20071205

12月になった

5日も過ぎてから何を言い出すのか?わたしもそう思う。随分間を空けてしまったとこの前書いてから1週間が過ぎた。
5日か6日にはもっと冷え込むらしい。と書いたその5日になったが、…冷え込んでいる。
朝、外に出て、北に見える飯縄山を見た。真っ白だった。這々の体で部屋に逃げ込んだ。

4日の雪の予報は少なくとも山沿い地方では当たっていたらしい。盆地部では一瞬霙になったが、雪と称する天候にはならなかった。その一瞬の霙時間に、わたしはわざわざ通院していたのだが…。…お蔭で、待ち時間は全くなかった。

1週間も何をしていたのかと言うと、ただ本を読み続けていた。あ、仕事もしていました。ほんの少し…。

本を読むという行為が、どうしても宜しくない習慣のように思える。
大抵、本を読み続けている時、あまりものを考えていない。

と、言うと語弊があるかも知れない。本の内容を理解する為にかろうじて頭は使っているようだ。だが、それと「ものを考えている」という行為は、どこか違うような気がするのだ。

途中、Bolg『冬の砦』に「Mummified dinosaur」を書いていたので、実はBlogの間が空いたという実感はないのだ。
とは言えそれも3日の事。全体的に精神活動が低調だったという事実は確かなようだ。

何をするにも億劫で、灯油が少なくなるのも気掛かりになり点けずに過ごす。
春や夏程ではないが、頭の中がごしゃごしゃしていてかなり苦しい。このような時期には何故か精神医学や心理学の本を読んだりする。

本をはじめとして、文書を読む時、感情移入は避けられない。加えて、ただ結論が断定的に書かれているものより、基礎的なデータ、この場合臨床例という事になるのだろうが、それが含まれている本を、わたしは好む。
臨床例が頭の中に侵入して来るような気分になる。
鬱傾向は更に悪化する。

読む事への体力が無くなって来たのだろうか?

バランスを保とうと、詩や小説、ヨーガの本、なども読む。
しかし、いつの間にか論文が最も読みやすい頭になっている自分に気付く。

論文にはきちんと引用文献が示されている。そうすると重要な文献というものが自ずから分かって来る。J.L.ハーマンの『心的外傷と回復』は、どの論文にも引用されている。これは読みたい。しかし、…高価い。

Webでこの本のダイジェストというか、輪読の為のレジュメが載せられているものを見付けた。最初はありがたいと思ったが、それを読んでいるとなおの事本をきちんと読みたくなる。
本を読みつつ、このサイトで自分の理解度を確かめたくなるのだ。

また、灯油の値段が上がった。

夕食に、シチューを食べる。少し、身体が暖かい。

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