20071128

灯油を買いに行きながら

目の前に灯油を売って下さるお店があるという事だけでも、大変重宝している。灯油を買いに行く為に、わざわざガソリンを消費しなくて済む。
先日捻挫した左足首はまだ少し痛む。重いものを持つにはやや辛い。けれど灯油は日々、消費してしまう。そうしないとやわになったわたしは、満足にキーボードで文字を打つ事もままならぬ。

一昨日、昨日に比べ、今日は更に寒い。予報では5日か6日にはもっと冷え込むらしい。4日には雪の予報も出ている。丁度昨日灯油を使い切ったので(体力的に、精神的に、そして何より経済的に…)思い切って外に出る。

「あっ!」と思わず声を上げそうになった。灯油が昨日より3円値上がっているではないか。

1ℓあたり3円という事は18ℓでは…。などと無駄な暗算をしながら横断歩道を渡る。

ずしっと重い灯油を持って帰る時、今月の医療費の事など、また無駄な算段をしながら信号を待つ。

昨日、久し振りにかなりの数のBlogを読む。
幾つかのBlogで石油高騰の事が触れられ、幾つかのBlogでは社会情勢が語られていた。皆様怒ったり、嘆いたりしていた。問題提起や提言をなさっている方もいた。

皆様偉いなぁ…と思うのだ。
わたしも少し社会問題など取り上げて、このBlogにも「社会性」を持たせねばいかんかな?
正直に言うと真剣に悩んだ。

石油高騰についてもその原因分析や、そうした情勢の意味するところが様々な視点から語られていた。

確かに貧しい生活をしていると、その中から無理してお金を絞り出して灯油を買いに行く、そのお金が、投資という名のギャンブルの寺銭に流れているのか!と思うと、面白くはない。

養老孟司さんは経済のグローバリゼーションを落語の『花見酒』が世界規模で行われているものと言っていた。説得力があった。

だが、今日感じた事は、そうした分析から下された感情ではなかった。少なくともなかった筈だ。

灯油を買いに行ったら高価くて驚いた。だが、他に買いに行くより総合的に判断すると安く済み、このお店が潰れてしまうとそれも困るので「ここ」で「灯油」を買う事を決定した。それだけの事なのだ。

そのお金がどのように流れ、どのように使われるのかは、極論を言ってしまえば「知ったこっちゃねぇ」(…『花見酒』は早くやめろよな。危なっかしいから)。

東京で暮らしていた頃は、特に暮らし始めた頃驚いたのだが、我慢すれば暖房費を完璧に節約する事も可能だった。どうしようもなくなったら電気ごたつを買おうと思っているうちに春になってしまったのだ。

その感覚からどうも抜け出せずにいる。暖房費が必須である場所で、何故石油が高価いのか?

この設問が適切でない事は分かっている。供給が同じならば、需要が多ければその分だけ単価は高価くなる。これが経済の常識なのだろう。
そして、投資ファンドほどではないにしろ、日本に運ばれてくるまでに石油を使い、更に国内に到達してから、車で更に高騰したガソリンを消費して運ばれて来る。高価くて当たり前。

その常識がバブルという非常識な時期に大きく変わった事もうすうす感じてはいる。お金は遊び道具になった。
遊び道具で遊ぶ人が居る事にいちいち腹を立てていたら、世の中腹を立てる事だらけで人生の日が暮れる。その筋の勉強など始めたら、本を買う為に多分石油高騰以上の負担を強いられる事になるだろう。

それでなくともわたしの家には無駄に本が沢山ある。表に出ている本だけでも、これらを再読するには残りの人生全ての時間を費やして、足りるかどうか…?

にも拘らず、わたしはまだ、本を買う。更に買いたいと思っても居る。

はっきり言ってこれほど無駄な事はない。これらを知的投資と呼んでみた事もあったが、その投資が利益と共に還って来た事はない。ただ、出てゆくだけだ。
さして知的になったとも思えない。

本や音楽、そして科学で遊んで来た。それらの時代は頭の中では何故か非常に苦しい時代として記憶されているのだが、振り返ってみると面白い場所を沢山垣間見て来たとも思っている。
先日のように、思いもしなかったのに、ステージに上がらせて貰えるような、そんな人生だった(おいおい、何かわたし、既に振り返っているよ)。

わたしも遊ぶ。だから、誰が何で遊ぼうと、その事にいちいち文句を言う気にはなれない。

だが、お金で遊んでいる人たち。社会問題で遊んでいる人たち。何かが、どこかが、間違っているよ。と薄っすらとだが感じるのだ。

遊び道具は安全なものの方がいいに決まっている。
それ以上に遊んでいるのならば、遊びを遊んでいると自覚して、つまり腹を括って、遊んだ方が良い。

お酒は(殆ど飲まないのだが)美味しい飲み物だと思う。けれど悪酔いする程飲むのは迷惑だ。

何やら彼らには、妙な使命感がつきまとっている。その使命感とやらが、かつてのオウム真理教の事を思い出させるのだ。使命感の背後には弱かれ強かれ、絶望感が潜んでいる。

(この頃、足が痛くて少し実技の方がおろそかになっているが)ヨーガをやり始めて、オウム真理教の道場のような場所は、少なくともヨーガを真面目にやりたい人には、理想的とも言える場所だったのだろうな…。と、今迄とは異なった理解の仕方が出来るようになった。←参考:えこまさん『えこまの部屋』─「駆け込み訴えの悲しみ

彼らは(少なくとも幹部は)、何か知らんが世の中が「分かっちゃった」人たちだった。

20071126

渋さ知らズというバンド

随分間が空いた。
23日朝から鬱状態に突入し、しかも24日は前から期待し続けていた「渋さ知らズ 大オーケストラ in 松本」。このバンドは結成時から関ってきた。非常に思い入れがあり、ここでしか会えない方々との再会も出来たら…と期待していた。

再会以上の、期待以上のかかわりを持つ事が出来た。嬉しくてたまらない。

勿論、それらの個人的な関わりが無くともこの集団は画期的だ。舞台美術が素晴しく、ダンサー、舞踏、絵描きの即興パフォーマンスと、総合芸術と呼ぶに相応しい舞台を繰り広げてくれる。

わたしたちは縮めて「渋さ」と呼ぶ。

不安定な精神状態のままだったが、渋さはそのエネルギーでとりあえず鬱状態を吹き飛ばしてくれた。ありがたい。

ところが今度は呆けている。困ったので、mixiに載せた日記を殆どそのまま転載すると言う、自分に対しての禁じ手を使ってしまおうかと思っている。

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満身創痍だ。

捻挫した左足首を筆頭として、体中が打ち身、筋肉痛で痛い。翌日になって気付いた打ち所もあった。これが歳というものなのか。

松本に行ってきた。
24日、『渋さ知らズ オーケストラ』という「何が何だか分からない」素晴しいバンドのライブが松本であった。このバンドは発生初期からバンドという形態を越えていた。その越え方がさらに尋常ではないものとなっていた。嬉しかった。

席は左端。だが、前から6列目というのは名ばかりのことで、前には席は無く、立つも坐るも踊るも自由自在。…やや舞台全容が見渡せないのが残念だったが…。しかし、ベースが、ドラムスがまるで自分の心臓の音のように体中に血を送り込む。この場所は、わたしの好みの場所だ。

演奏が(客席後方から)始まるや否や、身体は席を離れていた。

ところが身体が思うように(若い頃のように)動かない。激しく踊る事は諦めた。

あまりの人気に大人数の「…オーケストラ」に行かなくなってから、何年経っただろう?「…チビズ」と呼ばれる小編成の渋さ知らズや、バンドに参加しているそれぞれの演奏を聴きに行ったりしていた。実力者揃いなのでそれでも充分満足できる。

だが、今回「大オーケストラ」に行って、バンドのメンバーはかなり変わったが、渋さはやはり渋さだ。と再確認できたのが個人的にはいちばん嬉しかった事だった。

バンドだが、聴きに行ったとはあまり書きたくない。あの舞台を観に行ったのだ。現場に身を晒したかった。

北信濃に住むようになり、このようなバンドに接する機会が激減した。皆無と言っても良い。

ただ、昔の仲間たちのサイトに「そのうちに観に行くからねー」などと書き、主にお金の無さから果たせずにいたのだった。渋さが向こうから信州にやって来る。ならば、行くしかあるまい。

渋さが松本に来る事を知ったのはかなり遅かったように思う。東京感覚で、もうダメだろう…と諦めていたのだったが、女房殿がどこからかこの情報を嗅ぎ付け、遅いだろうが、とりあえず試してみようとチケット購入したら、意外と良い席が取れた。

楽しみにしていたのだが、23日、急に激しい鬱状態に取り付かれ、これは充分楽しめないかも知れないと不安を抱えたまま、松本へ。

結果。充分に楽しめた。

前で、音ばかり堪能しているのも勿体無いと思い、席を離れ(尤も、坐っていた事など殆ど無かったのだが)いちばん後に行く。

美しい!照明が、舞踏が、セクシーに踊るダンサーが、背後に音楽と同時に描かれてゆく絵画が映像が渾然一体となって、傍若無人に(褒め言葉)展開され、あまりにも美しい舞台となっていた。

見惚れて、階段を降りてくる途中で、激しく転倒し、足首を捻挫し、膝を強打した。

大人しくしていようと、いちど坐る。「ひこうき」。気が付いたら立ち上がっていた。石川啄木の詩に曲を付けたものだ。

そうして大団円に向かう。やはり身体は踊りだしていた。曲は「本田工務店のテーマ」に移る。フザケた題名だが、この曲はわたしたちの、そして渋さの象徴ともなっている。後から踊りに来る人が沢山いた。やはり(少なすぎるけど)渋さはこうでなければ。

と、感慨に浸っていると、バンマスと言うより、ダンドリスト(いろんな段取りをする人という意味で、渋さではこのように呼ぶ)の不破さんがわたしを見付け、あろう事かステージに上げてくれた。ステージに上がったからには今迄のようなヘロヘロダンスではあかんだろう。
歳を考えつつ、16ビートで踊る事は諦め、4ビートで何とか身体を動かす。気持ちが良い。

何だかんだ言ってもステージの上は気持ちが良い!この場所が、或いはステージの袖がわたしは好きなのだ。
だが、もう戻れないだろうと諦めていただけに、いっときでもそこにまたたつことが出来たのは嬉しくて堪らなかった。

楽器も何も持っていないので、「本田工務店」が終わって、すぐに銭湯の湯船からあがるように恥ずかしげに(もう少し格好付けられなかったのかー!)舞台を去る。

それにしても不破さんと握手し、抱き合えたのは嬉しさで一杯だったが、ダンサーのペロさんと抱き合った時には、客席から明確な殺気を感じた。その後は身の危険を感じて、こそこそと行動する。

楽屋入り口から許可を得て、楽屋に侵入。
この楽屋の雰囲気も好きなのだ。

何人も長い間ご無沙汰の限りを尽くしてきた人たちと会う。まるで、昨日会ったばかりのように、当たり前に迎えてくれた。嬉しかった。

腹を括り、遊びの世界に生きている彼らは、やはり凄い。
彼らには素晴しく良いセンスがあり、しかも努力家で、何よりその世界に棲み続けている。

わたしはこれらのどれも持っていない。

さて、何をして生きて行こうかね。もうわたしは50の坂を越えた。

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今日も(昨日より雲量は多かったが)晴れ渡った良い天気だった。この気候がどれだけ続いてくれるだろう。今週中には崩れそうだ。
台風は、フィリピンで被害を出し続けて、まだそこにいる。西に進路を取り、ゆっくりと進んでいるが、偏西風にぶつかっている。恐らく、中国大陸に上陸する振りをして、急に方向を変えるに違いない。

極めて稀な、好天がこの渋さ知らズのライブと重なってくれた事に大きな感謝を感じざるを得ない。

思いもかけない時期に雪で閉ざされた黒姫から、鳥の報せが届く。黒姫も暖かないちにちであったようだ。また、いつもの生活に戻ろうと思わされた。この暖かさが暫く続いてくれることを祈る。

20071122

雪化粧

雪の為、車の運転が出来るか不安だったが、わたしが住んでいるところでは、北側の山沿い地方の雪が、北風に乗ってやって来たという程度の、うっすら雪化粧。とりあえず安心したが、山沿い地方が気に掛かる。

この季節に、フィリピン海では2つの颱風がほとんど同時に発生した。その様子は『冬の砦』の「2つの颱風」に少し詳しく書いた。偏西風に乗って、ひとつはやって来るかも知れないが、偏西風の位置が日本列島から離れている為、この颱風の直接的な影響は(多分)ないだろう。

偏西風が南に下がった為、大陸からの筋状の雲は日本列島を通り越し、太平洋迄及んでいる。

やはり、1昨年の豪雪を思い出してしまう。だが、季節風の吹き出しは弱く、気候区の境界も1昨年、昨年に比べ、やや北側にあるような気がする。

…と、なんとか安心材料を探し出そうとしているわたしなのだ。
何とか、12月迄、大雪に見舞われたくない。

昨日の昼間、山を見て、まだ秋の風情だな…と思った。遠目に見ると山々は雪に覆われ、1日で冬景色となった。紅葉した樹木はまだみられるが…。

最近、夏も冬も急にやって来る。

呼吸するような深いリズムと共に、徐々に暑さや寒さが深まってゆくパターンは失われつつあるのかも知れない。

iMacのキータッチにもだいぶ慣れて来た。
Winとの使い分けも、少しだけ慣れて来たように思う。まだ、かなり迷ったり、間違えたりしているのだが…

20071121

さて、初Mac!

一日中iMacをいじって遊んでいた。

掲示板『夏の扉へ』に書き込もうと思っていたのだが、匿名proxyでの投稿となる為、辿り着けず。いよいよ掲示板への熱意が失われてゆく。この状態を何としたものか?

やはりBlog中心にならざるを得ない。…しかし、おかしいな?Macから投稿して下さる方も沢山居る筈なのだ。この問題にはどのように対処していったらよいのか?既にわたしの能力を超えている。

以前、同じような理由から書き込めないと言って来た人には、なんやかやと助言していたような気もする。

とりあえず、掲示板には今まで通りWinからの書き込みが出来るので、それで対処してゆこうと思っているが、XP、いつ迄使えるのやら…。

かつてのMacとの違いより、少しばかりWinに慣れてしまった故の戸惑いの方が多い。

まとまった文章を書こうとすると、キー配列やキータッチの違いから間違える。
ショートカットキーではcommandキーの位置を良く間違える。そう言えばWinを使い始めた頃も同じ悩みに苦しめられた。使い分けも慣れだろう。

未だにLeopardの全貌は分からない。だが、非常に使い勝手が良い。
使っていて気持ちが良いのだ。

今迄、読みにくかったBlogなども、読みやすい。

使い慣れている筈のコンピューターより、iMacの方を使いたくなるのはこれらの気持ち良さの為だろう。

まだ、必要なURLを移したり、幾つかの基本的なアプリケーションの使い方を探っている段階だが、美しさや機能にいちいち驚く。

かなり悩んでいたデータの移行も、Macを立ち上げた時には既に解決していたような状態だった。

Safariの使い心地は実を言うとよく分かっていないのだと思う。普通のブラウザとしての使い方しかしていない。

これから更に幾つかのアプリケーションをインストールし、幾つものサイトを見て回ろうと思っている。

20071120

iMacが来た!しかし…

このような展開もありうるのではないかと、うすうす予想していたのだが、注文してから1週間と言う予想より遥かに早い今日の午後、iMacがやって来た。

…何もしていない。かろうじてモノを箱から出し、付属品を確認して、繋ぐべきものを繋ぎ、後はマニュアルを見たり、想像を遥かに超えてでかいモニターを眺めたりしている。

今日は歯医者の日だった。簡単な補正をして帰ってくる予定が、歯茎の状態が思いの外悪く、殆ど手術状態だった。いや、手術そのものだった。帰って来てからも3時間ほど出血が止まらなかった。

しかもiMacが来たのは、歯医者から帰って来て10分後。うかうかしていたら間に合わなかったところだ。

歯科医は、なにやら難しい病名を告げた。
わたし自身の不養生の成せる業なのだが、1年前、ぐらついていた歯を自分で抜いて歯医者通いが始まったのだった。きれいに抜いて貰った訳ではない。

歯医者で抜歯する時は、抜けた跡を消毒し、歯槽骨を整形してから縫合を行うのだが、その後処理を行わずに抜けた歯の傷口が塞がってしまっていた。
この未消毒の跡に細菌が入り、それに身体が反応して本来あるべきではない組織を作り始めていたらしい。

その組織が発達し、入れ歯が当たってかなりの痛さを醸し出していた訳だ。膿も醸し出していた。

お蔭でiMacが来ても気分はハイにならずに済んだが、麻酔が切れ始めた状態では幾らわたしでも「早速使いたい!」という気にならない。

コンピューターを買って、これ程落ち着いていた事は未だかつてない。落ち着いていたと言うより気分が落ちていたのだ。起動して各種設定を行う気力が出ない。
とても早く来てくれて大変嬉しいのだが、何もしていない。悲しい。

しかし、でかい…。24inchのモニターはさすがに広く、もしかすると部屋の隅に置かれているTVより大画面かも知れない。まだ使っていないので、この大きさがどれだけの便利さをもたらしてくれるのか分からないが、今のところ、無駄に広いという感じから抜け出せない。
これをひとつの机の上にVAIOと並べて使おうとしていた想像力のなさに恥じ入るしかない。

そしてシンプル!付属品は本体の他、キーボード、マウス、そしてやや大きめのライターほどしかないリモートコントローラー、電源コード。これが全て。

昔の、ごちゃごちゃ配線が机の裏に固まってしまうコンピューターのイメージから程遠い。
考えてみればモニターとコンピューターが一体化しているのだ。その接続コードがない。このシンプルさは気に入った。想像できなかった不明は、これも恥じ入るしかない。

キーボードにアームレストがない事は気になっていたので、汚れて使わなくなっていた市販のアームレストも用意していた。けれど、それを使う必要はないようだ。
非常に薄いため、机がアームレストの役割を充分に果たしてくれる。キータッチもそれ程違和感がない。…勿論未だ使用していないので、実際に使ってみない事には使い勝手は分からない。
これらは嬉しい誤算。

嬉しくない誤算もあった。かつてのAppleのキーボードはkとdをホームポジションにしていた。Winを使っている間も、このホームポジションを忘れないように、jとfをホームポジションにせず、kとdのキーをいつも意識して使っていた。
iMacのキーボードはjとfがホームポジションになっている…。無駄な努力をしてしまった。

その他(これは事前に知っていたが)optionキーとcontrolキーの位置が入れ替わっていたり、バックスペースキーが加わっていたり、とWinユーザを取り込むための変更が成されていた。とは言え、わたしがMacを使っていたのはもう5年も昔の事になるのだが…。

畏れ

朝、『続・黒姫から』を覗いて驚いた。

今はまだ、11月中旬と言って良い。幾ら山添地方でも今回の雪は10cm程度の積雪だと思っていた。
とんでもない!優に30cmほどの雪が積もっている。

これはいきなり根雪になるかも知れない。

バングラディッシュではサイクロンが多大な被害を引き起こしたが、その名残りの低気圧が近付きつつある。

この「いきなり根雪」のパターンは一昨年のとんでもない大雪の到来を思い出させる。
あの年は12月に入ってから雪が殆ど止まず、東京から来たばかりのわたしはかなり苦しい思いをした。

その前の年も19年ぶりの大雪だったのだが、それをはるかに凌駕する豪雪だった。最低気温、積雪量共に、日本列島各地で記録を更新した。

大規模気候変動が進んできてから、季節の変わり目が急激になってきたように感じる。初霜があり、初氷があって、ちらほらと雪が舞い、それが薄っすらと積もるようになって、そろそろ冬篭りの準備をしなければ…と思い始めてから、本格的な雪が来る。そうした呼吸をするような季節の変わり目ではなく、全てが一遍にやって来る。

酸ヶ湯の80cmにも驚かされたが、黒姫の30cmには、畏れを感じる。

その畏れの中で、真っ赤なナナカマドの実に積もった雪は、あまりにも美しい。

20071119

初雪

朝、晴れていたが、北風に流されて低い雲が飛び交い、荒れ模様。昼には雨になった。

とてもじゃないが外に出られない。そう考えていたのだが、女房殿が街に出るというので便乗させて貰い、本屋まで行く。
amazonを含め、久し振りにハードな本を購入した。

読みやすく、内容も簡単な本は、すらすら読めるが、読んだ後燃え滓がぶすぶす煙を上げているような不快な感覚が残る。
やはりこの頃、凄みのある本を欲していたのだと思う。

今日購入した本は、読み切るまでには時間が掛かるだろう。けれど、手応えを感じている。

まだ、冬篭りには早いかな?そう思っていたのだが、妙な時間に目を醒まし、外を見ると雪が舞っていた。
一昨日初霜と初氷を見たばかりだ。やけに早い。

TVでは長野市内で5cmの積雪が予想されていたが、少なくともわたしが住んでいる場所で積雪はないだろう。あまり本格的な降り方ではない。

山間部では昼から積雪があったらしい。いつもの『続・黒姫から』でそのことを教えて頂く。

篭りたい気分が増すが、病院通いなどで外出しなければならない。さてスノータイヤにいつ履き替えるか?

雪国はそれなりに面倒な事も多いが、春から夏にかけての、頭の中で鰻が何匹ものたうつような気分に比べれば、今の面倒はそれ程苦にならない。…そうでもないか?

しかし、いつからわたしは春が苦手になったのだろう?

高校時代は春は心浮き立つ時期だった記憶がある。嬉しくて仕方なかった。
外界と同じ様に心の中も光に満ち、新しい季節の到来を体中で味わっていた。良く、屋根に登っていた事を覚えている。

春が苦手になった頃、記憶の中ではそれ程、七転八倒する苦しみを味わったように思えない。
意外と困難な時期を、わたしは乗り切れるものだな?そんな事を考えながら過ごしていたような気もする。

抑圧とはそうしたものなのかも知れない。当人は自覚しにくい。すっぽりと記憶が抜け落ちている時期もある。

Blogを再開して気が付いた事は、わたしの状態はかなり改善されていると言う事だった。このBlogの最初の頃の記述を見ると、思わず眼を背けたくなる。わたし自身は今の方が苦しいと思っている。この自覚のギャップは興味深い。

本を読もう。そして身体を動かしてゆこう。
あまり無理をすると、残念ながらわたしの状態はすぐにもとに戻ってしまう。それに注意を払いながら、…やはり冬は篭って過ごそうか?

基本的にぐうたらなわたしなのだな?そのことは否定できそうもない。

ストーブを消すと途端に部屋は寒くなる。外気温は相当低いようだ。

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昼は概ね晴れ上がった。
東の山々を見ると、菅平から横手山、高社山まで、稜線は真っ白になっていた。山々に残る雪線は北に傾いた面を作っている。菅平ではまだ山の高い部分だけが白くなっていたが、高社山など善光寺平の北東端にある山々は裾まで白く、その白さが濃い。恐らく、飯山、中野辺りは平地でも積雪があったのだろう。

今回の降雪は一時的な冬型の気圧配置がもたらしたものとされているが、早速次の一時的な冬型の気圧配置が近付いている。

東北を中心として、かなりの積雪があったようだ。
青森県酸ヶ湯では80cmの積雪を記録している。この場所は3月中旬までずっと雪の中に埋もれている。1年のうち1/3ほどが雪の中と言うことになる。

その他、岩手県西和賀町で58cm。北海道音威子府で39cm。岩手県一関市で34cm。秋田県横手市29cm。新潟県湯沢町で24cm。宮城県栗原市で22cm。群馬県みなかみ町で20cm。

朝日、毎日などの新聞では見出しに「冬将軍がやってきた」「寒気、真冬並み」などと冬を強調しておき、本文で「この秋いちばんの寒さ」としてあるのが面白く感じられた。

東京もかなりの寒さだったようだが、それでも季節の感覚としてはまだ「秋」なのだろう。何しろ本郷の銀杏はようやく色付いた頃だ。

20071116

無駄に忙しい

掲示板が復活してくださったのは嬉しいのだが、復活掲示板には以前になく、スパム書き込みが多い。

暫く接続不能になっていたので、その間にセキュリティー強化などメンテナンスが行われていたのかも知れないと、ほんの僅かに期待していたが、その気配は全くなく、むしろ、掲示板全体の管理に情熱が失われてきた事を感じさせる。

しかも、掲示板が復活した頃、チリで大きな地震があり、あれやこれやと調べたり、それを掲示板にまとめ、更に他の場所に日記を書いたりで、一銭の足しにもならないのだが無闇に忙しい。

掲示板が復活して、改めて、文章に臨む姿勢がBlogと全く異なる事に気付かされている。ひと言で言えばあまり構えずにメモ代わりにどしどし書いてゆける。

他の人から書き込みがあるとそれに反応すると言う形で自然にコミュニケートできる。

さて、Blog。意外と難しいなぁ…と感じているのだ。
ともすると自己中心的な文章が多くなる。

合気道をやっている方が、中心は自分にあるのではなく、相手と自分の接点にある、と言うような事を書かれていた。
文章に当てはめてみれば、Blogにモノを書いているのはわたしだが、その文章が純粋に自分にしか興味のないシロモノであるとすれば、つまらない事おびただしい。

面白ければいいのか?

そうは思っていないのだ。今読んでいる本もややこしい事この上なく、ワクワクもしないし、ドキドキ、ハラハラもしない。時々自分の読解力のなさに頭を抱えたりする。
ひと言で言えば面白くない。だが、有益かも知れない(努力して読解した本が、あまり大した事ないと悲しいが)。

自分中心的な文章は面白くない上に有益でもない。それだったら公開せずにしまいこんでおいた方がよい。

わたしの文章も相当自己中心的なのだろうなぁ…。時々そう思う。今のところ、このBlogにはひとつもコメントが付いた事がない。

今もまた、BlogについてBlogに書くという、謂わばメタ・ブログ的な文章を書き連ねている。

悩んでいるのだ。
自動的に対話が成り立ちにくいBlogという形式で、どの様にしたら文章と言う自分と相手との接点を接点にしていったらよいのだろう?

比較的簡単なのは、何らかの社会問題などに特化したBlogにしてゆけばよい。読者を狭く限定すると言う戦略だ。
このやり方をすると、自分自身が何かやっている人になったようで、それなりに満足感も得られるだろう。

いや、自己満足を軽視している訳ではない。自己満足は自分の満足なのだから、しっかりと味わった方が良い。

しかし、困った事にわたしはそれだけでは満足できない性質らしい。

更に、○○問題に強い関心を持っています。で、他人とつながり合えるという幻想はもはや持ち合わせていない。
何事かを思いのまま書いたことが、きわめてユニークなものになるほど、物事も知っていない。

何でもない人間であるわたしが、公開される日記と言う読者を特定しない長い手紙を書いてゆくとは、一体どの様なものであるべきなのだろうか?

いつまでもメタ・ブログばかりでは何の発展もないので、この手の日記は…うーん、あまり書くべきでないだろうけれど、多くなりそうな気配もあるなぁ…。困ったことだ。

20071115

掲示板『夏の扉へ』復活!

ほぼ諦めていたものの、それなりに心血を注いだ掲示板『夏の扉へ』。きっぱりと諦め切れずにしばしば接続を試みていたのだが、どうやら今日になって復旧していたらしい。

一体何が起きていたのだろうか?原因は全く分からない。…ま、「なにがなんだかわからない」があたりまえなのだろう。

様々なサイトへのリンクを参照しながらの書き込みには掲示板は便利で、何より、Blogよりコミュニケーションが円滑に行える利点もある。

わたしは非常にほっとしているが、同じ題名のサイトがふたつ出来てしまったことはややこしい事この上ない。

ややこしい事は承知の上で、以前からの方針通り、題名は変えずにやってゆこうと思っている。

掲示板『夏の扉へ』
Blog『夏の扉へ』
と表記することで、区別を図ってゆこうと思っている。

Blogに軸足を置いてゆく方針にも変更はない。

問題はBlog『冬の砦』の存在意義がかなり薄れてしまったことだ。
掲示板『夏の砦へ』とBlog『冬の砦』の差別化をどの様に図ってゆくか?それはおいおい考えて行く事にしよう。

20071113

iMacを注文する

何が起きたのか良く分からないが、振り回され続け、自分でやった事と言えば、とりあえずiMacを注文した、それだけだ。だが、気が付くと、沢山物事をこなしていた。

どうもオンラインの買い物と言うものはいつも緊張して困る。本を1冊購入するだけでもわたしの体はきちんと緊張して下さるのだ。増して高い買い物になると、注文する前に「やはり明日にしようか?」などと早くも気持ちが弱腰になる。

朝起きて、歯医者の予約を延長して貰おうと電話をした。無論、頭の中はまだ悪夢の残骸でごちゃごちゃしており、兎に角電話をしてしまえば今日は終わったも同然だ、と、訳の分からない事を考えつつダイヤル。
名乗るとすぐに「少々お待ち下さい」と言われ、電話口に医者が突然現れた。
「丁度いいから、今から仕度して来て下さい。」
おいおい!
多分急なキャンセルが入ったのだろう。
「はい」とは答えたが、何が何だか分からないうちに治療と次回の予約が終わり、決まり、1時間後には部屋に居た。

「嵐の様な出来事だったな…」と思う間もなく机が今日届くとの電話あり。
急いで部屋を掃除し、朝食なのか昼食なのか分からない食事をして、夕刻の机到着を待つことにする。

自動的に今週中の予定が全て終わってしまった。

ならばこの時間の隙間を生かそう。と、少し気を落ち着けてからアップルストアにアクセスする。

そわそわする。オプションを含め、検討は重ねて来た。これで良い筈だ。と、考えても「良い!」と言ってくれる者もなく、どうも落ち着かない。弱腰になる。

注文作業を進めていると、意外と製品の到着予定が遅くなることが分かった。次回の歯医者へ行った後、iMacは来る事になるらしい。
24日夕刻から夜以外なら、何も予定はない。…ややぎりぎりか?

何事かが動き始めたのは間違いない。

12日は、どうやら妙高・黒姫でも外輪山に積雪があったようだ。『続・黒姫から』を覗き、そのことを知る。
時々、季節の立体像が頭の中に浮かぶ。

暑かったのはつい最近の事だった。そしてもう、頭上には冬が居る。

秋という季節は立体像の中で、本当に薄っぺらな層として存在する。その薄っぺらな層の中でしかわたしは活発に動けないのかも知れない。

(もし、オンラインでiMacを無事に買う事が出来ていたとしたら)わたしは実に5年振りにMacに復帰することになる。搭載されているLeopardなるOSは300以上の新機能が売り文句だが、わたしにとっては全て新機能ということになる訳だ。

不安は沢山あるが、良い方向に向かうに違いないと言う根拠のない確信が、わたしのどこかにある。
逆に言えば確信には根拠がなく、不安だけが沢山ある。

だいいちわたしはどの様にWebに繋ぐのか?という基本的なことすら分かっていないのだ。

机が来て、iMacが来て、全てはそれから。
来てみれば何とか何かが分かってくるだろう。少なくとも分からない事は分かってくるに違いない。

今は期待にワクワク躍る心を楽しんでおこう。

どうかはずれマシンでないように!

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机の組み立ては自分でやろうと思っていたのだが、女房殿の取り計らいで、業者の方がやって下さった。
いやはや、その組み立ての難しいこと!

ふたり掛りで、あれやこれやと工具を用い、30分以上格闘してようやく完成。

これをひとりでやることを考えていたわたしの甘さを思い知りました。

20071111

ヨーガを始める

10日ほど前からヨーガ(正確には自分ではヨーガだと思っているシロモノ)を始めている。

興味はあった。だがやる気は全くなかった。
始めようと思い立ったのは他人の影響が非常に大きい。

そもそも生まれ付き足が悪いので、わたしは胡坐さえ組む事が出来ない。増してや結跏趺坐(蓮華座よりこちらの方が本格的な感じがして格好が良さそう)なんぞ夢のまた夢。この事がヨーガからわたしを遠ざける原因となっていた。

mixiを通して知り合いになった方から、ヨーガについてはBlogからいろいろ教えて頂いていた。また、お蔭でNHKのプレミアム10で放映された菅野美穂さんが出演されていたインドのヨーガを紹介する番組を見ることが出来た。

その中から聞こえてきた、ヨーガは身体と心を繋ぐ、という言葉が妙に腑に落ちた。

以前から女房殿がフィットネス・クラブで簡単なヨーガを始めていた。これはエアロビクスの先生がシェイプアップを目的としてヨーガも取り入れたと言うもので、所謂パワーヨーガと呼ばれる奴だ。最初のうちわたしは批判的だった。わたしは頭でっかちである。

だが、この番組を二人で観ていて、より深いヨーガに少しだけ触れることが出来たような気がしたのだ。多分錯覚だろう。

ヨーガを始めた、などと言ったら本格的にヨーガをやっている方から笑われるか怒られるかするに違いない。ただ、椅子に坐って姿勢と呼吸を整え、首回しなど、ヨーガのウォーミングアップ的な動作をしている。
だから他の人が見たら、ヨーガをやっているとは気付かないかも知れない。自分でもヨーガをやっていると、時々思えなくなる。何しろ姿勢を整えることすら難しい。
子供の頃からの病気のせいで(これは単なる言い訳)、身体全体がかなり歪んでいる。正中線を真っ直ぐにする事そのものが出来ない。

ふと、操体法などでは「間違った姿勢にもそれなりの必然性がある」と言われていた事が気になったりする。先ず身体の歪みを整えることのほうが先なのではないか?と迷う。
このような時、指導者の存在が必要だと感じる。姿勢の微調整を自分の感覚で行っても、より良くなっているのか、間違った方向に向かっているのか自覚する事は酷く難しい。

次に躁鬱病の関係で(沢山言い訳があるなぁ…)朝は大変苦しい。
高校時代以来、爽やかな朝と言うものを経験したことがない。いつも同じ悪夢でうなされて目覚め、一人暮らしのときは七転八倒していたが、ふたりになるとそれも出来ないので布団の中で手足を抱えながらうんうん唸っている。
「目覚めのヨーガ」なるものを、まだ2回くらいしかやったことがない。

それでも少しずつ変化は現れている。

物事を始めるのが苦手だ。動き始めてしまえば何とかなるのだが、なかなか身体が思うように動いてくれず、そのうちにイライラし始める。

ヨーガを始めてからそれが少なくなったような気がする。

また、逆に我慢できなくて苛立つ事も少なくなった。

以前なら今回のように今迄心血をそれなりに注いできた掲示板がなくなったりすると、背中が粟立つような焦燥感に駆られ、何とか以前と同じ様な事が出来る場所を探し回っていたかも知れない。
けれど今回はすんなりと方向転換できた。

それなりに準備を進めていたこともあったのだろうが、事が起きてから心が全く波立たなかった。これには驚いた。

これはほんの僅かな例。僅かな事しかわたしにはまだ分からない。増してやヨーガについて語ることなど(語っているけど)、キリスト教やイスラム教について語るようなもので、その資格は全くない。そのことは自覚している。

古本屋三昧

この頃、古本屋ばかり覗いている。

駅前には大きな本屋があるのだが、同時に古書センターも近くに出している。
たまに新刊本で買った本が、古書センターにあると断腸の思いに駆られる。

先月、その古書センターで岩波書店が昔出していた『漱石全集』を購入した。これは安価い買い物だったのだが、総額としてはかなりの出費を強いられる結果となった。そのあおりを受けてなかなか本を買う事が出来ない。
そうした状況の中では、「断腸の思い」は避けたいので最初に古書センターに入る。

当然そこにも本は売るほどある訳で、中には滅多にお目に掛からない様な本もある。

今度来た時に買おう。そう思ったまま2度とお目に掛からなくなった本は一体どの位あるのだろう。
そうした経験を積み重ねているうちに、「これは!」と思う本は衝動買いする癖が付いた。明らかな悪癖だと思う。

従って、予算が少ない時には、新刊本屋に辿り着く前に資金が尽きる。

昨日も同じパターンだった。
しかも、それが無駄遣いであることはわたし自身が充分に自覚している。何しろ既に持っていて、本棚のどこにあるのかさえも覚えている本を2冊も購入したのだ。

無論、全く同じ本ではなく文庫本やペーパーバックでは持っているが、出来れば単行本で読みたかったと常々思っていた、まさにその単行本が古書センターに待ち受けていたのだ。

1冊はJ.R.ヒメネスの『プラテーロとわたし』(伊藤武好,伊藤百合子・訳,理論社,1970)。最初は印刷だと思い込んでいたのだが、この本に描かれている長 新太のイラストが何故かカラーだった。肉筆らしい。しかも相当手馴れた筆遣いと色彩のセンスを感じさせる。

どうでも良いが、わたしはスペイン語版を含め、既に『プラテーロとわたし』を何冊か持っている。それぞれに少しずつ異なる。ギター演奏による『プラテーロとわたし』もある。認めたくはないが、わたしは『プラテーロとわたし』コレクターになりつつある。ライバルの出現がないことを望むばかりだ。

もう1冊はヘルマン・ヘッセの著作の中から蝶に関する話を抽出してフォルカー・ミヒェルスが編集した『蝶』(岡田朝雄・訳,朝日出版社,1984)。本を厳選し、いざこれからレジに向かおうとした瞬間、目に飛び込んで来た。逆らい切れなかった。

本屋には、本の背表紙を読むという楽しみもあるような気がする。

最近は本屋にも個性がなくなってきたが、それぞれの本屋にはそれなりの「顔」がある。或いはあった。
新刊本屋には現代に触れると言う楽しみもあるのかも知れない。

現代に触れるのは悪くない。だが、わたしの周囲には何故か読書家が多く、それらの方々が進めて下さる本を全て買っていたら恐らく図書館が必要になる。現実的にはそれ以前に破産すると思う。

最近古本屋しか覗かなくなって、どうも読書傾向が自分の過去に遡っているような気がする。

北 杜夫だの辻 邦生だの、挙句の果てにはダンテ、ロマン・ロランなどの古典ばかり読んでいた時期もあった。
古典だとまだ格好も付くのだが、「どくとるマンボウ」シリーズに現を抜かしていた時は自分でも恥ずかしかった。…ちなみにその古臭い時期や恥ずかしい時期はまだ過去のものではない。

昨日は山村暮鳥の詩集も買った。この詩人の詩を読むのは何十年ぶりだろう。

高校の一時期熱中した小川国夫の『アポロンの島』も手に入れた。

これだけ買えばどれ程安価でも、資金は尽きる。

にもかかわらず、諦めた本。新刊本屋にあることが分かっている本が気になって仕方がない。

『アポロンの島』はやはり良い。
かなりの知識と読解力を要求する本だと思う。まだ、本の僅かしか分かっていない実感がある。けれど、その行間から立ち昇って来る「そぎ落とされたもの」が再読を誘う。

しかし、ここに描かれたヨーロッパも日本も、現代のものではない。

20071108

そして、すぐにまた更新

拙攻であったと反省している。

落ち着いてじっくりBlogたちを眺めてみると、開設当時、『冬の砦』は掲示板『夏の扉へ』に代わるものとして、仮の題名を付けられていたようだ。だから長い冬眠に入っていたのだな?

けれど、もうこのBlogに『夏の扉へ』と言う題名は使ってしまった。しかもなかなか味のある題名ではないか、『冬の砦』。これからの季節にはぴったりだ。画像も貼り付けやすい。

ならば!と増殖したBlogを整理することを止め、これらを全て生かして行く事にする。

一応メインの場としてここ『夏の扉へ』を置き、日記代わりにする。
文学的な内容、感想文集或いは誤読記は今迄どおり『夏の行方』。
エッセー風の書き物、翻訳(誤訳)の試行は『西風の頃

都合四つのBlogを使い分けて行く事にするとしよう。

ダメだったらどれかがポシャるだけだ。或いは全てが活動を停止するか?

このやり方で暫くやってみることにする。このくらい(忙しい人程)やっていることだ。

実に10ヶ月振りの更新

本当にロクでもない事には縁がある。何度目だろうか?掲示板が開かない。もはや焦りもしない。

過去ログは保存してあるが、HPが無いので公開する予定も無い。長いWin生活から少し抜け出し(宙に浮いているが)iMacを買おうと思っている。この際、過去は切り捨てて、やり直すのも良かろう。

仮に数日間経って掲示板が復活しない場合は、ここの題名を『夏の扉へ』に変え(過去を切り捨てるのではなかったか?)メインの情報発信場所にしてゆく腹積もりで居る。
あれだけ会員数を増やしておいてまだ何ゆえに紹介制にこだわっているのか分からないが、mixiをメインにはしたくは無い。紹介制であるという事は閉じた場所であると言うことだ。

このところ掲示板『夏の扉へ』は殆どBlog状態だった。
しかもmixiに日記を(1週間にいちどくらい)書くようになってから、わたし自身の書き込みも激減し、二十四節季の記録の様相も呈していた。

今日は立冬。これを機会に変えても良いかなぁ?そんな気もしている。

そうしよう。ここの名前を変え、『夏の扉へ』をとりあえず二つ作ることにしよう。そして、ここをメインにして行く事を(もし仮に掲示板が復活したら)伝えよう。

…復活しなかったら……ま、それこそいちからの出直しになる。それも良かろう。

思い立ったが吉日だ。暦にも先勝とある。