺へも足を伸ばす。何と善光寺で初詣をしてしまった。その後、折角ここ迄来たのだからと(どういう理由だろう?)本屋へも行く。だが、本を見付ける体力がない。本の背表紙は目に入るのだが、何も選べなかった。

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