20081231

大晦日の雪

昨夜降り始めた雨は日付が変わる頃雪に変わった。最初はちらほらと、そして2時頃からは本降りの雪。
これで2年連続の積雪の中の正月となるかも知れない。

自分で正月と書いておきながら…なのだが、世の中はクリスマスに次いで、今度は新年に向かって一斉に動いている。この一斉に…と言う奴にわたしはどうも乗り遅れるようだ。付いて行けない。

独り暮らしの時代はとうの昔に終わっており、次第に慣れて行くものと鷹揚に構えていたのだが、年を取るという感覚はむしろ歳とともに薄れて行く。

独り暮らしならばある程度すんなりと、そのまま過ごせていたのだろうが、この事が至る所で様々な形での摩擦を引き起こす原因になっている。鷹揚には構えていられなくなって来た。世の中なかなか面倒なものだ。

面倒だから面白いのだと、開き直って、この未曾有の不況の中で面白く生きて行く手立てを考えねばならないのだろう。


大陸から、季節風の吹き出しによる筋状の雲が押し寄せて来た。
西から回り込む様にやって来ている。この雪はその為西日本を含む広い範囲で積雪をもたらす可能性が高いと言う。

確かに、最初の筋状の雲が到達する頃雪に変わり、その雲が細い筋になったものが到達するや否や雪は本降りとなった。この当然過ぎるシンクロに、少しだけわたしの心は踊る。

この正月はドイツ語の基礎を固めるつもりでいる。
文法書と古典を読むつもり。


中東ではイスラエルによるガザ侵攻が本格的な戦争状態へと変わりつつある。少なくともイスラエルはそのつもりらしい。

このような状況に対し、語学の勉強、それもドイツ語やフランス語の勉強や、古典の読書は、古くて新しい問いかけの通りあまりに無力で無能だ。

どうせわたしと言う人間そのものが無力で無能なのだと、ここでも開き直って腰を据えてみるが、据えた筈の腰はすぐにそわそわし始め、これまたこの時期何やってんの?と思いたくなるような日本の報道にじりじりとした思いを抱く。

結局(様々な問題はあるにしても)有効な情報はまた、Webに頼らざるを得ない事となった。
メーリングリストやBlogなどを通してガザから伝えられて来る声は細いが、如何なる報道より力を持っている。

21世紀のピカソはガザで『ゲルニカ』を描かないのか?


雪が一旦消えた頃、ベランダの手すりに付いた汚れにびっくりした。

このところ、雪は最初から汚れて降って来るものになってしまったようだ。


新年への流れに乗り遅れつつ、わたしは雪を見て、語学を勉強しながらガザから送られて来る。そしてすぐに断ち消えてしまいがちな声に耳を澄ませる。

20081226

終日の雪

このところ、いつ雪が降り始めてもおかしくない天候だった。

昨夜降り始めた雨は23時頃から雪に変わり、気温も下がり続けた。今日の日付になってから、気温は零下を保ったままだ15時の気温は-1.4℃。これをピークにしてまた気温が下がり始めたので今日は一日中零下のまま終わるのだろうと判断出来る。0時に観測された0.3℃が本日の最高気温と言う事になるのだろう。

当然の様に今朝は雪掻きの音で目が醒めた。

4、5cmは積もっただろうか。

吹雪だった22日のような結晶がはっきりと見える程大きな雪ではなく、小さな結晶が集まった乾いた雪だった。こうした雪はすぐに積もる。
日中、薄日が射す時があったが、雪は相変わらず舞い続け、夜を迎えようとしている。

ここは東京のような交通網が発達した大都会ではない。交通機関に、そう大きな混乱はないだろう。大雪注意報が出ていたが、それ程の大雪とは思えない。ただ感覚がこちらの天候に慣れて来ただけなのかも知れないが、時々見えた山々の雪も思いのほか深くはなさそうだった。やはり雪は少ないと感じる。

普段は山々に見られる雪線が次第に降りて来て、里に雪が積もる。それが今年はかなり高い所に雪線が現れ、すぐ里に雪が付いた。

北信濃の盆地部ではホワイトクリスマスはまず見られない。だが、クリスマス明けには積雪が見られる事が多い。全く困った場所だ。今年は暖かく、雪も殆ど見られなかったので普段の年より積雪が遅くなると思っていたのだが、やっつけ仕事でもしているのだろう。積雪の時期だけ普段通りになった。見事な日程調節だ。

この程度の雪ならば、むしろ風情を感じる。

だが、駐車場や道路の各所に、掻き集められた雪の山が出来た。この山はここ暫くは解けそうにない。この山から寒さがほとばしり出ている。

こうした雪の山が、夏にあったらどれだけ涼しくなるだろうといつも思うのだが、世の中そう思い通りに出来ていない。やはり雪の山は冬にしか出来ない。

17時、遂に気温は-3.5℃となる。もうダメだ。

20081220

穏やかな土曜日

ひと月もBlogの更新をしなかった。

12月も下旬に差し掛かろうとしている。
ひと月前のエントリは初雪について触れている。だが、盆地部はもちろん全く雪がなく、山々の峰にも薄らと雪が付いているだけだ。大抵12月にもなれば真っ白になっている飯縄山も今年は殆ど雪がない。

この間、一度霙が降っただけで、概ね良好な天候が続いている。

市街地の本日の最高気温は12℃。まあこれは順当だろう。とは言え平年並みと言うのがそれ程当たり前な事とは限らない。気温は平年値を中心に、大抵大変高いか、大変低いかのどちらかである事が多い。平年並みの気温が続いている今年の冬は、むしろ異常気象なのかも知れない。

だが、この穏やかな日々ももうすぐ終わろうとはしている。この後北信濃はゆっくりと下り坂に差し掛かる。経済がではない。天候がだ。
経済の方は殆ど破綻していると言って構わないと思う。地方都市にいるとその危機感は差し迫ったものに感じない。けれど東京にいた頃の感覚を思い出してみると、この地に移住して来た頃より一層厳しいものになっている。

この頃ようやく、わたしは貧困層に属しているのではないか?と思い始めた。維持費が払えず、車を手放した辺りからその自覚は芽生え始めたのかも知れない。

ないか?なのだから、まだその自覚は浅いものと言える。まだ迷いがあるのだ。やはり貧困層とはもっと切実なものなのではないか?だが、貧困問題などを取り扱っている本などを読むと、わたしの年収は立派な貧困層のものだ。

このような年収の人間がコンピュータを持っていたり、本を増殖させているのは奇跡と言うより矛盾だ。…とは言え本を買う事も最近は随分控える様になった。もうこれ以上必要ないのではないか?と時々思いながらやはり購入してしまったりしている。

西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を買う。実体験だけに迫力がある。それにこの本は高度成長期にも貧困層はあったのだという立派な証拠になる。
日本やアメリカでは貧困問題は長い間忘れられていた。

貧困問題は格差の問題でなければ最近の話題でもなく、それ自体がひとつの国の失敗を示す、独立した問題だ。

だが、貧困層に属する事を自覚し始めた人間が、貧困の本を買ってどうする?

火曜日には雪が、いよいよ、予想されている。貧困問題をとりあえず放り出して布団を干す。

穏やかな状態は、そう長くは続かない。

20081120

初雪

日中にも少し降ったらしい。全く気が付かなかった。

今日は下弦の月が出る。その事だけが頭にあり、語学の番組を見た後、それを見ようと窓越しに空を見た。おぼろげながら雲の向こう側にその光があった。だが、部屋の明かりに照らし出されて白く光るものが落ちて来るのが見えた。

これは!と思わずベランダに出てしまった。

月がおぼろげに出ているのだから、雲はそれ程厚いものではないと思う。けれど、雪がしっかりと降っていた。暫く見ていたのだが寒さは厳しいものがあり、また部屋の中へ…

残り少なくなっている子供心が騒ぐのだろうか?これから先の事を考えるとうんざりもして来る。とりわけ今年からは車がない。外に出るにしてもよく滑る歩道を寒さに凍えながら歩かなければならない。にも拘らず初雪には未だに心浮き立つものがある。

よく見ると路上は単に濡れているだけだが、植え込みや家々の屋根の上には薄らと積雪も認められる。

朝迄にはどれ程積もるのだろう?と、これもかなり弾む思いで期待しながら部屋に戻り、すぐにストーブを点けた。

30分程経って様子を見に行った所、雪は雨に代わっており、更には結構はっきりと下弦の月が見えた。

なかなかにして気候と言うものは気紛れで、期待や予想を十分に満たしてはくれない。

東京とは違って、明らかな冬と言う季節がある信州の、その冬が始まった。

20081114

本格的な冬へ

ベランダの縁に留まっていたクサカゲロウが丸めたセロハンテープの様に見えた。

この頃しばしばてんとう虫がやって来る。昆虫たちの営みが、今も続いている事を確かめる事が出来る事は嬉しい事なのだが、やって来ては殆どの場合、サンダルやその周辺に糞をして行く。あれは何故なのだろう?ちょっと迷惑している。

昨日あたりから雲ひとつなく、満月や、今日の立待ちの月(今月もそう言うのだろうか?)が、くっきりと見えた。

今朝は5時に4.6℃を記録し、これが最低気温になると思っていたのだが、7時に再び気温が下がり、4.3℃を記録した。だが、このところそれでも暖かい。
昼間は降り注ぐ太陽に暖められ、15時に17.2℃迄気温が上昇する。部屋の中の気温は20℃を越えた。

山々は紅葉が麓迄届き、全山真っ赤になっている。そこに夕日が当たると燃え盛る山を見るようだ。

この地域の最大の財産は、これら四季折々に豊かな表情を見せる自然の美しさである事は(多分)誰もが分かっている事だと思いたい。
だが、何故この宝を壊し、ゴミを造るような事業が平気で行われ、或いは行われようとするのだろうか?

今も野尻湖周辺、赤川では産業廃棄物処理場の計画が再燃し、多彩な方々の貴重な時間が、その反対運動の為に割かれている。

あのロマンティックな場所に、著しくロマンティックでない計画が強行されようとする。その感性は、わたしには到底理解出来ない所だ。

この計画は、極めて杜撰なもので、計画の中には廃棄物は地下水と触れない、などと言う内容すら含まれている。それが簡単に出来たら、恐らく、核のゴミは今程騒がれず、莫大な資金もそこに投入されていない筈だ。

どこの地方都市も同じだと思うが、財政は逼迫している。「立案者」はそこにつけ込む。

三宅島ではそこら中に天然記念物に指定されている鳥たちが飛び交う環境の中、東京都知事の肝煎りで「三宅島をマン島のようなバイクの聖地にしよう」とバイクレースが行われた。

三宅島に行ったとき、その昆虫たちの豊富さにも驚かされたが、それらのうち幾つかの種は滅びに向かう道が、突然敷かれたようなものだろう。

この辺りの「経済」の人の感覚が理解出来ないのだ。

既にある、宝物を何故わざわざ捨て去り、破壊し、そして新たに「ゴミ」を金かけて造ろうとするのだろう?

夏の終わりに行った志賀高原も、わたしの目からはズタズタに引き裂かれた森林としか思えないスキー場が「売り」となっていた。その「売り物」は衛星画像で見ると不気味な造形を呈している。

そこにバブルの時代。ゴルフ場が加わった。破壊と不気味なオブジェはより一層その空虚を広げた。更にオリンピックがあった。どう考えてもあれは失敗だったと思う。
為政者はオリンピック以後のことをどう考えていたのだろう?

などと考えているうちに月が高く昇ってしまった。さすがに寒くなって来た。

暖かいのは来週頭くらい迄で、その後雨を経て、寒さはまた一歩、その足取りを進める。21日には最低気温が0℃と予想されている。盆地で0℃なら、少し高い所はもはや完全な冬になる。

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その後、午後になって気象サイトを見てみると、21日の予想最低気温は-2℃となっていた。最高気温は6℃。どうやら冷え込むのが早まったようで、18日の最低気温5℃が19日の最高気温と等しくなると予想されている。その日から雪の予想も出されている。

本格的な冬は、予想以上に早く来そうだ。

20081105

寒い

昨日(4日)の最高気温10.8℃は3日の夜中の気温にすら届かなかった。
札幌では初雪が降ったと言う。長野では飛沫のような雨が朝方本格的になった。心なしかうっすらと、日本海に季節風の作る筋状の雲が見える。

これは寒くなるぞ。と身構えたものの、現実は想定していた寒さより遥かに寒かった。その寒さに北から東の風が加わり、体感温度はより低いものになった。

その為、夜になって星を見ようとベランダに出た時、昼間より暖かく感じた。実際の気温はどうなのだろう?と気象サイトを見ると、低かった日中の気温から、更に下り、今日の朝6時には1.8℃を記録した。

それでも風がない分外に出ても昨日より寒さを感じない。

外より遥かに高い筈の室内で寒さを感じ、ストーブを点けてしまう。未だに東京で養った寒さに対する軟弱さから抜け出していないようだ。

長野市内では今日、初氷を観測したそうだ。
この辺りではそのような気配はない。長野市と言っても広い。恐らく戸隠辺りだと思う。

辺り一面霧が漂い、その中をウォーキングの方々がぶつかりそうになりながらすれ違って行く。風情はやはり冬だ。

春は遅く来るくせに、秋や冬はやたらに早く来る。それがこの地域の気象なのだと諦めるしかないか…。

30日に降った山々の雪は未だに残っている。雪の下には紅葉の層がある。山があると、季節が立体的に感じられる。毎年思うのだが、秋と言う季節は2000〜3000mくらいの厚さしかない、薄い板状の季節なのではないだろうか?

トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』の冒頭を思い起こさせるような弱々しい冬の太陽が霧雲の向こう側に見える。この太陽。日中の気温をどの程度押し上げてくれるのだろう?

20081030

やはり山は雪だった

意外と「丁度良い気候」が長続きした。
だが、昨日は冷たい雨と風。自転車で外出した為すっかり身体が冷え、凍えた。

雨はしぶきのような感じで、小雨とも呼べないものだったが、雲は分厚かった。それを見ながら山は雪かも知れないなぁ…と思っていた。

今朝は更に冷えた。アメダスデータで4時に4℃を記録した。

午前中から山に掛かっていた雲も取れ、久し振りに遠くの山々が見渡せた。やはり山々には雪が付いていた。
とりわけ横手山から志賀高原にかけては遠目にもやや深い積雪が想像出来る程だ。

妙高にも再び雪が付いたと言う報せもあった。

あの辺りに雪が付くと、ほぼひと月後に盆地にも雪が降る。
霜降にはとっくに入っているが、霜が付くより早く、山に雪が付いてしまった。


29日早朝、パキスタン西部のBalochistan(バルチスタン)州、Quetta(クエッタ)から北東に50kmほどの位置にあるZiarat(ジアラット)付近でUSGSマグニチュード6.4の地震が起きた。
発生当初はさほど大きくない規模だったのでスルーしていたが、既に170名以上の死者が出た事が報道で伝えられて来た。浅い(H=15km)地震だったらしい(その後、確認された死者の数は300を越えたと報道している機関もあり、数にばらつきは見られるが、増え続けていることは確かだ)。

そう言えばあの辺りの家は泥煉瓦で作られたものが多かったな…、と思い出し、記事を読んでみると地滑りも発生したらしい。ヒマラヤを押し上げた断層が至る所に走り、岩ももろい地質構造を甘く見てはならない。と自省した。

まだ情報が錯綜しておりまとまった事は分からないが、少し「見えて」来たらBlog『冬の砦』あたりにまとめてみようと思っている。

このような時に、掲示板『夏の扉へ』に繋がらないと言うのはもどかしい。

20081010

寒露

寒露に入って3日経つ。ようやく自転車が自動車より快適に思えて来た。

寒露は秋の長雨が終わる頃とされているが、長野はその秋の長雨から逃れている。そのせいかも知れない。この気候がこのまま続けば良いのに…と思うが、そうした「丁度良い」気候と言うものは大抵長続きしない。すぐに寒い季節がやって来るだろう。そうでなくても雨や雪が降ると、どうしても屋根が欲しくなる。

もうひとつタイヤへの空気の入り方が足りない感じがしたので自転車屋さんに行って、空気を入れてもらう。空気の入れ方のコツを教えてもらう。
充分に空気が入った自転車は、更に快適だ。

この頃、自転車そのものの選択が間違っていたなぁ…。と言うより、そもそも自転車に付いて何も知らなかった自分と言うものに気付き、がっかりしていた。

どうも今持っている自転車は、どちらかと言うとスピードを楽しむタイプらしい。

軽さを重視して相談しているうちに今の自転車になったのだが、もう少し遠乗りをしてみたくなった。

長い距離を自転車で行く事には興味があるが、スピードを出して楽しむと言う楽しみ方は余り出来そうにない。第一、自分の足だけでスピードを満足のゆく迄楽しめる地形は、この長野のどこにあると言うのだろう。
どちらかと言うとツーリングタイプの自転車の方が、自分に合っていた様に感じ始めている。重さは慣れで何とか克服出来るだろう。

寒露から、随分話が逸れた。

20081002

衣替え

2日になって何を言い出すのか?そう言われそうだが、今日になって気が付いた。

気象庁のアメダスデータ(気温)を動画で表示すると、最初に9月30日のデータが出る。どうやら気象庁も衣替えがあったらしい。10月に突入するといきなり西日本が赤い色で占められる。10月1日からは20℃以上がこの色で表示されるようだ。今迄知らなかった。

考えてみると幾ら長い日本列島とは言え、気温の分布にそれ程差がある訳ではなく、限られた色で気温を表示する為には「衣替え」が必要なのだろう。
色彩が、低い気温が表示されるべく準備された。

何故か今頃になっても颱風は、まるで春の颱風のような軌跡を描く。発生場所が西に移動しているからなのだろうか?昨年辺りから気になっている。

大まかに言うと、6月あたりの颱風はただひたすら西に移動して行って、中国大陸に上陸するか、大きくカーブして日本列島に近付くか、といったコースを取る事が多く、それが次第に東にずれて行き、9月あたりの「颱風シーズン」になると、まるで弧状列島をなぞるかの様に沖縄から九州、そして関東をかすめて太平洋上に出て行く。秋が深まると日本列島をかすりもせずに太平洋上でその一生を終える。そうしたパターンがあったのではなかったか!?

この頃は、秋になってもフィリピン付近で颱風が発生し、そのまま西に向かう。

颱風シンラコウもチャンミーもフィリピン付近から台湾を目指し、急カーブして日本列島にやって来た。

チャンミーは今日関東地方をかすめ、温帯低気圧となって太平洋に出て行った。が、既に17号颱風ヒーゴス(Higos:いちじく)が発生し、既にフィリピンを通過している事に、これまた初めて気が付いた。16号颱風メーカラーは一体いつ発生し、どのようなコースを取り消えて行ったのだろう?わたしは全く知らない。

おぼろげながらに、颱風になりそうな雲の渦があるなぁ…と心当たりはあるのだが、それが颱風になった(或いは、だった)と言う確証がない。

今日は久し振りに秋らしい晴天が続いた。アメダスデータでは19.7℃が最高気温だが、実際には20℃に達したのではないだろうか。

明日は日中、もう少し暖かくなるようだ。朝晩の気温は低く、肌寒いと言うより寒くすら思える程だ。

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この頃、お天気の事しか書いていない。

少し前、気分が下り坂だった所にショックな報せが飛び込んだからだ。あの笑いを笑う者がもう居ないと言う事はつらい事実だ。

寒かった時期の事をBlogにもmixi日記にも記録出来なかった。

20080927

冬の便り

やけに冷え込むなぁ…と思っていたのだが、方々から冬の便りが届く。北海道ばかりではなかった。本州でも蔵王で初冠雪が認められたようだ。
近い所では妙高や黒姫でも雪の写真が撮られていた。思わず身震いした。

冬はすぐそこ迄素早くやって来ていた。

今日の善光寺平はアメダスによると最低気温が9.9℃。最高気温が16.1℃。まだ冬の気温ではないが、充分に寒い。

最低気温が10℃を割ったのは、この秋初めての事ではないだろうか?この1週間の気温の低下には目を見張るものがある。早朝(と言うより夜中)目を醒ましてしまった時には暖房が欲しくなる。

先日迄うるさい程鳴いていた秋の虫(多分全部エンマコオロギ)の声も、明らかに弱々しくなった。

気象庁の長期予想では、この冬は暖冬だと言う。この先、どの様に天候は移り変わって行くのだろう?

台湾は今年、颱風の当たり年だった。現在台湾に向かっている颱風15号Jangmi(韓国語でチャンミーはバラを意味する)もまた、ほぼ確実に台湾に上陸するだろう。
そのばら颱風の進路に変化が見られた。
当初の予想より北に進路を変えつつある。進路予想では台湾を通過した後、大陸の直前で偏西風に流され、急に北東に曲がるらしい。
「猛烈な」と形容された久し振りの颱風だけに、その進路の行方が気に掛かる。

くっきりとした目を持つ、美しい颱風だ。

20080924

秋晴れ

昨日(23日)は人並みに父の墓参りに行って来た。空気が入れ替わったようだ。まだ暑いと思っていたのはほんの3、4日前。だが、昨日はさすがに長袖を着て出掛ける。とは言え、日中はまだ暖かく、長袖はまだ早かったか?と、やや反省。

この反省がいけなかったのだ。

夜中に目を醒ます。明らかに寒い。空に出ていた月も、薄い雲に覆われていたが、白い寒々とした光を放っていた。

オリオン座は早々と南の空に上がっている。
風が強く、ベランダに出るとその風がもろに吹き付けて来る。早々に退去した。

さて、朝もう一度目を醒まし、昼はそれでも暖かいだろうと半袖のTシャツに着替える。一旦着てしまうと、わたしはなかなか着替えると言う事をしない。昼は暖かくなるのだ…、と念ずるように半袖一枚で過ごしたのだが、…果たして今日の最高気温は21℃に達したのかどうか?
11時頃、一旦気温は下がったもののその後持ち直し、12時には20.7℃迄持ち直した。このまま気温は上昇するだろうと思っていたのだが、結局その値が今日の最高気温になりそうだ。気温は20℃を少し越えた辺りをうろうろして夕方になった。

気象サイトを見ると、北海道の鶴居では最低気温が2.5℃だったらしい。恐らく、信州でも山ではその辺りまで下がった所があるのではないだろうか?尤も、稚内で初冠雪が認められたらしいので、北海道には敵う訳がないのだが…。

ベランダに出て、空を見るとすっかり秋晴れ。空には筋雲しかなく、その雲量も極めて少ない。
だが、山々はまだその色を変えず、どこかしら夏の名残を感じさせる。

丁度偏西風は東上がりに吹いている。この後、天気は下り坂を迎えるだろう。
「一雨一度」という言葉があるそうだ。一雨ごとに、気温は下がって行く。少し前迄、このまま冬も暖かいまま迎えるのではないかと秘かに期待していたのだが、季節はきちんとそれらしい装いを纏ってやって来る。

こちらも、それなりに「それらしい」装いに変えなければ。もう一日中半袖で飛び回っているのはやめにしよう。

20080921

颱風一過、だった。

颱風シンラコウは日本から離れ、太平洋上に出てからも暴風雨圏を保ち、未だ渦を巻いているが、既に14号ハグピートが発生してる。直接日本に影響を与える颱風にはならないだろうが…。

昨日は日記を書いた直後から晴れ渡り始め、颱風一過というより颱風一夏と呼びたくなる程の暑さになった。颱風の影響を全くと言っていい程受けなかったのだが、その後の晴れ間だけ恩恵を受けるのは、どこか済まない気分になる。
女房殿はとっとと山に遊びに行った。

このところどうも気力に欠ける。わたしも誘われたが断ってしまった。

今になって後悔している。今日は一転して雨。
朝5時頃から急に降り始め、急いで洗濯物を取り入れた。その時は一過性の雨だと思っていたが、なかなかどうして、そのまま本降りになった。
昨日の暑さをそのまま残していた気温は10時迄どんどん下がり。17℃台まで下ってしまった。これも予想外の出来事だった。
その直前に気象サイトを覗き込み、今日の昼迄は晴れそうだと予想していたのだ。エンマコオロギもうるさい程鳴いていた。

今日の雨も、長野では大人しく降っているが、九州方面では大雨で、山陽新幹線が運休になっている。
颱風に引き続き、ここでは雨の影響をかろうじて免れているらしい。

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結局21日は0時0分の気温23.1℃がそのまま最高気温になった。

20080920

夕焼けと虹

5時40分。やうやう白く明けゆく。紫立ちたる雲の広くたなびきたる。

お年寄りたちのおはようの挨拶が方々から聞こえて来る。早起きだなぁ…と改めて思う。それを聞いているわたしは何か?など余計な事は考えない事にしよう。

ある気象サイトでは、一昨日は「雨は避けられないでしょう」とのことだったが降らず。昨日は「午前中からポツポツと降り始め、午後はザーザーと降るでしょう」という予報だったが午前中は全く降らず、午後から夕方にかけてポツポツと雨が降り始めた。いろいろと難しいのだろう。
颱風が接近しているという実感は全くない。

いつまでも夏の気分で居ると、今に痛い目に遭うぞ!と思うのだが、このこのサイトの今日の最高気温の欄には31℃という凶悪な数字が書かれている。
…暑さ寒さも彼岸迄、今日は彼岸の入りなのだ。今日迄なのだろうと気持ちを落ち着けながら、別のサイトを見ても、29℃とある。こちらのサイトを信用する事にした。2℃の差はかなりキツい。…本当に今日迄にして欲しい。

一昨日のうちに買っておけば良かった…と思いながら、傘もささず来月の語学テキストを買いにゆく。
雨はどの程度なのだろうかとベランダに出たら、部分的に夕焼けがあり、驚いた事に日没の時間だと言うのに虹が掛かっていた。それも「橋脚」の部分はかなりはっきりと見える。夕焼けと虹を同時に見たのは初めてだった。ほぼ半円形の立派な虹だった。さすがに紫や青はぼんやりとしか見えない。

部屋からは西の空が見えないが、夕焼けと虹が見えると言う事は、太陽が出ていると言う事だ。外出を決断した。

「テレビで〜語」も来月から「新学期」に入る。
さて、意気込んで始めた今学期、何点くらいあげられるだろう?そう考えて愕然とした。
先ず、暑さでへばった月を除くと、真面目にやった月は半分くらいしかない。…いや本当に真面目に取り組んだのだが、どう考えてもその月の内容をどの位理解出来たかを客観的に判断してみると、せいぜい半分くらいしか理解出来ていない。
「25点か…」隣の人が聞いたら意味不明であろう呟きをバスの中で漏らす。

本屋に着いて、激しく迷う。テキストに「再放送」と書いてある。

今年度から外国語講座が大きく様変わりしている事には気が付いていたが、このような事は初めてだ。ドイツ語、フランス語、両方のテキストを見ると、確かに見た記憶がある。見た記憶があると言う事はそのテキストが家にあると言う事だ。

このようなとき、貧乏なわたしは激しく迷う。番組を使い回しするのであれば、こちらもテキストの使い回しをしようか?6ヶ月と言えど、結構な出費なのだ。よく見ると、番組の一部はちゃんと新しい内容になっている。
さすがNHK。そう易々とテキストの使い回しが出来ない仕組みを作っている。

新しいクルーは、新たな気持ちで取り組みたいものだ。そう考えて蛮勇を奮って(そんなに大袈裟な事だろうか?)テキストを新たに購入し続ける事にする。
再放送するクルーは、漫然と見ていて内容が面白く、とりわけドイツ語は、しっかりやっておけば良かったと思ったクルーだ。

余裕があれば、25点だった前期のテキストを復習したり、他の参考書にも手を出すことが出来るかも知れない。

もうすぐ10月に入る。
今日は暑いようだが、もうひと月経ったらほぼ確実に寒い季節に突入している筈だ。何故か今年は秋になって、鬱状態が厳しくなってしまったが、寒さが訪れれば少しは楽になるだろう。
寒さという別の厳しさは、当然のように待ち受けているだろうが…。

20080916

志賀高原 行

最近思うように歩けない事にぶつくさ言っているばかりだったので、リハビリを兼ねて9月14日、志賀高原の高天ヶ原まで行って来た。と言うと格好良いのだが、女房殿に連れて行かれたと言った方が正しい。どこかに行くにしても車ばかりで、周りの景色を見る事がなかなか出来ないので、バス〜電車で山に行きたかったらしい。それもひとりではなく。

どうでも良いが、高価い!高価過ぎるぞ!長野電鉄!!。

わたしの方は1km歩くのも精一杯の状態なので、登山は諦めてもらい、ロープウェイ〜リフトと乗り換えて頂上迄運んでくれると言う何とも、情けないと言うのか、ずぼらと言うのか、恐らく結構歩けた20代の頃だったら頭から軽蔑していたであろうコースを選んでくれた。

だが、山は山。乗り換えのときなど、どうしても坂道を歩かなければならない。しかも、観光開発が進んでしまっている所は歩く通路がきちんと舗装してあったり、板が敷き詰められていたり、つまり足にかなりの負担をかける構造になっている。

最大の故障箇所の右股関節をかばって歩く為、とりわけ下り坂では腰や膝に負担がかかる。

体重を大幅に落とさなければ…と痛切に感じた。

だが、行って良かった。
空の色、風の香り、そして何より周りの風景が全く日常と異なる。

信濃に戻って来たとは言え、大通りの脇に住まいを選んでしまった為、県外の人が抱くであろう信濃のイメージ、「自然豊かで、爽やかな…」とはかけ離れた生活をしている。
先日、井の頭公園に行った時は普段より多くの昆虫や植物に囲まれかなりショックだった。

高天ヶ原には、囲まれていたい環境があった。と、思い切って言ってしまおう。

実は頂上に着く迄なかなか感性が動き出さず、山や植物を見ても無感動だったのだが、植物園にある花々に10頭程のクジャクチョウが乱舞する姿を見て、心が動き始めた。
あれだけの頭数のクジャクチョウを一度に見たのは初めてだ。

あまり動けないわたしをチョウの園に置いて、女房殿はあちらこちらに歩き回っていた。本当は思う存分に歩きたいのだろう。いつか、一緒にその願いを叶えさせてやりたいものだ。それはわたしの為でもある。

わたしも少しは歩いたのだが、どう考えても合計で3kmくらいなもの。情けないが、それでも股関節に痛みが宿ってしまった。
痛むのは若い頃と同じなのだが、要するに、気力が衰えて来ているのだろう。真剣にリハビリをしようと言う気になった。これでは人生がつまらな過ぎる。

どの位、山頂に居たのだろう?最終のゴンドラリフトに間に合うようにと、急ぎ目に引き上げることにした。
リフトの中では激痛が走る。歩いた後、バランスを取る為に微妙な動きが必要な環境に身を置くとどうしてもこうなる。

ロープウェイの中では椅子席を譲られたが、動いているロープウェイの中では歩く事もままならない。終点に着いた時、丁寧にお礼を言ったが、ちょっと失礼な事になってしまった。

ホテルで温泉に浸かって行く事にした。
800円。と言われ、ふたり分だと思って1000円札を出したら、ひとり800円だと言う。当然大浴場を使えるもの…と思いきや、反対方向の浴場への行き方を案内された。
それが粗末なものだった事も呆れ返ったが、湯の熱さにも驚いた。これでは足湯しか出来ない。と足だけを湯に入れていると、見る間に真っ赤になった。
誰も入っていない事を良しとして、水をじゃあじゃあ入れる。ようやく一角が身を沈めることが出来そうな温度になったので、少し浸かったが、果たして何分だったのだろう?恐ろしく高価い温泉だった。

湯の質は良い。

帰りの電車の中から中秋の名月が見えた。

20080901

夏の終わりの豪雨が去って

昨日(8月31日)は二百十日。だが、日本列島に絡み付くように広がっていた前線に伴う雨雲は剥がれて行った。太平洋上にも颱風の発生は見られなかった。

今回の豪雨は所謂ゲリラ豪雨(〜雷雨としているのは極限られたサイトだった)とは異なり、オホーツクに停滞している高気圧の為に身動き出来ずに停滞していた前線に南からの湿った空気が吹き込んだ為に起きたとされている。実際に衛星画像を見ると、日本列島に沿うように分布していた雲に、南から、それとは氏素性の異なる雲がぺたぺたとくっついてゆく様子が分かった。

ここ善光寺平では雨はそれ程激しくなく、むしろ、今にも止みそうな雨がいつまでも降り続く、そんな天候だった。
仮に今が戦時中で、情報統制が徹底していたら、あの雨が多くの地方で大被害を出していたとは知る事も出来ず、それを感じ取る事も出来なかったに違いない。

前回、日本列島の気象は熱帯のそれであると書いたが、やはりそうでもなさそうだ。季節は少しずつ動いている。
車道の脇に植えられている桜の葉も色づき始めた。…とは言えその幹にミンミンゼミが留まり、盛んに啼いているのだが。

今年の天候は、夏になる前に暑くなり、秋になる前に涼しくなってしまった。その様に捉えるのが最も妥当であるように思える。

昨日は局地的な雨を降らせていた浅間山方面の積乱雲と北側の層雲の縁を造る鰯雲が見事なコラボレーションを見せていた。

夏と秋が同居しているような光景だったが、秋と言うにはまだ早いという感覚がわたしの身体の中にある。それは空の色であり、空気の湿り気であり、聞こえて来る虫たちの声からの判断なのだが、東京で培った9月の暑さへの警戒感も少し混じっているようにも思う。

実際に今日(9月1日)は暑く、数は少ないもののミンミンゼミが盛んに啼いていた。

20080815

日本近海で颱風発生

1日のうちに颱風になった。そんな気がする。

朝のうちは巨大な積乱雲が幾つか集まった塊だった。それが衛星画像をReloadする度に急速に渦を巻いてゆくのが分かった。15時頃、これは颱風になるなぁ…と観念したのだが、気象庁の平成20年08月15日16時25分発表の台風情報によって、ついさっきまで熱帯性低気圧だったものが、颱風11号Vongfong(ヴォンフォン:すずめ蜂)に変わった。

感慨深いものがある。颱風とは遠い南海で発生し、それが徐々に近付いてくるもの。そうしたイメージがある。ことごとく覆された。颱風すずめ蜂は明らかに日本近海で成長し、発生したものだ。いよいよ日本も颱風の発生地点になってしまった。

最近流行りのゲリラ雷雨にしろ、当たり前のようになってしまった「猛暑日」にしろ、日本の、少なくとも夏の天候は熱帯そのものと言ったほうが良い。

予報では、颱風すずめ蜂は伊豆半島をかすめ、そのまま太平洋東海上に抜けるようだ。さほどの影響を与えるものとはならないだろうが、兎にも角にも日本近海の暑さに驚かされた。


長野は昨日の朝と夕方の雨によって、かなり過ごしやすい日となった。真昼にミンミンゼミが啼いていた。だが、これも一種の慣れであって、わたしたちはもはや30℃を超えても全く動じなくなっている。わたしたちが子供の頃は、30℃を超えるというのはひと夏にそれ程なく、「異常に暑い日」という意味だった。
気温がかなり低いレベルで推移した昨日も、難なく30℃を超えていた。


それでも、大分季節が推移してきた事をこの頃感じる。夜中に鳴く秋の虫の声は日増しに大きくなり、発達する積乱雲の勢いも弱まって来ている。

この時期になってようやく、今日この部屋から初めてキアゲハを見る。


我が家には今、オスのカブトムシが居る。どこからか飛来してきたのか、或いはベランダを伝って歩いてきたのか、日曜日、突然ベランダに現れた。
最初は情が移る前に山に放してやらねば…と思っていたのだが、お盆というものは何かと忙しく、ずるずると餌をやったりしているうちに、やっぱり情が移った。
何やかやと理由をくっつけて、部屋で放し飼いにしている。

颱風すずめ蜂もそのうち「理由」のひとつになるのかも知れない。
「颱風が去るまで、居させてあげたほうが良いのではないでしょうか?」などと…。

20080807

立秋

ブログの更新が滞っていた。暑かったからだ。

今日は立秋。
朝からミンミンゼミが啼く。最高気温は33℃が予想されている。どこにも秋の気配はない。むしろ、7月29日頃からようやく夏が始まった感覚がある。
だが、猛暑の場所は毎日のようにどこかにある。とりあえず、その前から梅雨明けを宣言していたのはさほど不自然な事ではなかったのかも知れない。

北からの上空の冷気がなかなか去らず、丁度梅雨の戻りのような気圧配置になり、不安定な天候が続く。太平洋上には低気圧が停滞している。どこにどっかりと腰を据えた夏の太平洋高気圧があるのだろう?

この頃、比較的(わたしとしては)精力的に動き回っていた。調子がいいのか?そう思っていたが昨日、遂に夏バテした。微熱があり、貧血症状が去らない。部屋の中に居ながら熱中症になったような気もする。何故か恥ずかしい。

自転車の調子が悪かった。汗だくになってポンプをこいでも、ある一定の空気圧になると入らなくなる。そのまま自転車に乗ると、さほど距離を稼がないうちに空気が抜ける。

4日、通院したついでに病院の近くにある自転車屋さんで様子を見てもらう。

フランス式のバルブは、手で空気を入れようとする事自体が無理なのだ。と言われる。その後も使い方に関してお小言を頂く。宝の持ち腐れだとも言われた。

空気圧が充分でないうちに何回か乗ったせいだろう。或いは、直前にちょっとした凹凸に乗り上げて転倒した時かも知れない。後輪がパンクしていた。意外だった。空気が抜けやすいのは、むしろ前輪だった。パンクしているとしたら前輪だと思っていたのだ。

忙しそうだったので、翌日自転車を取りに行く。その間乗って下さいと代わりの自転車も貸してくれた。しかし(当然ながら)変速は出来ない。久し振りにもがいた。

自転車を受け取りにいった日は、何故か早起きしてしまい、1時間間違えた。自転車屋さんはまだ開いていなかった。これと言って休む場所もない。仕方がないので、すぐ近くのスーパーマーケットにあるベンチで休んでいたのだが、直射日光直撃。

これが結構効いた。

何となく、体調の悪さはこれが原因だったような気がする。情けない話だ。

20080728

季節が分からない

昨日(27日)の夕立は凄まじかった。

降り始めた頃は今迄の夕立同様、すぐ上がるものとばかり思っていたのだが、暫く経つと、雷が周り中から聞こえ始め、単に積乱雲の縁が擦った程度のものではないと思い知った。

落雷に備え、雨が降り始める直前からコンピュータの電源は落としてあったのだが、その前に雲の様子をチェックしておくべきだった。かなり広範囲に広がる積乱雲だった。

16時頃、一旦雨は上がった。その隙をつくように女房殿がお買い物なんぞに出たのだが、車のシートに坐った途端、土砂降り。帰って来るように手招きしたのだが、通じず。

結局18時頃迄土砂降りが続いた。

だが、雨上がりの光景は、見事だった。
くっきりした虹が東の空に掛かり、その後、遠くの山が急速に明るくなってゆくのが見えた。
すぐ上の低い雲に日光が反射していたのだろうか?昼間見る山々より遥かに明るく、すぐ近くにある早春の草原を見ているような色彩が広がった。

あのような色彩の東側の山々を、少なくともあのような淡い緑色をした菅平をわたしは今迄見た事がない。


夜になって、再び雨音がし始めた。
今朝(28日)4時頃には一時的に青空が望めたが、遠くからは依然として頻繁に雷の音が聞こえ、1度、近くに落雷あり。
6時頃から再び降雨。沈む気分を自分でもり立てて何とかドイツ語の放送をこなす。

雨が鬱陶しいな。と思いながらゴミ出しに出掛け、帰って来るとまだひとつ、ゴミ袋が残っている事に気が付く。やれやれ…。


ところで、今のこの季節、どのように呼んでいいのかやはり分からない。

荒天は各地で被害も出したようで、ダウンバーストかガストフロントによるものと考えられる突風が幾つかの地域で観測された。

梅雨末期の荒天。そう呼びたくなる。

20080725

夕立

15時丁度、冷たい風が吹き始め、これは…と思っているとぽつりぽつりと雨が降って来た。最近連日のように極めて短い夕立が降る。3日前には30秒の激しい夕立が降った。

いくら激しく降ってくれてもこれでは湿度を上げるだけで不快指数はより高くなる。

今日も同じような短い夕立だろうと思っていたら、やはり1時間で青空が見えた。最近の青空はやや彩度が低く。数日前迄見えていた「美しい夏」を想起させる青さではなかったが、夕立の後それが戻って来た。

しかし案の定蒸し暑い。今日も不快指数を上げるだけの夕立だったか…と再び机の前に戻ったのだが、雨雲レーダを見ると、東北地方に雨を降らせている(どう考えても梅雨前線にしか見えないのだが)雲の列と並行して、細い雨雲の列が北信濃に延びて、西に進んでいる。

気温を見るとこの雲の列が通過している地域だけが15時の気温が30℃に達していない。

雨を期待して再びベランダに出る。確かに外の気温は低い。雲の列は気温を下げる効果を発揮していた。

期待通り、16時半頃再び雨が降り始める。今度は17時半頃迄降り続いた(また1時間だ)。

雨が上がるとすぐに陽が射し始める。やや蒸し暑かったが、これは虹が見えるのではないかと東の空を凝視する。虹を見ようとしなければ決して見えない程度の淡い虹だったが、確かにあった。それも弧の端から端迄しっかりと連続している虹だった。

再び机の前に…、蒸し暑い。

やはりコンピュータ2台と冷蔵庫に囲まれた環境がこの蒸し暑さの主な原因なのだろう?作業環境をもう少し合理的なものに変えてゆく事を考えねばならないのだろうか?やはり…。


雨が降り始めた15時頃、太平洋でも変化があったらしい。少し前から徐々にではあったが積乱雲の渦が成長し続けていた。それが颱風8号となった。Fung-wong(フォンウォン。山の名前。フェニックスと同じ意味らしい)と言う名が付けられている。またも台湾に向かって進んでいる。颱風がある辺りの海水面温度はほぼ28℃。これ以上北に進んでいたら颱風にはならなかったかも知れない。とりあえず本州に向かって来ないようなので安心しているが、中心気圧は994hPとかなり低い。

夕立が降り終わるや否や、一斉にアブラゼミが鳴き始めた。
「美しい夏」が帰って来た。

20080714

あの日、とはいつのことだったのだろう?

暫く前に、リンク集、「大気圏」に『みゃるの避難日記』を置いた。

2000年の三宅島噴火は奇妙な噴火だった。
火山には大抵、それぞれ固有の癖があり、大まかに見ると大体いつも同じような噴火の形式を踏んで、同じような経路を辿る。

三宅島の直前に噴火した有珠山はその好例で、次に起こる事が大体予想出来た。

三宅島は噴火が始まると、小規模な爆発はあるが、基本的には大量の熔岩流を噴出させ、大まかな火山活動は収束に向かう。

2000年の時も大方の学者は、そしてわたしも、そのような経路を辿るものと思っていた。

だが、地下からあがって来た熔岩流は地上で流れ出す事はなく、三宅島の地下で、神津島の方向に岩脈となって入り込み、ほんの一部は海底で噴火を起こしたものの、大方のマグマは地下に留まった。

2000年三宅島噴火は、余り例のない爆発的噴火を繰り返す形の噴火となった。

『みゃるの避難日記』には三宅島の島民であるみゃるさんが、最初の噴火から、全島民避難に至るまでの貴重な、余りにも貴重なドキュメントだ。

毎年、目を通す。

2000年の噴火が起きたのは、みゃるさんが三宅島に住み始めてから8年経った時だったと『…避難日記』には書かれている。

あの日から8年が過ぎた。噴火の年に産まれた子供も、小学2年生になっている筈だ。
だが、それ程昔の事とはとても思えない。

そして、いつも戸惑う。あの日から、と、毎年思うのだが…
あの日とは、いつのことなのだろう?
最初の噴火の日からなのか、低温火砕流が流れ出し、みゃるさんがそれに巻き込まれた大噴火の日からなのか?それとも全島民避難の日からなのだろうか?

地震と異なり、火山噴火災害は、長期間に及ぶ。三宅島の島民は、全島民避難の日から5年間、三宅島に帰る事が出来なかった。
遂に帰らなかった島民も居る。

その5年間の間に亡くなってしまった方々。或いは、新しい生活を、新しい土地で始めた方々。三宅島の人口は大幅に減り、かつ、高齢化が進んでいる。

みゃるさんは三宅島にかなり早い時期に帰り、その日からの記録をBlogにまとめてもいる。

島は、容易に噴火以前には戻らない。


わたしはみゃるさんから同じ災害と言うものはふたつとしてない、と言う事を教えられた。
仮に2000年の三宅島噴火が、通常の、熔岩流を噴出させるタイプの噴火であったとしても、この事は変わりがないだろう。ただ、その事が見えにくくなるだけだ。

災害があるたびに、「…年前の教訓が生かされなかった」と、安易に書かれた新聞記事を良く目にする。
だが、…年前と「今回」は常に異なる。その事は余り触れられない。

そして、わたしも2000年三宅島噴火が起こる迄、三宅島とは、第一に火山島であり、そこに暮らす人々が居る事を忘れがちだった。

20080627

蝉の声を聞く

風に乗って遠くから、蝉らしい鳴き声が聞こえて来た。
かなり遠い所から聞こえる。車の騒音に掻き乱されて最初は蝉の声である事も定かではなかった。ベランダに出て暫く耳を傾け、確かめる。種類迄は分からないが、蝉である事は確かな事と思えた。本当に蝉だったとしたら今年始めての蝉の声だ。ハルゼミだろうか?

いくら何でも蝉にはまだ早いのではないか?と最初は思ったが、もう7月も目前なのだ。

11時23.6℃だった気温は12時に25.8℃に急上昇。やはり今日(27日)はかなり暑くなるか?と覚悟を決めた途端、気温は下がり始め、夜は20℃以下になる。気温が下がり始めると同時に蝉の声も聞こえなくなった。明日も28℃まで気温が上がると言う。今日のように予報が外れるのを期待するだけだが、確かに目立った雲もなく、どうも外れてはくれそうにない。その晴れ間も前線の縁に発生する、細い帯状の高気圧帯のもので、束の間。その西には雨雲の固まりが迫って来ている。束の間の晴れ間に何故これ程の気温の上昇が可能なのだろうか?…とやけになっている。

この季節、前線がどのように動くかで天候は全く異なったものになってしまう。だが、低気圧に伴う雨雲は広い範囲に分布しており、夜からの雨は、これまた避けようがなさそうに見える。せいぜい明日は午前中、また蝉の声が聞こえる事を期待して暑さに備えよう。外気温が28℃と言う事は、室内の気温は恐らく30℃以上になるだろうけれど…。

夏になると、ここから更に10℃も気温が高くなる。暑さに弱い。それに加えて冷房病。外は工事。どの様にしてこの夏を乗り切るか?冬からその事ばかりを考えている。

近くの本屋から、『クラシックジャーナル』が入荷したと言う報せが届く。…どうしよう?暑い最中に自転車で取りに行くのはキツいな…。行くのは良いのだ。帰りのだらだらした坂道を登るのが、今の精神状態では耐えられそうにない。暑さが去ってから、大急ぎで取りに行こうか?…それにしてもひ弱なわたくしです。

夕刻、またベランダに出てみる。かなり分厚い雲が空を覆っている。北の山々からは今日も滝のように低い雲が尾根を越えている。

盆地に差し掛かると、その雲はきれいさっぱり消えてしまう。
盆地部と山間部とでは、天候は全く違うのだろう。このところ北側の山々から尾根を越える雲が途絶えた事がない。
恐らく飯綱高原はまた深い霧の中なのだろう。

20080626

巣立ちの日々?

昨日(25日)は朝から強い日光が射していたが、25℃程度と気温がさほど上がらず、午後からは強い北風が吹き始めた。暑いのか涼しいのか良く分からない中途半端な日だった。

ふと気が付くと、ツバメが5、6羽、群れをなして強い風の中を戯れるように滑空していた。

この飛び方は子ツバメ独特の戯れ方だ。生きる為に必要な事を全くしていない。
午前中の風が弱かったときに巣立ちが行われたのかも知れない。一昨日は親が単独で啼いていた。巣立ちが昨日だった事は、ほぼ確かな事だろう。
巣立ちの日なら、親ツバメは結構律儀に子ツバメを見守っている。

昨年はバランスの取れない子ツバメが電線に留まる練習をする姿を見た。必要以上に力んだ足で前や後にバランスを崩しながら、必死に電線にしがみついていた。あのような状態では昨日午後の強風の中で電線に留まるのは無理だ。或いは巣のある木立の中で巣立ちが行われたのだろうか?戯れていた子ツバメたちは、群れを成すように電線に留まり、その姿もなかなか堂に入っていた。

今日は朝から雨の予報。いつ雨が降り出してもおかしくない、分厚い雲の下、他の巣の子ツバメと思われる群れが戯れていた。

興味深い事に、巣によって少しずつ啼き方が異なる。例のやかましいツバメも子孫を残したらしく、4時頃、全ての子ツバメが「やかましく」啼いていた。何故か少しだけ嬉しく思えた。やかましいけど…

この付近、ツバメの啼き声は一体どうなってゆくのだろう?

一滴も雨が降らない。

20080624

辞書引き麻薬

挫折寸前だった。

語学の事だ。先週は暑さにやられ殆ど予習をせずに放送を見る。火を見るより明らかな大敗北。総じて6月は敗北の月だったような気がする。内容は気に入っていたのだが…。

大体内容が難しくなって来たと言うのに勉強時間が減ってしまっては理解度が低くなって当然の事だ。当然の事なのでその事は理解しているのだが、それでも尚わたしは勉強しようとしなかった。ダメなわたくしです。

フランス語の、ドラマ仕立てのスキットは終わってしまった。これで学習が半分終わってしまうのかと思うとぞっとする。

まあまあだったドイツ語も急速にペースダウン。半分を目前にして、ここ迄か…。真剣にそう思った。

ま、悪あがきと考えて…と、フランス語の予習を始めたのだが、一旦始めるとなかなか止められなくなる。辞書を引くと言う行為にはどこか麻薬じみた依存性が潜んでいるに違いない。

またまた梅雨の中休みか?と思うような清々しい天気。だが、北側の低い山々には朝から尾根を越える雲が休みなく流れ込んで来ていた。
歯医者の帰り、かなり長い時間、その流れを見ていた。あの山々の向こう側、飯綱高原は深い霧に閉ざされているのだろうか?或いは雨か?

東側の山々には夏を思わせる雄大積雲が連なっていた。

北と東とで全く違う季節を見ているような気がした。

家に帰り着いてからも風に当たりながら空と山々を見ていた。かなり北風が強い。

清々しさと湿り気と、北風と強い日光と、それらが微妙なバランスを保ちながら今日という日を作り上げていた。

それらを見ているうちに、このところ取り付かれていた閉塞感から抜け出す事に、いつの間にか、成功していた。

20080618

物見遊山が足りない

昨日はいろいろと反省させられた。以前程ではないと思うのだが、わたしのBlogを読んでいて楽しくない。これはかなり重大な欠陥だ。人は、楽しくない物を何で好き好んで読もうとするだろう。

物見遊山が足りな過ぎる。

かと言ってすぐにどこかへ出掛ける時間も先立つ物も、これまた足りないのだ。

仕方がないので朝、散髪に出掛ける。
鏡を見るとどうにもしまらない顔をしている。やはり社会との接点を増やさないとあかんなぁ…と、これまた反省させられた。

とりあえず、鬱陶しい髪型では無くなった。何よりも頭が軽い。帰って来て、昨日より涼しいのではないか?と感じ、天気サイトを見る。29.5℃。…むしろ暑いではないか!

恐るべし、髪の毛の保温効果。…湿度が低いせいかも知れないが。

14時。気温は遂に30℃を記録した。

20080617

焦り

朝、菅平と横手山に傘雲が掛かっていた。やはり天候は下り坂に入るのかも知れない。

意欲が湧かない事が焦りにつながっているようだ。

机横の本棚からカレル・チャペックを片付け、ゲーテの『イタリア紀行』(岩波版)とラブレーの『ガルガンチュア』『パンタグリエル』を持ってくる。

…これは、焦っているな。と気付き、再び片付ける。

会話ではなく、文学をやりたい。その気持ちは強い。
だが、フランス語もドイツ語も、聞き取れず、言い表す事も出来ていない。
最初は目指すところの指標のつもりで持ってきたのだが、これは以前、『若きパルク』や『ハーフィズ詩集』を購入した時と全く同じ事を繰り返している事に気が付いたのだ。

現在わたしの能力ではフランス語会話とドイツ語会話のテレビ放送の予習・復習、そして少しずつ読んでいる『Werther』だけで手一杯なのだ。そのような状態が4ヶ月ほど続いている。

わたしが天才ならばテレビのフランス語・ドイツ語会話など余裕でこなし、『Werther』も既に読み終わっているだろう。だが、わたしはもっと安心した方が良い。天才ではなかったようだ。現在やっている事だけでも殆ど自分の限界を超えつつある。

わたしの足は一歩ずつしか先に進まない。

かつて、子供だった高校生の頃は思い上がっていた。理科系か文科系かを選択するとき、文科系の勉強ならば自分ひとりでもやってゆけると考えたのだから。

この歳になってフランス文学の奥深さを思うと、目が眩むような遠い道のりを感じる。あの意味の豊かさをどの様に学んでいったら良いのかも良く分からない。ドイツ文学然り。最近も繰り返し読んで来たゲーテの本の有名なシーンで出て来る作家の名前によって示されている作品を教わったばかりだ。そのような事は同時代人か、ゲーテ研究者でなければ知る事は出来ないものと勝手に決めつけていた。今思うと、調べようと思えば何とか辿り着けたかも知れない。調べる術を知らなかったのだ。この情報化の時代に…

だが、理科系を選択した事は幸運だったと思っている。
高校の頃は、文学ばかりに熱中していた。あのまま文学部に進んだらわたしの世界はさぞや主観的なものになっただろう。

理科を学ぶ事で、客観的な観察眼と、論理的な思考を学ぶ事が出来た。

とは言え、そのまま学者にならずに良かったとも思っているのだ。

地質学のそうそうたるメンバーが集まる掲示板を読むとその思いが強くなる。
あれはあれで良い。そうも思っているのだが、現在の科学を専攻して、バランスの取れた世界観を獲得する事は、ゲーテの時代と比べてはるかに至難の技となっている。彼ら学者の世界は極めて狭い。世界を狭くしても尚、学問の行く手は遠い。勿論例外的な人物は結構居るのだが…

ふと思う。現在の学者たちが営んでいる事の殆どはある情報を別の形の情報に翻訳する事と、溢れかえる情報を整理する事なのではないかと。

このような事を思いながら、わたしは理科系でも文科系でもない、どっち付かずのろくでもない人生を終えるのだろうが、わたしはそれでも良いと思っている。

古いタイプなのだろうか?『若きウェルテルの悩み』と『イタリア紀行』には深い思い入れがある。かなり自分の人生と重ね合わせて読んでいると言って良い。
ゲーテとわたしの違いは、脱走の期間の長さに如実に表されてはいるが…

ゲーテはきちんと短期間で脱走を終え、「帰って」来ている。わたしは遂に帰ることが出来なかったような気がするのだ。

「行きっ放し」のファンタジーが何と多い事か。それは科学にも言える事だ。

科学であれ、ファンタジーであれ、その成果は公共性の場に戻る事なしに十分な責任を果たす事は出来はしない。

ところで公共性とは、どのようにして獲得されたものなのだろうか。または歴史の中で何かが変質して来たものなのだろうか?

神話になぞらえて言えば、イピゲーニエ以来連綿と続けられて来た復讐劇が、オレステスで途絶えたのは何故なのだろうか?恐らく、オレステスは公共性の名の下に生きながらえる事が出来た。わたしにはその様に思えて仕方がない。

会話のレッスンに飽きると、途端にわたしはそのような事を考え始める。

語学のテキストの内容は、わたしの現実とは殆ど関わりがなく、機械的に予習をしていると、思考はどんどんそこから逃げようとする。
けれど、日本語とは明らかに異なる言い回しや慣用句に出会う事は多い。
その中に、わたしたちとは異なる思考形態を見いだす事は容易い事だ。

語学を学ぶ事の魅力のひとつは、日本語の思考形態とは異なる、別の思考形態に出会い、それを理解してゆく悦楽なのかも知れないと、最近になって思うようになった。
多分その理解を欠いたところで、公共性という概念のひとつも充分に理解する事は出来ないのではないだろうか?

神話は復讐劇に満ちている。
肉親を殺された者は復讐して良いし、復讐すべきである。そうした法に則って、社会が動いていた時代が確かにあったのだろう。

現在、復讐の連鎖を如何に断ち切るかという視点から、様々な議論が行われている。
だが、それとは異なる思考形態が明らかにあったのだ。

そして、世界の異なる地域では、異なる歴史の産物として、公共性という概念が支配的になった。

異なる思考形態には異なる歴史がある。恐らくそれは言語の中に刻み込まれていると、わたしには思える。

それを読み取りたい。
…やはり文学志向が強いのだろうか?言語を単なるコミュニケーションツールとしてだけ扱う気にはどうしてもならない。

具体的なレッスンに戻ろう。

20080615

不調

空振りは続くものなのだろうか?

東北地方で大きな地震があった。長野も揺れたらしい。わたしはそれを知らない。

土曜日の朝はフランス語の再放送がある。予習なのか復習なのか、とりあえず準備をして立ち向かったのだが、好調に思えたフランス語もかなり穴がある。そのことだけは良く分かった。

この頃ひどく意欲が減退している。生活の習慣を是正する事、それに挑んだのだが精神状態は不安定になった。是正すべき事は是正した方が良いので、続けてみるつもりだが、あまりの意識の混迷に呆れ果て、少しペースを落とす事にした。いきなりではなく、少しずつ変えてゆく方向に転換してみた。だが、一度落ちた精神状態はなかなか元に戻らない。

語学の勉強の中で「付いてゆけない」状態に陥る事はむしろ当たり前と言って良い。これで良いのだ!と開き直ってみるが、以前程楽しくはない。

自転車で坂を登っているような感覚で勉強して、放送に出来るだけ集中するとそれだけで限界を感じてしまう。本当の限界はもっと先にあるのだろうけれど…。

だが、高揚した気分は、これまたなかなか収まりが付かない。本来は朝飲むものではないだろうとは思うのだが、休みたい一心で睡眠導入剤に手を出した。これが失敗の元…。

ようやく眠りを捕まえた頃、女房殿が声を掛けて下さった。「地震があったらしい。相当大きかったようだ」。あれもしなければ、これもしなければと夢の中で足掻くように思いながら、結局ジタバタするだけで立ち上がれず、何も出来ずに終わる。

わたしにとって、これはかなりダメージが大きい出来事なのだ。

いつもならば急いで地震の情報を掻き集めている。

全く出来ないまま、一日が終わった。

地震は「岩手・宮城内陸地震」と命名され、幾つもの被害を出した。亡くなった方もいらっしゃる。その方々のご冥福を祈らずに居れない。

その後、ある程度情報を集める事が出来、地震のイメージも出来てきた。だが、それを何かにまとめて発信する気力がどうしても出てこない。

その精神を掻き乱す出来事は多い。
意欲が減退していると言う事は、感情を抑える意欲も減退すると言う事であり、時折、自分でも抑え切れない感情に心が支配されてしまう。

あまりジタバタしても精神状態は、そう簡単に上がっては来ないだろう。むしろ逆効果の連続となる可能性のほうが高い。
仕方がない。

今は身体から力を抜いて、淡々と日々の勤めをこなしてゆくしかないだろう。

今日(15日)は天気も良く、紫外線たっぷりの日光が一日中降り注いだ。その割には気温は低く少し助かった。

深夜になって散歩する。少しは頭が冷えただろうか?だが、これでは散歩と言うより、他の方の言い回しの真似なのだが、殆ど徘徊だなぁ。

しかし、妙な天候が続く…

20080613

週間天気予報

最近、週間天気予報が当たったのを見た事がない。
今週は木曜日が一日中雨で、その後梅雨前線が急速に南下し、梅雨の中休みに入ると言う話だった。だが、芒種以来、長野市内では雨を見た事がない。

すっきりと晴れる事はなかったが、雨でもない。そうした中途半端な形で天候が推移した。

その間も、何度か雨の予報は出されていたのだが、軒並み外れた。この時期の天気予報は難しい。前線が少し北に上がったか南に下がったかでがらりと天候が変わる。

難しいにしても前日には何とか正確な予報が出されていたのだ。今迄は…。今日(13日)に関しては全くの外れ、それも直前に出された予報すらも完全に空振りした。

確かに、わたしは午前6時、某サイトの天気予報を確かめた。梅雨明けのような天気で、気温は29℃に達すると書かれていた。そして、確かに、夜、星空は久し振りに美しく、朝の日差しは眩しいものだったのだ。

しかし、10時頃まで上昇し続けた気温はそこから横ばい状態。恐れていた暑さに悩まされなかった事は幸運だが、ここまで外れると大きく空振りしたような感覚に陥り、むしろ疲れる。

一日中降り注ぐはずだった日光は雲に隠れ、いつの間にか通り雨すら予想されている。

歯医者に行った。
診療時間は非常に短かったのだが、帰りには雨粒が落ちてきていた。洗濯物がベランダに出してあるのが気に掛かり、殆ど小走りで帰る。
洗濯物を取り込むと雨は上がった。

まさしく通り雨。直前の予報だけあって、これだけは見事に当たった。

20080605

芒種

梅雨に入ってから芒種、と言うのも変な話だ。

宣言が出された途端、からっと晴れ渡る。そうしたパターンではない梅雨入りというのも最近では珍しいのではないだろうか?

今日(5日)は予報通り夕刻に雨が降る。

降る雨を見ながら、木曜日恒例となって来ている語学懺悔に身を沈める。

今回はドイツ語がダメだった。それなりに予習していたのだが、やはり数字や時計が絡んでくると苦手意識が露骨に表に出てくる。要するに放送はそういった内容だったのだ。言い方は大体分かった。が、数詞を素早く言えない、また、聞き取る事が出来ない。数詞に意識が取られると、他の内容が聞き取れない。

聞き取れなかった内容をメモして、調べているうちに朝になってしまった。勿論調べきれるものではなく、結局今日一日は辞書との格闘となってしまった。
そして、にもかかわらず覚えては、勿論、いないのだ。

極めて低レベルの話として、フランス語はそれなりに理解できたのではないだろうか?

夜になり、いきなり寝室が暗くなったような気がした。今日はダイニングルームと寝室の間の襖を開け放して仕事をしていた。こちらの方が解放感があって過ごし易いのだが、ここに来て初めての事だ。今迄は何と無く集中力が薄れるような気がして、出来る限り空間を狭くして仕事をしていた。やってみると、それ程集中力に影響する訳ではない事が分かった。

結構快適だ。

その環境にも慣れた頃、ふっと寝室が暗くなったような気がしたのだ。

部屋の蛍光灯と枕元のスタンドをチェックしてみる。不備なし。他に灯りは無い。

暫くして気が付いた。駐車場の灯りが点いたのだ。ダイニングの外がそれに照らされ、相対的に寝室が暗くなったように見えた。

フランス語が好調だったように思えたのも、ドイツ語の余りの不調に因るものかも知れない。
芒種。わたしに畑は無いが、何の種も蒔かれていない。

山の緑が次第に黒々としてきた。夏山の風情だ。

20080602

入梅

近いと言っていたらもう梅雨に入った。

雑節では入梅は立春から135日目、大体6月11日頃の事とされており、そこから30日間が梅雨となっているのだが、最近では気象庁が宣言して決定する事になっている。いつからそうなったのか?調べれば分かるかも知れないのだが調べていない。あまりその気になれないからだ。

とにかく本日(2日)近畿から関東甲信に梅雨入り宣言が厳かに宣言された。わたしとしては、ははーっ!と平べったくなってお受けするしかない。

だたお受けするだけと言うのもつまらないので今日のうちに通院する事にした。今日の夜から明日の昼にかけて、雨が予想されている。自転車で通院するとしたら今日のうちに済ませておいた方が気が楽になれそうだ。

ただ、人間と言うものは大体同じような事を考えるだろうから、混雑するかな?その心配はあった。若干調子が悪かったので不安になり、一瞬迷う。

ならば読みでのある本を持ってゆけば良い。

だがこのところ読んでいる本は『Die Leiden des jungen Werther』だ。ちょっと気が引ける。まさか待合室で辞書を引く訳にも行くまい。

漱石にしようと思い付いた。

『三四郎』『それから』『門』の三部作などを手に本を選んでいたのだが、どれも精神科に持ってゆくべき本であるとは思えない。第一これを手に取る事自体、わたしは見栄を張っている。
ふと昨年購入した岩波の全集で『猫』を読んでいない事に気が付いた。旧仮名遣いで読んだらどのように感じるのだろう?そう思っただけでも心がそわそわして来た。

病院に辿り着いてみるとやはり混んでいた。暫くは坐る場所もなかった程だ。辞書を持ってこなかったのは正解だ。
おもむろに懐から(だったら格好良かったのだが)ではなく鞄から『猫』を取り出し読み始める。想像していた以上に面白い。

そもそも最近『猫』を読んだのは何年前の事だろう。途中迄を含めても、もう10年以上は経っている筈だ。

没頭して読んでいたら大学生くらいの年頃の女性に席を勧められた。ありがたい出来事である。
…であるのだが隣に坐る事になったその女性からは強烈と言っていい程の香水の匂いが漂って来る。こちらは下手をすると自転車に乗って来て汗臭くなっているかも知れない。香水の強烈さにも辟易したが、この匂いとわたしの汗臭さが混じったら一体どんな香りとなって辺りに漂うのか?そちらの方が気になって仕方がなかった。漱石ならばどのように表現した事だろう。

その女性はお決まりの如く携帯を手にもって猛烈な勢いで文字盤を押している。実に素早い。感心してしまった。

人間の慣れと言うものは、それでも、恐ろしいものがあり、暫く経つとそれらも気にならなくなって『猫』に没頭してしまった。それ程迄に旧仮名遣いの『猫』は面白かった。

漱石が鬱屈を晴らす為に書いたと言う事をどこかで読んだ事がある。しかし、それだけではあるまい。かなり落語の要素が感じられる。旧仮名遣いで読むと、漱石が江戸の人だったと言う事が伝わって来る。

わたしの義兄は古くからの東京人で、薩長の話になると嫌がる。

団塊の方々の薩長好きにも呆れた所があるが、彼の薩長への偏見も大したものがある。最近流行の『篤姫』も断固として見ようとしない。きっと漱石もそうしたに違いない。
尤も、漱石がTVを見たかどうか?怪しいものだ。

結局2時間程も待たされたのだろうか?

携帯と香水の女性に感心していたり(ところがどのような顔をしていたのか全く覚えていないのだ)『猫』に没頭したり、漱石だったらどうするかを考えているうちに、その2時間はあっという間に去り、全く待ったと言う気がしなかった。

頭の中ではどういう訳かモーツァルトが鳴っていた。

名前を呼ばれた事にも暫く気が付かず、慌てて診察室へ
しまった!最近の調子の悪さをどのように説明するかを考えていない…
診察室に入ると医師が顔を見て仰った。

「今日は随分と調子が良さそうですね」

荒れているなぁ…

Blogを読み返し、思わず削除をしたくなった。とりあえず6月。ここからまた「再建」を始める事にして残す事にした。

荒れている。

内容も荒れているが、日本語が荒れ放題だ。
考えてみると最近推敲と言うものをあまりせず、下書きをしてそれをそのままUpする様な事を繰り返して来た。文章が荒れるもの当たり前と言うものだ。荒れた文章で愚痴に近い事を書き綴って、…それが何になると言うのか?第一、自分で読んでいて恥ずかしいものを他の人が楽しんで読む可能性はない。

にもかかわらず、書きなぐりたくなるような事を溜め込んでいるのも精神衛生上あまり芳しいものではあるまい。どうする?何十年振りかで個人的な日記を書き始めようか?

梅雨が近い。

普通の人ですら鬱陶しくなる季節。
語学の勉強とヨーガで何とかここ迄鬱状態に陥らずにやって来れた(と、本人は信じている)。この調子だけは崩したくない。語学の勉強はふた月しか経っていないが、見方を変えれば1/3を消化した事になる。やや緊張感が薄れて来ているが、ここで鬱状態に陥ってしまっては何もかも「終わり」になってしまうだろう。

鬱陶しい梅雨の後には夏と言う難敵が控えている。この一年間を何とか乗り切る為には何が必要なのだろう?

よく言われる言葉だが、初心に返るべき時なのだと思う。

強いか弱いかはあまり大した問題ではないが、強ければ、少なくとも弱いより面白い。強い心でこの面白くもない世の中を少しでも面白く生きたいものだ。

最近遅く啼き始める様になっていた鳥が、今日は定刻に啼き始めている。見習おう。

20080530

人と会う事に積極的になれないなぁ

子供すっ飛ばして、いきなり孫。という現実が刻々と近付いてきた。

女房殿の娘さんが結婚なさるという。既に妊娠もされている。

道徳的なことはどうでも良いが、物事の順番というものにはそれなりの意義があると思うのだが、皆様余りその事を考えていないようだ。
もっと言えば自分の価値観をしっかり吟味して、その上で論理的に物事を進めるのではなく、ただ流されて、曖昧なままの自分の結論に論理を合わせてゆくようなやり方が大勢を占めている事も分かってきた。…単なる性格の問題なのだろうか?

女房殿はさすがに自分の子供だけあって、娘さんの論理を優先して考えてしまっているのだが、こちらは一緒になる時さんざ反対されて難儀した記憶が生々しい。

女房殿はそのうちに合いたくなったら伝えておくからと軽く仰って下さったのだが、何でこちらから会うことをお願いする筋合いがあろう。

人と会うこと。そのことはわたしにとって大切にしたい出来事のひとつだ。それなりの必要性や必然性がある方々と会いたい。

はっきり言って、人を未だに蚊帳の外に置いている状態に平然としていられる感性の持ち主とはあまり会いたくないのだ。

人と会うのであれば誰でも良い。そうした気にはやはりなれないなぁ。

20080527

そろそろ4時の鳥が啼き始める頃だ

日曜日、雨上がりに見た遠くの山々は本当に美しかった。新緑そのものの鮮やかな色彩。

長野に引き上げる時、いろいろな人から同じお言葉を頂いた。
「信州の大自然の中で…」
今住んでいるここは昔からの大通りの傍で、昼間は東京並みに車が通る。加えてふたつの大工事が行われている事もあって、東京に住んでいた頃の方が静かだったと思うことがしばしばある。

どこが大自然なのだ!とふてくされた気分にもなる。

けれど、朝にはきちんと鳥が啼き、周りにある山々は、やはり途方もなく美しい。

20080513

四川省の地震

いち日、曜日を間違えていた為にとんでもなく忙しい一日になった。

四川省で大きな地震があったUSGSマグニチュードは7.9。チベット活構造帯の東端にあたる地点が震源だった。この一日で、発表された犠牲者の数は途方もなく増えてしまった。12日の段階では3000〜5000という数字に驚いていたのだが13日夜公表されている犠牲者の数は、少なくとも12000人が死亡し、その上にまだ数万人が生き埋めになっていると言う。

BBCのTV放送を流しながら仕事をしていた。このような事が出来る点が自宅仕事の特権と言えるかも知れない。いや!真面目にお仕事していました。本当です!

その上何故かフランス語、ドイツ語と続く日を間違えて、仕事を終えるや否やテキストを開く。相変わらずフランス語は開いた瞬間互いに顔を背け合う分からなさ。何と発音すれば良いのか分からない文字列が並んでいる。これでも少しばかり、目を通していたのだ。拒絶反応が出始めたのだろうか?文字列を睨みつけてもひと言も分からない。

語学の勉強はこんなものだよな…と思いつつ、何度も同じ単語を辞書で調べる。本当にこんなものなのだろうか?

そのうちにテレビでは四川省の地震についてのNEWSが始まる。これも仕事の一環なのだと自分に言い訳しつつ、吸い込まれるように身体ごとそっちに持ってゆかれる。

他のNEWSになると再びテキストに戻る。大体2:1の割合でフランス語とドイツ語の予習を行う時間を割り振っているが、理解の程度はドイツ語のほうが高い。習った事があるかないかの違いはかなり大きい。

そして気が付いた。まだ一日余裕があるではないか!

それにしても四川省の地震報道は生存者の救助シーンが多く、どうも居心地が悪い。情報が操作されているのは当たり前としても、これ程露骨にやられるとむしろ嫌気が差してくる。

はて?わたしは何の為にこんな忙しい事をしているのでしょう?

20080510

今日は肌寒くすら感じる

一昨日、昨日、なかなか洗濯物が乾かずに困った。20℃を少し超える程度の最高気温に加え、湿度が急に上がってきたせいだろう。今日(10日)は雨の予報が出ている。実際にすぐ南まで雨がやって来ているらしい。

急激な気温の低下と雨、そして衛星画像から読み取れる寒気団の流れ込みを見て、「下手をすると、山間部は雪になるかも知れないね」などと女房殿と冗談を言っていたのだが、冗談では済まされなくなりそうだ。標高1500m以上で雪になるおそれがあるらしい。

まだ4月だ、と言ってみたり、もう5月なのに、と言ってみたり、今年の春は忙しい。

さて、水曜日に連絡を忘れ、昨日になって歯医者に行ってきたのだが、上の前歯は虫歯では無さそうだ。歯槽骨が極端に痩せてしまっている。その為ぐらつきが大きくなって痛みとして感じるまでになってきているらしい。確かにわたしはずぼらな人間ではあるが、歯磨きは結構きちんと行っている。この上どうすれば良いと言うのだろう。今のところ危ないのは痛む前歯1本だけだが、「こりゃ総入れ歯も時間の問題だな…」と心の中で呟き、少しだけ暗い気持ちになった。少しでも長生きさせてやる方向しかないのだろうか?

また、暫くの間歯医者に通うことになりそうだ。次回の日程を決めるためカレンダーを見て気が付いた。水曜日は休みであった。時間を忘れなくとも予約は無理だった訳だ。単なる偶然だが、物事は滞りなく行われていたようだ。

今朝はフランス語の再放送。
前回の敗北を踏まえて、昨日から予習を行った為、(前回に比べ)少しは放送の内容を理解できた。だが、今迄一度としてテキストの例文を全て聞き取れた験しが無い。今回も少し長い例文になると途端にお手上げであった。あれ程聞き取りのシミュレーションを行いながら予習していたというのに…。全く腹が立つ。

放送の後、聞き取れなかった部分や、再確認した部分を中心に復習を行い、次回こそ!と意気込んで、来週の予習まで始めたのだが、ユーロがらみの数字は出てくる、またもや鼻母音は出てくる。そしてその鼻母音になるスペルが多い。ということにへなへなと打ち負かされ、2度寝に逃げる。

フランス語の数字の読み方は難しい。まだ3以上の数は殆ど数えられない状態だ。それに加えてeurosの読み方が数によって変わってくる。母音の前のeは発音されない事と、リエゾンが組み合わさってそうした事態を引き起こす。そのことは理解できた。この理解と読める読めないは全く別の話だ。

更に「行く」という意味のallerの活用も加わってくる。これがまた奇奇怪怪な活用をする。allerが何故vaに変わらなくてはならないのだ!

尤も、英語でもbeがisに変わる。無茶苦茶な話だ。その無茶苦茶の数が増えただけと悟りを開けば心も落ち着いてくるが、落ち着いたところで覚えきれない事に変わりはない。

これだけやったのなら少しは読めるようになったか?とはるか昔に指導教官と一緒に読んだ(筈の)フランス語の地質学論文を引っ張り出してきたが、…全く読めない。

20080507

歯医者を忘れた!

昨日より少し湿った感じはあるものの、相変わらず湿度の低い日が続く。嬉しい事だ。

難しくなったNHKの「テレビ会話」予習のペースを少し落として、『Die Leiden des jungen Werther』に集中する。…体調があまり芳しくなかったのだ。

この小説はGoethe本人の体験を基にしているというが、人間というものはここまで自分を対象化できるものなのだろうか?恐ろしさすら感じる。細部に至るまで綿密に構成が行き届き、それぞれのちょっとした対話、議論などが非常に良い効果を生んでいる。

「テレビ会話」に力を入れたお蔭で、ドイツ語のリズムが少しだけ分かるようになっている自分を感じる。Goetheのドイツ語のリズムは優れている。リズムだけでも美しい。

綿密な構成と心地良いリズムは知らず知らずのうちに読者を小説の内部に引き入れてしまう。

日本語で読んだ時は、この小説で自殺者が相次いだという事が信じられなかったが、(本当にほんの少しだけだが)あり得ることだと思える。

『Werther』を読んでいたのでメールの確認を怠り、連休で引き伸ばしに遭っていた給料の振込みが行われていたことに、かなり長い間気が付かなかった。
慌てて頂きにゆく。
帰り道、忘れかけていた歯医者の電話番号を、電柱の看板で確認。これで前歯に何事が起きているか位は分かる。…とほっとしたのがいけなかった。

部屋に戻って、今日の夜、フランス語とドイツ語の一回目の放送があることを急に思い出し、慌てふためいてテキストを開く。
昨日までやった筈のことは当然、殆ど頭の中には無い。

二重に慌てふためいたのが、更にいけなかった。

はっと気が付いた時には、歯医者の営業時間が過ぎていた。

連休後半が始まった頃に比べ、歯の痛みはかなり薄れてきている。下手をすると神経までう食が進んだのかも知れない。だが、喉もと過ぎれば…を繰り返して生きてきたわたしは、どうも歯の痛みが激しくないと危機感が薄れるらしい。

問題の歯を叩いてみる。…うずくまる。やはり何も解決していないことだけは確かなようだ。


フィリピン東海上で、また積乱雲が渦を巻き始めた。2号台風が発生するのだろうか?

20080504

歯痛

5月最初のお題がこれでは読むほうも参るだろうが、こちらも参っている。

本日は10時に25℃を越え、15時には箱清水の気象台で29.2℃、恐らく確実に外気温は30℃を突破しただろう。このところ暑い日が続く。
だが、気温が低かった昨日より過ごし易く感じる。乾燥した風が吹き込んでいる。洗濯物が良く乾く。

となればもっと活動的である事が期待されるのだが、…歯が痛い。

一昨日、今迄痛めたこともなかった上の前歯全体に痛みを感じた。痛みはよく観察してみるとあちらこちらに移動し、特定する事が出来ない。多分、脳が口腔内の脳内地図を作っていたのだろう。
昨日になると、最初痛みを感じていた箇所はもう痛まなくなった。その代わり、あちこち移動していた痛む場所が特定され、全ての刺激に対して、うずくまりたくなるほどの痛みを感じるようになった。
このメカニズムを研究されている方はいないのだろうか?

コーヒーが刺激物であることを、これ程具体的に知ったのは初めてかもしれない。

歯科衛生士の資格を持つ女房殿が感心するほどよく歯は磨いていた。だが、ブラシが届かない歯と歯の間が痛む。ここを磨く為の歯間ブラシもあるが、確かにわたしはそれをサボっていた。見事にそこがやられた。

世間は大型連休中。歯医者も当然休んでいる。弱り目に祟り目とはこの事だろう。結膜炎で左目が相当充血しているが、これはもはや後回しだ。

最近、生活が単調だ。生理的な基本的作業を除くと、仕事をしているか、(本を読むことを含めて)外国語の勉強をしているか、自転車に乗っているか。そこから自転車が消えた。またまた引き籠りの状態に戻ってしまった。

何も刺激を与えなければ歯痛は起こらない。身体をそっと動かしつつ明日の再放送に備えているのだが、やらなければ良いのに痛みの箇所を舌先で探ってしまう。

恐らく虫歯だとは思うのだが、「穴」は外からは見えない。だが、舌先の刺激はきちんと受け取る。痛みを誘発する刺激には、ある種の閾値の様なものがあるのだろうか?
ある強さや、刺激時間を越えると、何も無かったところに痛みが急速に発達し、巨大化して、身体はうずくまる。

暫くの間、全ての活動を中止せざるを得ない。

今日は空気も澄んでいるのか、空はそれ程青々としていないが、遠い山々の緑もはっきりと見える。
こんな季節にこんな生活をしなければならないなんて…

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追記:4日、飯山では気温が30℃を越えたが、長野市は29.5℃に留まり、30℃を越える事は無かった。

20080430

夏日になった

鳥取では29℃を記録したという。

善光寺平は朝方、5時に8.2℃。取り立てて騒ぐほどの気温ではなかった。だが、それからぐんぐん気温は上昇し、15時に27.4℃となった。最高気温は27.8℃だったらしい。

ぎりぎりとは言えまだ4月だ。

明日も暑そうだ。

まさに「なまもの」だ

昨日(29日)appleのサイトを開いて少しだけガックリ来た。遂にこの日がやって来た。

新しいiMacが発売された。機能が強化されているだけではなく安価くなっている。それも上位機種になるに従って差が開いてゆく。

取り立てて今使っているiMacに不満があるわけではない。けれど悩みに悩んでメモリなどをオプションで付けたわたしとしては、それが標準になってしまったかと思うと、要するに癪に障る。

とりあえずiMacのマイナーチェンジが行われるという情報だけは事前に得ていた。その為、心の準備が出来ていたのがせめてもの救いか?

いずれにせよ瑣末な事。

瑣末でない事は、わたしが今持っているiMacを充分に使いこなせていないという事だ。

ワードプロセッサーを導入するか否かで悩んでいる。
幾つかの候補はある。中でも気になっているのがiWork 08。以前クラリスと呼ばれていた時代から使い続けてきたソフトの末裔に当たる。だが、メールソフトはもういらないのだ。その為にお金を使うのもどうかなぁ…。

無料で手に入るものも幾つかある。
だが、それ程頻繁に使うのか?

20080426

寒い

風邪をひいたのかと思った。底冷えとも言いたくなる寒さを感じた。

25日朝は6℃台で横ばい状態。1日の気温差というものはそんなに変わらないものだなぁ。と暢気に感動していた。

だが、15時に12.4℃を記録してから気温は急降下。この調子では朝方は3、4℃になるなぁ…と思っていたらなった。4℃台をキープしている。思わずストーブに火を点けたくなった。

あの暖かさが低気圧によってもたらされたものだった事は分かっていたので、通り過ぎた後は気温が下がるだろうと思っていたが、これ程冷えるとは思ってもみなかった。

さて、今日(26日)は、様々な人々にとって「決戦の日」であるらしい。

長野市は「オリンピックと共に心中した地方都市」として記載されるべきだと思っている。

戦争も革命もオリンピックも、勝手にやってきては、自然や生活を破壊する。市としては、観光客を期待したのだろうが、恐らくその何倍もの、視野の狭い人々がやって来る。

四半世紀ほど前、チベットに行ったことがある人間としては、言いたい事は数あれど、急に事なかれ主義に徹して沈黙を守っているのは、「戦場」に住む事になってしまったからだと思う。

幸い今日はフランス語の再放送があるので、その勉強中。

現実に向き合うと、ごまかしてきた鬱状態がどっと出てくるので、現実逃避的に語学の学習に専念するとしよう。

言っている事とやっている事が違うではないか!
…はい、その通りでございます。

20080423

「暑い」が始まった

10時、気温20℃。昨日と同じ様な気温なのだが、今日は妙に暑く感じ、朝から半袖で過ごしている。湿度が上がったのだろうか?
昨日の5時頃は5℃台だったが、今日は8℃あった。昨日より気温が上がる事は既に覚悟している。

台風1号の残していった低気圧は、意外にも気圧の尾根に押されて南下し、本州にはやってこないらしい。もはや四国沖で散り散りばらばらになっている。
この北に大陸から来た低気圧がある。
当初はこの低気圧と台風残りの低気圧が合体し、また春の嵐か?と思っていたのだが、完全に外れた。やはり高気圧というものは実体を持っているようだ。

11時、気温は23℃まで上がった。昨日の最高気温24℃を突破するのはもはや時間の問題だろう。

うす曇り、にもかかわらず日光は強い。

スクリプトの問題は結構簡単にクリアできた。
何の事はない、Firefoxの基本的な機能を素直に使えば良いだけだった。
だが、Greasemonkeyを導入してからFirefoxが遅くなったような気配がある。

語学に関しては、当然の事ながら何も解決していない。
しかし、よくドイツ語とフランス語が混同しないものだと自分で感心している。辞書は頻繁に間違えるのだが…

ひとつひとつに集中した方が、覚えは早いのかも知れない。けれど考えてみれば学生の頃は複数の外国語の授業を受けていた訳で、決して無謀ではあるまい。…無謀か?

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15時、気温は26.4℃まで上昇した。TVでは最高気温が27℃を突破と伝えていたらしいが、正確な値は知らない。兎に角、暑かった。24時を越えても16℃台をキープしている。

20080421

どうも調子が出ない

何故か投稿画面が変だ。Blogの画面がずれてしまっている。
その為、文字を大きく表示しないとタイトル部分が本文に食い込んで来るばかりではなく、HTML編集の為のアイコンが殆ど使えない。大きく表示してもその内にやはりずれて来るので、再び小さくしたりしている。

これはGreasemonkeyをFireFoxにインストールして、更にスクリプトをインストールする事で何とか回避。この辺り、技術力のなさを感じる。Safariではどうするのだ?また、このスクリプトをアンインストールするにはどうしたらよいのだろう?

調子とはBloggerの調子だけではなく、むしろ自分自身の気力の問題が大きい。…出ないのだ。

何かに安心してしまったのだろうか?身体と心が妙に疲れる。

今日は遂にドイツ語のテレビ会話の復習をしなかった。
予習と復習をしなければ、殆ど身に付かない。それは分かっているのだが…

20080420

戸隠のミズバショウも咲いていた

さすがに唐松の芽吹きには、まだ早かった。

1週間前、他の場所のミズバショウが咲いているという報せを聞いて、「まだ早いか?」という思いもあったのだが、戸隠のミズバショウを見に、昨日(19日)麓まで行ってみた。ミズバショウは、葉もまだそれ程大きくなく、丁度見ごろだった。(正しい意味での)ミズバショウの花も所々で咲いていた。これを見る人は何人いるだろう?
リュウキンカも咲き誇っており、白と金色の対称も見事だった。

驚いたのはそれらの花の開花時期の早さもさることながら、ニリンソウも咲いていた事だ。

やはり、このところの暖かさが開花時期を早めているのだろう。

そこは沢筋に出来た湿原で、網の目のように沢が流れている。昔身に付いた癖というものはなかなか治らないもので、沢が流れているとどうしても覗き込んでしまう。

湿原を作るピート層の下には20~50cm程の厚さで赤褐色の火山灰が堆積しており、その下には20cmほどの角礫層がある。火山灰層が水を通しにくいため、沢の水が溢れ、湿原を形成しているのだろう。

飯縄山と戸隠山の間には、広い湿地帯がある。ふたつの山に挟まれて行き場を失った水が滞留し、この湿原を作っている。だが、昔見たときより遥かに、ひとつひとつの湿原の規模が小さくなっている。

ふと、疑問に思った。来る人の数が多いので仕方が無いのだろうが、湿原には見物用の木製の渡り廊下が作られている。この廊下のために打ち込んだ杭が、この角礫層まで達していると、湿原の水は角礫層の中に流れ込んでしまい、結果的に湿原の寿命を短くしているのではないだろうか?

車道を造ってしまった事の影響の方が大きいのかも知れないが、かつてミズバショウの群生地だった大きな湿原がひとつ、からからに渇いているのを見た。

20080418

今日は山が近く見える

生暖かい、南からの風が吹いている。12:00。雨は降っていないが空に流れる雲は乱れ、悪天候である事が伺える。山を越えて来た風に吹き千切られる雲は、太平洋側の嵐の激しさを伺わせる。関東では交通機関が乱れ、千葉では、クレーンの倒壊事故があったらしい。
だが、その風の為か遠い山の色彩も鮮明に見える。薄っすらと山の緑を感じる。雨雲で山頂は見えないが、殆ど雪はなくなっている。
一昨日、今が盛りと咲き誇っていたハクモクレンも昨日の風雨の為か、花弁の姿が見られなくなった。

季節はまた一つ動いた。

束の間の雨上がりに、巣作りを急ぐかの様にツバメのつがいが沢山飛び交っている。

20080413

1週間振りにツバメの声を聞く

この1週間は、著しい気候の変化が見られた。ひとつひとつを記録したかったが気力がどうしても出なかった。

10日朝、ツバメの声を聞く。姿を探してみるが見いだせず。
だが、1週間前に聞いたツバメの声だと思う。このツバメは多分昨年生まれた奴ではないだろうか?1匹だけ、一際賑やか(と言うよりうるさい)奴が居た。そやつの鳴き声とよく似ている。同じ個体が帰って来たのかも知れない。
この頃春の頭なので、注意力散漫なせいで今迄ツバメの声に気が付かなかったのかも知れないが…

10日の気象カレンダーでは「ツバメ初見の頃」の中に長野も含まれていた。どこか異常さを感じる気象も、何やかやと言いながら、普段通りに動いているのかも知れない。
ミズバショウが咲いたと言う報せを見て、その事を再び思う。

善光寺平の桜もようやく咲き始めた。日当りの良い所ではほぼ満開状態の写真を撮る事も出来る。

低気圧が通り過ぎるたびに、南からの暖気と北からの寒気が激しく入れ替わってゆく。まるでお風呂をかき混ぜている様だ。現在は寒気が流れ込んで来ている。来週はやや寒くなるだろう。とは言え最低気温が5℃前後と言う所か?確実に暖かくなって来ている。

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好きな作家の訃報が連続して届く。
自分の年齢を考えれば、致し方のない事とも思うが、やはりやるせない気持ちになる。

20080403

ツバメを見る

梅は8分咲きというところか?急速にハクモクレンが花を開いている。

形成され始めてから2000年ほどしか経っていない惑星(と言うよりガスの渦だ)が見付かったり、太陽の「津波」が観測されたり、今迄溜め込んだIEの履歴などがきれいさっぱりなくなったり(これは私事)何かと話題の多い日だ。

おや?と思った。先日ベランダで鳥の声がしたのでそっと見るとセグロセキレイだった。その様な事があり、まだツバメは早いか?と思っていたところだったので半信半疑だったが、今日は明らかにツバメの声がする。
窓にそっと近付いて外を見ると電線からツバメが飛び去った。
その行方を追跡していると5羽ほどのツバメが滑空しているのが見えた。

三宅島にツバメが来たという話を聞いたのが1週間ほど前のこと、かなりのスピードで北上してきた事になる。
それともあの荒天が去るのをどこかで待っていて、満を持してやってきたか?(或いは油を売っていたのか?)

どこぞのテレビ局が「スクープ」(?)した空飛ぶペンギンを思わせるような、見事な舞い方だ。

あの雪は何だったのだろう?
その様な事をふと考えた。
冬に逆戻りしたような天候だった。少なくとも春の足取りを遅くするだろうと覚悟もしていた。しかし、ツバメはきちんと、春の報せを運んで来た。

夕刻から気温は急に下がり始めている。渡って来たばかりのツバメたちは、この寒さをどの様に過ごすのだろう?

20080401

ここは谷間だ

連日の雪。そして今日(4月1日)は盆地部でも5cm程の積雪が見られた(公式発表は1cm)。

気温は朝5時から7時までほぼ0.1℃で横這い状態。9時まで1℃を越えなかった。ちなみにここは盆地部であってしかも都市と言って構わない規模の人口密集地だ。ヒートアイランド現象は当然起きている。

雪は朝のうちに上がったが、低い雲はなかなか去らない。時折晴れ間もあったが、すぐに雲に閉ざされた。その晴れ間に瞬間的に見える低い山の頂き付近は、まるで高山の様な様相を示していた。
雲が恐ろしい速さで吹き去ってゆき、ここから見ても分かるほど木々が激しく揺れている。かなりの強風であることが分かる。

衛星画像で見ると、善光寺平や、松本盆地は、まるでナイフで切りつけた傷の様に見える。要するに、盆地部とは扇状地堆積物で埋められた谷間の事なのだ。谷底には恐らく活断層が走っている。
東部の高い山は遂にその姿を見せなかったが、北に見える低い山を含めて、確かにここは山岳地帯なのだ、と思わされた。

谷間に住む者は山に守られて、荒々しい自然の脅威から身を遠ざける事が出来る。

天候は荒れ模様だったが、概ね春である事は間違いあるまい。どこかしら「暖かな」雪だった。


春になり、様々なものが変わった。

すぐに気付いたのはBBC NEWSのサイトがかなり様変わりした。今迄の情報がぎっしりと詰まっているかのようなレイアウトからページ全体が横長になり、行間もすかすかに広くなった。
尤も、このサイトはいつも見ており、ブラウザのサイズもこれに合わせてとってあったのですぐに分かっただけで、他のサイトも様変わりしているのかも知れない。
最初は戸惑ったが、わたしとしては読みやすくなったように思える。

新しいページに合わせてブラウザを調整したら、このBlogの両脇がかなり開いて、間が抜けたような感じになってしまったので元に戻した。

サイトのどこがどう変わったかはThe EditorsYour feedbackに詳しく書かれている。
Video and Audioには動画が集められ効率的にまとめられている。


いろいろな意味で、今日は背筋が伸びるような思いをした日だった様に思う。
つまらない感傷に浸っている時では、少なくとも、ない。

20080331

天気予報では確かに県の北部は雪となっていたが、盆地部は雨だろうと高を括っていた。

夜中に雨音がし始める。
そのまま、どこかからか聞こえて来るモーターの重低音に悩まされ、なかなか寝付けず、雨音の事はすっかり忘れていた。

31日の朝、ゴミを出しに外に出るとかなりの雪が降っているのに驚かされた。それも霙ではなく、混じり気なしの雪だった。

9時半頃にはその雪も上がったが、山にはまだ雪雲が付いていた。その下には明瞭な積雪が認められる。盆地部は積もる事無く雪は解けてしまったが、あと20m程高い場所では積雪があったらしい。
山沿い地方の積雪が気になる。

このような記述は大抵の場合、冬の始めに多い。

爆発的な勢いで訪れた春を実感していただけに、この雪の精神的ダメージは大きかった。この時期の雪が珍しい訳ではない。今迄が暖かすぎたのだ。30日には梅がすっかり咲いていた。

昼頃、一旦晴れ上がり、青空も見えたが、仕事が終わる夕刻からまた雨が降ってきた。

4月1日2時気温0.4℃。低気圧が通り過ぎ、それに伴って寒気団が押し寄せている。

20080323

女房殿が自転車でやって来た

自転車の良さを吹聴したからではないだろうが…やはりこれが原因だったか?買い物に行った女房殿が自転車で帰って来た。

どうやら近所のスーパーで気に入ったものが見つかったらしい。

昨日微調整し直したハンドルの調子を確認したい気分もあったので、早速ふたりで近所の裏道をひと回り。昨日の晴れ渡った天候は次第に崩れ始めており、絶好のとは言い難い日和ではあったが、気温は高く、自転車に乗るにはまあまあの休日だった。

普段、スポーツジムに通っているだけあって、女房殿の自転車の乗り方はそれなりに様になっていた。だが、フレームの大きさがそもそも違うので、どうしてもわたしの自転車はスピードが出てしまう。いつもの様に周りの季節を感じながらの、という訳に行かず、女房殿の自転車を気にしつつの「サイクリング」になった。その意味では相手のペースに合わせる為の、細かなギアチェンジの練習になったとは思っている。

感心したのはあの重い自転車をきちんと3階迄持ち上げていた事だ。わたしにはとても真似が出来そうにない。女房殿の自転車は重い上に、パラレル型のフレームなので肩に担ぐ事が出来ない。

自転車にはかなり慣れて来て、もはや腰痛や背筋痛を感じる事も無くなった。3階迄持ち上げる事にもすっかり慣れてしまい、これが原因で自転車に乗らなくなる事もなさそうだ。

調べてみると、どうやら女房殿の自転車は、とりあえず日本製らしい。わたしの自転車は台湾製なので何となく差をつけられたような気分が、何故か、する。

車を手放した事などで、かなりの出費が削減された。女房殿の自転車は、今迄わたしが借りていた駐車場代にほんの少しの金額を加えるだけで買えた。自動車とは何と金を食う代物だったかを改めて感じた。

自転車は体力を使うが、移動や駐車(駐輪)にお金が掛からない。

もう少し乗り馴れたら、桜を見にでも出掛けようと画策している。それまで、ヨーガなどをやりながら、少しでも体力を付けなければ。

よもや我が家に自転車が2台揃うとは思っても見なかった。

爆発的な春

週末は乗り慣れた車の廃車手続きに追われた。

一抹の寂しさはあるが、それが一抹のものである事に自分で驚いている。

昨日(22日)は最終的な作業をこなし、共有のものとなる女房の自動車の合鍵を作りに行く。だが、既に心は自転車に動いてしまっていて、自動車に積極的に乗りたいと思うに至らない。

結構ストレスが溜まったので、自転車で家の近くをひと回りする。スミレが咲いていたのを見たのはつい最近の事ではなかっただろうか?

路地の脇にヒメオドリコソウが咲いているのを見たのを皮切りに、ほんの少し前に比べてあまりに多くの草花が咲いているのを見て驚いた。

北に登ると、遠くの山々を含め、眺望が一変する。

その山々の雪もひと目見て分かる程、雪が少なくなっている。春が、爆発するような勢いでやって来た。

そして思う。恐らく、自動車に乗り続けていたらこの爆発的な春に、気付けなかったのではないか?
身体を使いながら動くと、風景が急に見え始める。この事を最近強く感じる。

何よりも、駐車場に車を入れる時の緊張感を感じる事なく過ごす事が出来る。廃車手続きの寂しさが一抹のものであったのは、これら様々な開放感を感じているからかも知れない。

とりあえず自転車専用レーンが欲しい。

20080319

5年前の春

合衆国の大統領が沈痛な表情を浮かべ、奇妙な戦争の開始を告げていた。

わたしは長い、デモ隊の列の中にいた。
あれから日本は参戦国になったのだが、未だにその自覚は当の日本人にはない。

途方もなく長い戦争がまだ行われている。途方もなく理不尽で、途方もなく残虐な行為。

あのデモ隊は極めて長いものだったが、その中の何人が、今、あの国に目を向けているのか?

わたしたちの中では何故か、過去のものになりつつある現在の戦争。

--

この春。チベットでは例年行われている、中国政府がチベットが侵入した日への抗議活動に、苛烈な弾圧が加えられた。

世界は理不尽なままだ。

38年振りの春

38年振りに、春の開放感を感じている。自転車の効用か?

今朝は車の少なさを利用して、ライトの角度をチェックしつつ、まだ暗い道を走る。春とは言え、朝の暗い道は寒い。とりわけ、手が冷たく、片付けてしまった手袋が欲しくなる。

同時に気になっていた、ギアの点検も行う。これは問題なく切り替えが出来ているようだ。慣れてきたのだろうか?先日、精一杯の力で登っていた坂道も、比較的楽に登れる様になって来ている。いつの間にかそこに着いている。そう言った感覚がある。これならば、もっと遠距離に挑んでも良さそうだ。

ただ、気になるのはスピードを出した時、ハンドルがぶれる事だ。微調整が巧く出来ていないのかも知れない。或いは今迄乗っていた自転車で着いた癖が出ているのか?
工具を取り出して、調整してみるが、なかなかしっくり来ない。

前3段、後ろ8段の24段切り替えのギアはやはり強力な威力を発揮してくれる。サドル位置の調整も巧くいっているのだと思うが、以前は苦しかった坂道もサドルに座ったまま登り切る事が出来る。

点検したかったライトはそれほど神経質にならなくとも良さそうだ。尤も、微調整した角度もライトを消す時、簡単にずれてしまったのだけれども。

一番の問題はやはりハンドルのぶれだ。これは大げさに言うと、命に関わる。暫くはゆっくり乗る事にして、点検に行く時、相談してみる事にする。スピードが出せなければ、この自転車の機能の最も重要なひとつを、無駄にしてしまう事になるだろう。

昨日、泥除けの問題を含め購入した自転車屋さんに電話をする。1ヶ月程過ぎた頃の点検時に軽さを犠牲にして細身の泥除けを付ける事にした。やはり晴れていて路面が乾いている時しか乗れないことは行動の自由を狭くする。同時に古い自転車の修理を中止することにした。女房殿にはフレームが少し大きすぎる。さて、ハンドルのぶれはどのように相談すべきか?

それより何より、自転車屋さんが遠い事が心を重くする。…ま、ゆっくりと行って来るしかない。行きは良いのだ。坂道を下ればよい。帰りは扇状地のだらだらと続く坂道をただひたすら登ってくるしかない。
地図を見ながらより「燃費」の少ない道を探す。女房殿も自転車を所望しているので、今度は近いところである程度しっかりした自転車屋さんを探しながら、ゆっくり帰ってくるとするか。どの道を通っても比高差に変わりはないのだから。

今日は午後から雨になりそうだ。

20080315

腰痛もまた心地良し

毎日書こうと思っている。
……





どの口が言った言葉だろうか?
3月になって始めてのBlogを、中旬になって書いている。


『Die Leiden des jungen Werther』との死闘は続く。幾分速くなってきただろうか?それでも片時も辞書を手放す事は出来ず、少しでも休んだらまた元に戻るだろうということは容易に予想できる。

この語学の勉強もかなり利いていると信じているが、それ以上に、一時は日本語を書くこともしたくなかったやや厳しい鬱状態からわたしを救ってくれたのは自転車だ。2日前に届いた。

購入の動機は前向きなものではなく、維持費を払う事が困難になって自動車を手放す事を決心した事から始まった。かなりみじめな動機だと自分でも思う。
動機はみじめなものだったが、自転車の乗り心地は快適!
細い路地を見ると入って行きたくなるわたしには自動車より自転車の方が合っているのかも知れない。

だが、長い間殆ど引きこもり同然の暮らし方をしていたつけが来た。初日はさほど乗り回さず、家の近くで慣らし運転しただけだったのだが腰に来た。股関節、仙骨と脊椎の境目辺りが痛み、坐ったり立ったりする時はいつも悲鳴を上げる始末。
身体は正直に、徹底的になまっていた。

とは言え、心はいつも自転車に奪われた状態で、翌日も身体の痛みが引けていないうちから居ても立ってもいられず前日より長い距離を乗り回す。

痛みが変化している事に気が付いた。初日は関節痛であったものが、腰から背中に掛けての筋肉痛に変わっていた。その筋肉痛も(勿論不快だが)どこかに心地良さが感じられる。前日辿り着いた場所には「もう着いてしまったのか!」と驚く程、楽に辿り着いてしまった。また、だらだらと続く坂道の登りも遥かに楽に乗り続けることが出来た。

14日は雨、身体は自転車に乗りたがっていたが、それ程急を要する用事がある訳でもなく、久し振りに自転車に乗らずに過ごした。
腰の痛みはかなり引いてきた。だが、まだ張りがある。

今日(15日)薦められていた自転車の本が届く。岩波ジュニア新書だったので、簡単な記述だけだと思っていたが、なかなかどうして、びっしりと過不足なく様々な情報が丁寧に書かれていた。
腰痛が起こる条件は全て満たしていた。防止の為には、筋肉をあらかじめ鍛えてから自転車に乗ることを勧めている。
そこに辿り着くまで、おそれを感じるほどに必要な(だった?)事柄が網羅されている。…知りたかったメンテナンスの方法が簡単に書かれていない。そんな事は常識!ということなのだろうか?読み込むと、そこここに必要な情報は書かれているようだ。

かなり本格的に自転車に乗る人のために書かれている。『サイクルスポーツ攻略法』(五十嵐 高・著)という本だ。新刊本はもうないらしい。古書サイトで入手出来る。

恐ろしい世界に足を踏み込んでしまったようだ。
自転車の修理を自分で出来るか?そう聞かれたら、きっぱりとNo!と答えるしかない。困った。

20080220

レクラム文庫を抱えてうろうろする

あまりの不勉強さに脱力し、再起を誓う。

どうも毎日の更新は難しい。
工事の音がまともな仕事の邪魔をする。
雪が降っていた頃から、鬱状態が悪化した。幻覚まで見える始末だ。あー、春なのだなー…と、外の風景とまるでそぐわない実感を覚える。
今回の鬱状態は、鬱状態だけなのだろうか?

このようなときには語学にいそしむ事が、最も簡便な対抗手段となる。

再起を誓った途端ゲーテの『Faust(ファウストI/II)』と『Die Leiden des jungen Werther(若きウェルテルの悩み)』のが届いた。そう言えば医者から勧められていたのだった。随分高いハードルを設けてくれる医者だと思う。

レクラム文庫はさすがに安く、この3冊の総額で講談社文芸文庫の『ファウスト 上』1冊が買える。ユーロは依然高い筈だ。日本の文庫もレクラム文庫の様な質素な装丁でよいと思う。高過ぎる。

いきなり『Faust』はさすがに怖かったので、『Die Leiden des jungen Werther』から取りかかる。…で、いきなり挫折する。ドイツ語を読む10倍以上の時間を辞書と過ごしている。やはり、出て来る単語の殆どに対して、片端から辞書を必要とする実力は殆ど変わっていなかったようだ。にもかかわらず、わたしは横になって本を読もうとする。ドイツ語の本でそれは殆ど不可能だ。日本語の本であっても文庫本の様な小さな活字になると、近眼+老眼のわたしには困難だと自分でも分かっているのだ。

机の前に戻る。

東京で30年間暮らしていた割には、そして曲がりなりにもドイツ語を学んだ事がある割には、わたしが持っているレクラム文庫は10数冊しかない。これはあまりに少ないと言える。
そのあまりに少ないドイツ語の本にとりあえず眼を通した事があるにもかかわらず、わたしのドイツ語のレベルはあまりに低い。
いつまで経っても、持っているレクラム文庫は新鮮で、読んだという気がしない。

ただ抱えてうろうろするだけだ。

これはドイツ語に留まらず、他の全ての外国語すべてがそうなのだ。
せめて英語だけでも自由に扱えるならば…と思うことも多々あるが、そうでないのだからどうしようもない。
辞書は手放せない。

加えて原書というものには注釈がない。翻訳を読んでいて、いちいちこんな事注釈してくれなくても…と何度思ったか分からないが、いざ注釈無しで本を読もうとすると難渋する。そもそも18世紀のドイツの文化事情にわたしが詳しい訳がない。ドイツ語を日本語に置き換えてみて…さて、これで何が読めているのか?夥しい不安が押し寄せてくる。
画家一人の名前を訳しても、その画家が何者なのか良く分からないのだ。訳しているという実感は全くない。

…遂に禁じ手を使ってしまった。本棚から翻訳されたものを取り出して来て、同時に読むことにする。
母国語というものはこれ程までに読みやすいものなのか!と感動すら覚えてしまう。この言葉はこのように訳すのか!といった驚きは多い。
翻訳家の皆様も大変な努力をされている。そのことは、原語で本を読む度に思い知らされる。新しい目を開かされる思いだ。

のろのろとレクラム文庫を訳し、何が書いてあるのかいまひとつ分からず、日本語訳を読む。成る程、こう訳すのか。と自分の訳の拙さと、間違いに何箇所も気付かされ、はっと気が付くとドイツ語を訳した部分を遥かに通り越した先まで日本語訳で読んでしまい。舌打ちしてドイツ語に戻ってゆく。いつの間にか身体は布団の中に逆戻りしている。
ご丁寧にもレクラム文庫も連れてきているが、読めるわけがない。
成る程、レクラム文庫がいつまでも新鮮である訳が分かった。読んでいないのだ。ドイツ語を読む振りをして、いつも日本語訳を読んでいた。しかも注釈付きで…

これでは語学の勉強にならない。
勢い余って小説を最初から暗記する事を試みる。外の騒音に対抗して音読し、出来る限り音で覚えようと、今回は考えた。

ドイツ語の音読は大変な体力を消耗する。rやchの発音に、余計な呼気を要しているのだと思う。以前は簡単に出来た巻き舌が思うようにならず、3時間くらいrの発音だけの練習にいそしむ。
何しろドイツ人は幼少の頃からドイツ語を喋っているのだ。そんなに簡単に身に付くとは思えない。
出来るだけ余計な息を吐かないように気をつけているのだが、気が付くとお前はアドルフ・ヒトラーか?と妙な不安に駆られる程、力んで発音している。

ドイツ語に戻るともう読めなくなっている。

中学生の時、ミニヨンの一節を暗記した記憶があるのだが、これ程苦労しただろうか?

若さという宝物はわたしにはもう無い。諦めて、固くなった頭に文章を叩き込むしかない。

あの頃に比べて、学習環境は遥かに良くなったと思う。
大抵の参考書にはCDが付いているし、Webで、生のドイツ語に簡単に触れることが可能になった。

参考書も簡単になったと思う。
最近、井手賁夫さんの『初めて学ぶ人のドイツ語』という参考書を入手したのだが、練習問題の最初から日本語独訳の問題がある。要求している水準が非常に高い。
と、言うより、やはり学ぶ側の水準が落ちたのだろう。

この参考書は主に文法書なのだが、会話も相当意識していて、発音のコツが丁寧に示されている。そこここにドイツ語に対する愛情すら感じてしまう書き方がされている。好きな参考書だ。
この参考書にはドイツ語の筆記体やヒゲ文字の一覧も付いている。新しい参考書にはこれが省略されているものが多い。様々な局面で、これは意外と役に立つ。更に筆記体。この一覧はドイツ語の筆記体に苦しんできたわたしにはどれほど嬉しい事か。…とは言え筆記体は個人差が大きく、やはり苦しみ続けるのだろうが。
この一覧が最も好きなところかも知れない。

話が少し逸れた。逸れている間に、またドイツ語の最初の文章を忘れた。

忘れたばかりではなく、rの発音に拘泥していたらwの発音が怪しくなっていた。

--
ここまで書いて放置していたのだが、もう3月に突入した。
あまりに入り口でうろついてばかりいてもどうしようもなかろうと、本文の訳を進めていたのだが、意味が分かるのと日本語に訳すのとは大違いで、まだ4ページほどしか訳せていない。

年甲斐もなく泣きたくなる。

20080219

じわじわと恥をかく

このBlogは日記であって、毎日書こうと思っている。そう書いても信じてくれる人はもうひとりも居ないに違いない。

だが書き続けよう。恥を…


題名を付けたときから、どこかしら不安な気持ちを持っていた。

面白い言い回しをするなぁ…と思って付けた先週のエントリ。どうも居心地が悪かった。"Die Liebe geht durch den Magen."これを直訳すると「愛は胃袋を通ってゆく」になる。

これが何故?と思いつつも感傷的な気分というものは恐ろしいもので、丁寧に調べる事もせず題名に据えた。

居心地の悪さは日増しに大きくなり、不安に転じた。「これって…実は料理上手は好かれる」という意味なのではないだろうか?

…その通りだったようだ。
文章とは全く違った題名を付けてしまった…!
そう思っても後の祭り…という訳でもないが、このままにしておこうと思う。

この1週間、じわじわと赤っ恥をかき続けた。

ネットでは抱き合う事も殴り合う事も出来ない。そう言ったのはわたしの友人だが、発信し続ける事で、袋叩きに遭ったり恥をかいたりといった、実感を伴う体験が出来る。

などと…要はわたしが不勉強だっただけだ。…いやー、勉強になりました。

本棚を見ていて、この歳になっても楽しみで本を読んでいられる生き方ってのは、結構幸せなのではないかと考えた。
実は、そろそろ自分の頭に見合ったものを読む様にしてゆかねば…とも考えていたのだが、「勉強するという事は幹や枝葉を伸ばす事ではない、謂わば根を広げてゆく事だ」という文章に出会ってなるほどなぁ…と思わされた。その通りだと思う。

逆に言えば背伸びしている間は勉強しているうちに入らないのだろう。

勉強しなければ…

20080212

Die Liebe geht durch den Magen.

今日(12日)は天候が目まぐるしく変わった。窓から外を見るたびに違う天候だったような気がする。雪と曇りの境界部に位置していたのだろう。少し前は吹雪だった。窓ガラスがガタガタと音を立てた。

長い文章を読んでいたこともあって、またBlogの更新が途絶えた。

途絶えている間、何人かの人と再会することを熱烈に願った。
Blogのレイアウトも少し変えた。
なかなか似つかわしい画が見付からず、パウル・クレーの『別れ』を置いたが、尚のことBlogは寂しい感じになってしまった。
これが、今のわたしそのものなのかも知れない。

わたしが必要としているのは「別れ」なのだろうか?

その人たちとは過去のある時期に強く交わったのだが、今では行方も分からない。
このところ、無性にその人たちに会いたいと願うようになった。

読んでいた長編小説の中に、それらの人びとを見出してしまっていたのかも知れない。

その人たちが今、どうしているかを知りたいと激しく願っていた。今、どうやって生きているのか?と。

だが、実のところどうなのだろう?わたしが会いたがっていたその人たちとは、かつての「あの日の」その人だったのではないだろうか。今はそう思えるようになってきている。
実際に会ったところで、何をしたら良いと言うのだろう?

十代の終わりに、全てを断ち切るようにして、この地を離れた。

わたしはあの時、それらの人々との関係をもまた断ち切って生きてきたのだ。

結局は「あの日」に、わたしは戻りたがっているだけなのかも知れない。いや、多分そうなのだろう。
感傷だ。

ここに帰って来て何年になるのだろうか?最初の頃、わたしは過去の人間関係を復元する事から、この地に根付く切っ掛けを得ようとしていた。焦りも、確かにあったと思う。全て失敗に終わったとしか考えられない。

新しい関係をひとつひとつ作り上げてゆかねばならないのだろう。「あの時」と今を結び付けようとしても一切は無駄な足掻きだ。

雪は降り続いているが、もう、窓ガラスは音を立てるのをやめた。

独り立ち、しなければ…頭をかきながらそう思う。ちっとも独り立ちできていない。

人生は一度きり。
ならば今を生き切るしかないではないか。

わたしが今を生きる生き方をする事が出来始めたら、いつの日か、彼らとも会えるかも知れない。…だが、本当に生きているのかなぁ。彼らは。

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島へ

見知らぬ人よ
あなたはどこにいるのですか?
めぐり合いを信じていますか?
ガラスの廻転扉を一つ回ったらあなたの胸にぶつかるでしょうか?
都会の海に漂い島を探し続けています。
さすらう人よ
あなたは歩き続けますか?
つなぐ掌と掌求めていますか?
心の水平線さえいつか見つけたら
あなたと私出会えるでしょうか?
結ばれ睡る緑の島を探し続けています。

曲・武満徹

20080128

28日になってしまった!

うかうかと生きているうちに前回の更新から2週間が過ぎてしまった。今回は何もしなかった訳ではなく、何やかやといろいろな事があったのだが…どうだろう?自分で何をしたかと問うと、心許なくなる。

13年目を迎える阪神・淡路大震災の日があり、今年も引き寄せられるように関連記事や、過去のデータをひっくり返して様々なことを考えてしまった。

阪神・淡路大震災辺りから、「忘れられない日」「忘れてはならない日」が多くなった。とは言え、防災や減災に奔走していると言う訳ではない。
専門家の皆様の姿勢に、どうしても納得がゆかないのだ。わたしもそうであったのかも知れないが、ただ単に災害を食い物にしている方々も、想像以上に多い。

この事に思い巡らすようになったのが、阪神・淡路大震災だったと、個人的には思っている。わたしの目にようやく被災者の姿が具体的に映り始めた。
それまでは災害と被災地はあっても、被災者の姿を見ようとしていなかったと感じる。例え、被災者の方々と対話する機会はあっても、被災者を知ることは少なかった。

今年は神戸新聞社が出しているCD-ROM、『“最初の一週間”<阪神・淡路大震災>』を購入し、17日からの1週間を追体験した。

神戸新聞社は社屋が震災によって倒潰し、最初の一週間、新聞を殆ど出す事が出来なかった。その為に神戸新聞社のサイトを探しても、震災直後の記事を探し出す事は出来ない。
この事情は他の地元報道機関も同様であり、謂わば「失われた一週間」だった。

このような追体験をしていた為、1月17日前後、わたしは13年前に遡って存在していたに等しい。自分の記憶の生々しさと、しばしば闘わなければならなかった。

その後、今度は全く個人的な事情でBlogどころではなくなっていた。
半年ほど前の健康診断で肺のX線写真に陰が映り、再検査が必要とされていた。一度再検査をしたのだが、「腫瘍が疑われる組織なし」の判定に浮かれてしまい、翌月予定されていた(らしい)追跡検査を受けないまま、放置していた。

病院から電話が掛かってきた。

半ば楽しみながらではあったが、不安がなかったと言ったら嘘になる。検査日が近付くにつれてそわそわし出し、あわよくば回避できないものかと画策したりもした。

病院の、あの「治療的雰囲気」のようなものが未だに不得意なのだ。圧倒され疲れ果てる。

それでも自分の身体の中味がわかるCTスキャン写真には大いに興味があり、出来れば譲って貰いたいくらいだった。その為には結構なお金が掛かる。我が家に無駄遣いする余裕は全くない。不承不承諦めざるを得なかった。

結果は前回から変化がなく、少なくとも悪性の腫瘍と疑われるものは無いと判断出来るそうだ。今回は浮かれる事無く、事後の注意事項もきちんと聞いた。念の為、7月にもう一度検査をするとの事。
面倒なので断ったのだが、聞き入れて貰えなかった。

X線写真に映った陰は、かつての病巣の跡らしい。
あの時、わたしは本当に癌だったのだなぁ…と夢のように思う。

何もしなくても、また、あれこれあってもわたしのBlogは途絶える。
ただ、わたしという人間のだらしなさに呆れるばかりだ。

20080115

『王歌』が来る

今日の一日は昨日程寒くはなく、体調も少し戻って来たのでほっとしている。
今朝7時、Webの気象サイトには-4.9℃という数値が記されていた。一体何度迄下がったのだろうか?

若い時代には冬が好きで、寒さには滅法強かった。それが一体何だ?この体たらくは!(殆ど年寄りの冷や水状態である)と、昼間散歩に出掛ける。陽の光が程よく辺りを照らし、確かに昨日より暖かく感じた。だが寒い。
ほんの少し風が出て来たのに耐えられずとっとと退散した。

退散しつつ道路脇の樹木を見ると、木の芽はほんの少しずつだが成長して来ている。きちんと春の準備をしている。

寒さから近くのラーメン屋に強く惹かれるがお金がない。また、ラーメン程誰かが食べているのを見ると美味しそうに見えて、自分で食べるとそれほどでもないという食べ物も少ないと、いつも感じている。割と簡単に誘惑を断ち切る事が出来た。

階段を登りかけた所で何か郵便物はないかと思い付き、建物の裏側にある郵便受けを見に行く。幾つかの(女房殿宛の)郵便物を押しのける様に本が1册届いていた。今迄寒さに震えていた身体に血が通うのを感じた。

探し始めて何ヶ月経ったのだろう?ひょっとすると年の単位かも知れない。
小川国夫の『王歌』が届いていた。

部屋に入り、早速読み始める。贅肉をとことん迄削ぎ落とした小川国夫の文体がそこにあった。

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わたしとしては散歩に出掛けた事は快挙だったのだが、その日、山麓に住む方が(その方が『王歌』を教えて下さったのだが)-12℃程の夜明けから-3℃程の夕方迄の一日の移ろいをBlogで伝えて下さった。この寒さの中で、外に出て写真を撮っていらっしゃった。わたしには殆ど超人の行為としか思えない。

冷え込んでいる

昨日(14日)の最高気温は、予想では0℃だったが、かろうじて1℃あったようだ。
善光寺平はこの付近では比較的暖かな土地なのだが、今朝はさすがに冷え込み、なかなか寝付けなかった。

この数日間何をやっていたかと言うと、何もしていなかったというところが正確な書き方になってしまう。眠って(悪夢で)疲れ果て、起きてただ固まっていた。情けないが本当にそうだったのでどうしようもない。読みたい本の背表紙をぼーっと見て過ごしていた。これでは何の為に環境を調えたのか分からない。

今朝はまだ寒いが、晴れ上がり、貰い物のシクラメンに陽を当てている。植物も光合成が出来ずかなり葉が一部黄ばんで来ている。

陽が当たっている所に鉢を置くだけなのだが、太陽は意外と速く動くので、昨日迄の様にただ固まっていられない。

大陸からの寒気団が押し寄せているのだと言う。
その割に北海道や東北地方北部を除いて、冬の季節風の吹き出しの雲があまり明瞭に見られない。大陸からは吹き出しているのだが、すぐに偏西風にかき乱されてしまう。吹き出しの勢いも弱いのだろう。

寒いのに大陸からの筋状の雲が見られないのはちょっと気合いが削がれる。

花と共に太陽を求めて動き回り、気温の上昇を待つ。とりあえず動き回る事が出来る。

20080112

吹雪になる

昨日(12日)はゲーテに救われたような一日だった。
意欲が減退気味だったのだが、詩集とゲーテ論を読み、持ち直す。

夜、さほど寒くなかったので(それでも防寒具は欠かせない)ダイニングルームと書庫に使っている部屋にある本棚の入れ替えをする。

女房殿はそこをヨーガ道場としても使っているが、やわなわたしは寒くなって来ると、なかなか暖房のない書庫部屋には足が向かわなくなる。

新書類をごっそりと書庫部屋に持ってゆき、その代わりに長編を主に、小説類をダイニングルームに持ち込んだ。
書庫部屋に行った時、本棚を見て「あるなぁ…」と感じた。無駄とも思える程本棚に本がぎっしり詰まっている。一生分の本がそこにあるような気がした。本当に無駄にあるのだろう。
今年は長編小説を多く読もうと決意したのだが、まだ実行に移す事が出来ていない。その為の環境を調えようと本の入れ替えを決意したのだが、書棚を見ながら、何故こんなにわたしは本を読むのだろうと疑問も感じた。もはやこれは嗜癖と言って構わない。

楽しい。それは確かなのだがその楽しさはどこから来るのだろう?単なる暇つぶしなのであれば、もっと軽い読み物で済む筈だ。軽い読み物に宗旨替えすれば同じ量でも本に費やす金額は遥かに安く済むだろうし、とっとと捨てる事が出来る。古本屋にもそれなりの値段で引き取って貰える。
本棚にはベストセラーが殆どない。

中には軽い読み物もあるのだが、これは目下のところ処分するかどうかで思案中だ。と言ってもそれはちくま新書であったりするのだが…。もう少し、軽々とした人間でありたいと思う。もともと軽薄な人間なのだから。

本を持って、何度も部屋を往復していると、それだけで結構暖かくなる。ダイニングルームの本棚を一杯にしようかとも思っていたのだが、少し柔軟性を持たせる為に何も置かない棚も作った。

本の移動を終えた頃には雨が降り出していた。昨日から雪になるかと思っていたのだが、夜半になっても雨のままだった。

目が冴えてしまい、読みかけだったゲーテ論を読み始める。
頭の中にどっさりとある本の姿が蘇る。また、何故、これほど読む(と言うより、ある)のだろうという疑問が頭をもたげえてくる。

ヘッセ論やゲーテ論は、わたしが読む事が出来る数少ない文学論だと思う。少しは議論に付いてゆける。けれど、わたしはヘッセやゲーテの何を読んで来たのだろう?
彼らの文章にはわたしを引き込む力がある。しかし、このわたしには彼らを生かす力がない。

ヘッセやゲーテを読む事、読んで来た事を、生きるという行為の中で、何らかの力にして来ただろうか?

しばしば文学はわたしにとってひとつの糧である。その様にしばしば書いて来た。…本当にそうなのだろうか?

読んでいた文学論を閉じ、『ファウスト』に手を延ばす。
何故読むのかは文学論に譲ろうと思う。先ずは作品をきちんと読んでから、文学論を読もう。

--
そのまま午前7時まで読み続けた。
気温は2℃。やはり思った程寒くなく、外は雨。

だがその後気温は上がらず、むしろどんどん下がる。午前中には雪になり、そのうちに強い北風に飛ばされて吹雪となった。

20080107

暖かな小寒だった

小寒だった昨日は週間予報では曇り一時雪だったのだが、予想より季節風が西に傾き、殆ど東西方向だった為か、雲が東北地方に流れ、朝方深い霧に包まれた他は概ね晴れ渡り、暖かな小寒だった。
今日(七草)も暖かい。

暖かさに誘われ、散歩がてら郵便局(古い呼び方だ)迄書籍代の入金に行く。電信扱いになると手数料がどえらく高価くなるのに驚く。どうやって対処しよう。とは言え近くの古書店に行くより遥かに安価い。そのように心をごまかすしかあるまい。郵便局に口座を作ればもっと安価くなるのだろうか?

山口四郎という翻訳家を知る。切っ掛けはケストナーの『飛ぶ教室』の訳がなかなか良かった事だったのだが、彼はゲーテやヘッセも訳している。潮出版社の『ゲーテ全集-1』「詩集」も彼の責任編集による。
…なかなか評価の難しい翻訳家だ。
『ドイツ詩集』を入手する。ドイツ語の韻律を非常に大切にしていて、何よりも口ずさめるような翻訳を心がけているのだろう。その点は評価したい。けれどどうも詩全体が甘くなりがちだ。つまりは感傷的なのだ。

この詩集に関しては読み終わったらBlog『夏の行方』の方に感想を書きたい。だが、原文や他の訳と比較する体力が今のわたしにあるのだろうか?

散歩から帰ると同じ山口四郎訳の『ヘッセ詩集』が届いていた。この本だけ振込指定のメールがなかなか来ないと思っていたら、本に郵便振込の用紙が挟み込まれた状態でやって来た。

仕方なく、また振込に行く。山口四郎さんに振り回された。こうなったら是非ケストナーの『5月35日』を訳して欲しい。

気力は相当衰えている。だが寒いので少しは動ける。これで少しでも暖かくなったら鬱状態の悪化は免れ得ないところだろう。恐らく悶絶していると思う。もう少し寒くなったら…それはそれでまた動きたくなくなるのだが…

ところで、小寒から寒中が始まるのだが、正月に行われていた寒中稽古や寒中水泳はどのように解釈したら良いのだろう?寒中と言えるのだろうか?
ちなみに寒中に獲れた鰤のみを寒鰤と言う。…これは氷見の旅館の女将さんから教わった事の単なる受け売りだ。

20080102

雪の中、年が暮れ年が開け

久し振りの更新となる。
誰か読んでいてくれる人は居るのだろうか?と不安になったりする。

薬も適度に効いて、比較的好調な年末年始だった。

この頃の天候は北半球と南半球でほぼ完全に分かれるような、古典的な気団の動きをしていないような気にさせられるものが多い。
年末年始には大雪になったが、これも雲の動きを追跡していると南半球からやって来た雲がインド経由で中国に至り、それが日本迄やって来た。そんな動き方をしていた。
それでも週間予報を信じて、曇り空が続いてたまに雪が降るような天候を期待していたのだが、直前になって朝鮮半島の付け根当たりで渦を巻き始めた低気圧を見るに至り、観念した。大雪になった。

だが、大陸からの吹き出しの雲はかなり西に傾き、冬らしい冬とはまだ言えない。雪雲も殆どは北アルプスでブロックされたのではないだろうか?

雪は層状に積もっている。所々汚れているのは目の前の店舗の工事現場から飛んで来た砂埃が混じったのか、年末に朝鮮半島付近で観測されていた黄砂が混じっているのかよく分からない。色は黒い。

心なしか昨年降った雪は重く、今年に入ってから降った雪は軽い。そんな気がする。寒くなって来たのだろう。

新年早々、雪掻きで腰を痛める。

腰を痛めた事を口実にして、本ばかり読んでいる。
ロマン・ロランは昨年再発見した最大の作家だった。しばらくはロラン熱が続くだろう。熱が醒めたら…一旦作家に熱を上げるとあまり醒めないわたしだが、醒めたら醒めたでわたしにとって重要な作家のひとりになるだけの話だろう。

amazonで手頃な値段の本がなかった事から他のWeb古書店を幾つか知る事が出来た。確かに古書店のオンライン化はかなり進んでいるようだ。

ロランの魂は強靭だ。どの本を読んでもその事を感じる。無論人間的な弱さもあり、苦しみの吐露もあるのだが、自由で不屈な精神の存在を十分すぎる程に信じ切っている。これは生きた時代の厳しさから考えると驚異的な事だ。或いは、生きた時代が苦しい時代だったからこそ、生まれ、愛された作家なのかも知れない。

逆に言えば彼の強さが、現代と折り合わないのかも知れない。生きづらさが強調される。自分探しが至る所で行われている。そして、人々は孤立し、更に自分を捜そうと躍起になる。

他人探しをした方が良いのだ。
一般の人が思う程、他者というものは見付けやすいものではないように思う。そして、一般の人が思うより、自分探しは意味があるものではないと思っている。「本当の」自分なるものを探しまわるならば、他者と交わるところから始めた方が良い。交わるに値する他者を発見する事の方が遥かに実りがあるだろう。

これは、一見矛盾する事のように思われるかも知れないが、孤独であれ、と言っているのと殆ど同じ事だ。

ロランはロランという独りの人間である事によって、ベートーヴェンに、ミケランジェロに、そしてトルストイに出会っている。ヘッセに向かい合っている。そのように感じる。

わたしがそうであったように、現代人はこの強靭な精神に「負けて」しまうのかも知れない。

3日は人と会う為に長野駅にゆき、時間があったので善光寺へも足を伸ばす。何と善光寺で初詣をしてしまった。その後、折角ここ迄来たのだからと(どういう理由だろう?)本屋へも行く。だが、本を見付ける体力がない。本の背表紙は目に入るのだが、何も選べなかった。