20171211

『その名は、カメジロー』

『米軍(アメリカ)が最も恐れた男─その名は、カメジロー』を観てきた。

正直に言ってそれ程期待してはいなかった。映画を観たいという気持ちだけがあり、いろいろ探してみたのだが、どの映画館で掛かっている映画も、横並びで、決め手に欠けた。
この映画に決めたのも見に行く寸前の事だった。

「信州と沖縄を結ぶ会」に入っている。
辺野古や高江の問題などを考えている内に居ても立ってもいられない気持になり、集会に参加したのが切っ掛けだった。

11月の中旬にその会の会報No.5が届いた。その封筒には映画のパンフレットも同封されており、それがこの映画のものだった。

背中を押された。この映画にしようと決心した。

正解だったと、今では思える。期待していなかったものの、映画は予想を遙かに超えて良い印象を得ることが出来たからだ。

瀬長亀次郎。この人物を知っていた訳ではない。変な名前の人物。そんな印象しか、抱いていなかった。この名前のせいで、今ひとつ、見る気にならなかったのも正直な話だ。

だが、妙に気になる存在でもあった。この人物をもっと知りたいと、いつの間にか思っていた。

映画は一本のガジュマルの樹から始まる。この樹を瀬長亀次郎は愛した。どの様な嵐にも倒れない。その在り方を沖縄人の姿と重ね合わせていたからだ。

彼が色紙に書く文字はたった二文字。「不屈」。

そのように瀬長亀次郎は生きた。

貧しい農家に生まれた亀次郎に、母は事あるごとにこう言葉を掛けたという。

「ムシルヌ アヤヌ トゥーイ アッチュンドー」
むしろのあやのように真っ直ぐに生きるんだよ。

そのように瀬長亀次郎は生きた。

民衆の前に立ち、演説会を開くと、毎回何万人もの聴衆を集め、人々を熱狂させた。

亀次郎はその人間性そのもの、生き方そのもので沖縄人の心を鷲づかみにしたのだ。


終戦から間もない1952年4月1日、首里城跡地で亀次郎と米軍の闘いの原点とも言える出来事があった。

琉球王国のシンボルだった首里城は、米軍によって、徹底的に破壊され、代わりに琉球大学の校舎が建てられていた。

沖縄を占領していた米軍は、日本への復帰運動などを抑える為、アメリカが指名した行政官による琉球政府を設立することにした。

この日行われた創立式典では、星条旗と並んで将官旗がはためき、アメリカ陸軍軍楽隊の演奏が響き渡っていた。

ビートラー米民政府副長官がこう挨拶した。

「アメリカには植民地的野望はなく、不安定な国際情勢下に太平洋の前衛地としての当地に駐屯を余儀なくされている」

式典の最後に、代表の議員が宣誓文を読み上げ、それぞれが立って脱帽し一礼する。

その中で帽子も取らず、立ち上がることもしなかった人物がただひとりいた。最後列の席で、ひとり座ったまま。
会場にどよめきが拡がる。

亀次郎だった。

亀次郎のこの行動は、ハーグ条約を法的な根拠としたものだった。

「占領された市民は、占領軍に忠誠を誓うことを強制されない」
そうした条文がある。


実はこの前日、立法院の職員が亀次郎の自宅に来て、何度も宣誓書への捺印を迫っていた。
既に亀次郎を除く全ての立法院議員の捺印が済んでいたが、亀次郎は最後まで説得に応じなかった。

亀次郎は、「立法院議員は、米国民政府と琉球住民に対し、厳粛に誓います」という条文の「米国民政府」の部分を削らないと宣誓書への捺印を行わないと言う。

「これはひとり沖縄人だけの問題ではなく、日本国民に対する民族的侮辱であり、日本復帰と平和に対する挑戦状だ」

困り果てた職員は宣誓書をいったん持ち帰るほかなかった。

再度見せられた宣誓書には、亀次郎の要求通り「米国民政府」の文字が消えていた。

しかし、これには見え透いたからくりがあった。宣誓書には、英語で書かれたものと、日本語で書かれたもののふたつがあり、英文を確認すると、こちらの方には「米国民政府」がしっかり残されていたのだ。

宣誓の場で、何度名前を呼ばれても、亀次郎が返事をすることも立ち上がることもなかったのには、そういった訳があった。

この日から亀次郎は「アメリカが最も恐れる男」「沖縄抵抗運動のシンボル」となる。


全てがこの調子だった。亀次郎の行動は、シンプルで「むしろのあやのように」真っ直ぐ。そして何より不屈だった。

亀次郎の影響力を恐れた米軍は、理由をごり押しして亀次郎を勾留するなどして、妨害しようとしたが、それらは悉く失敗に終わる。妨害にはならず、かえって亀次郎のカリスマ性を高めてしまったのだ。

彼、瀬長亀次郎は確かにひとりで米軍─アメリカを翻弄していた。

映画は豊富な史料を駆使して、亀次郎の生き方を克明に描き出して行く。そして、現在の沖縄で闘われている反基地闘争に、亀次郎の不屈の言葉がそのまま生きている事を示す。

今年は沖縄返還45年であり、日本国憲法施行70年であり、何よりも瀬長亀次郎生誕110年に当たる年だ。

その記念すべき年に、この映画が作られたと言う事は、日本の民主主義の前進にとって、大きな記念碑になるだろう。

亀次郎の生き方は、現在の沖縄に地続きで繋がっているのだ。

20170512

『わたしはダニエル・ブレイク』

六文錢さんのブログによるレビュー、『ケン・ローチ『わたしはダニエル・ブレイク』(I,Daniel Blake)を観る』を読んだ時から、この映画は観ようと心に決めていた。諸般の事情により、観るのが遅れたが、昨日(11日)ようやく観てきた。
ケン・ローチ監督は前作『ジミー、野を駆ける伝説』を最後に映画界からの引退を表明していたが、「いま、どうしても伝えなければならない物語がある」と引退を撤回。イギリスや世界中で拡大しつつある格差と貧困をテーマにメガホンを取った。
ケン・ローチ監督は言う。
人を人と思わない。人を辱めるようなことも、人を罰することも平気でする。まじめに働く人たちの人生が混乱したり、援助を受ける人たちが食べられなくなったりすることを武器のように使う、政府の意識的な冷酷さに突き動かされました。



これ程人をイラつかせるヴィヴァルディの「春」を聞いたことがない。映画の中でお役所仕事を象徴する電話の保留音がそれだ。

実直に働き、税金を納めてきたことを誇りにしているダニエル・ブレイクは59歳。心臓発作でドクターストップが掛かり大工の仕事を続けられなくなった彼は国の援助を受けようとする。だが政府から業務を委託された「専門家」の不条理な質問の結果失業手当が打ち切りになる。不服申し立てのために役所に電話をするが、保留音の「春」を1時間48分も聞かされた挙げ句、認定者からの電話を待てと突き放される。

職安で申請書を貰おうとするが、全てがオンライン。IT弱者のダニエルは「俺は大工だ。家なら建てる。でもパソコンは知らない」と叫ぶが「デジタル化ですから」のひと言でお終いだ。呆れた彼が「電話番号は?」と問いかければ「サイトにあります」。


かつてイギリスは「ゆりかごから墓場まで」のスローガンを掲げ、国民の最低限の生活を保障する福祉国家(安全保障や治安維持などに限定するのではなく、社会保障制度の整備からも国民の生活の安定を図る国家モデル)を誇っていたが、現在、その1945年以来最も弱者に過酷な時代を迎えているという。

財政赤字削減を公約に掲げたイギリス保守党デービット・キャメロンが首相になった2010年以来5年以上に及ぶ緊縮財政(福祉、住宅手当、社会保障の削減)と福祉保障制度改革の結果、「片手に指が1本でもあれば就労可能」と皮肉られる程に、イギリスにおける保障の認定基準は厳しくなった。

英デイリーミラー紙は2016年5月12日、頭蓋骨の半分を失って重度の記憶障害と半身麻痺を抱える男性に対し、英労働年金省(DWP)が「就労可能」と裁定したことを報じた。理不尽きわまりない話に聞こえるが、活動家たちはこのような決定を耳にしてもショックを受けない。もはや当たり前になっているからだ。
(財政赤字を本気で削減するとこうなる、弱者切り捨ての凄まじさ-Newsweek)

この映画に描かれたダニエル・ブレイクが、とりわけ不幸な訳ではない。

悪戦苦闘する中、ダニエルは求職者手当の申請をする為、職業安定所を訪れる。そこで彼は父親が違うふたりの子ども─姉のデイジーと弟のディラン─を連れたシングルマザー、ケイティ・モーガンと出会う。彼女は遅刻したせいで給付金を受けられないばかりか、減額処分になる違反審査にかけられると言われる。引っ越したばかりで道に迷ったと釈明しても受け容れられない。ダニエルも加勢し、抗議するが一緒に追い出される事になってしまう。

ケイティの荷物を持って送ってやるダニエル。そこで彼はケイティの悲惨な事情を打ち明けられる。ダニエルは自分の困窮も忘れてケイティたちの面倒を見る。

ケン・ローチ監督の作品が、いつも同じ様なテーマを扱っていながらマンネリに陥らないのは、彼の視点がいつも弱者と共にあるからだろう。そこにはいつもほっとする暖かみがある。

こうしてダニエルとケイティたちの弱者同士の絆は深められて行ったのだが…。


残念ながら映画の中でも、登場人物は誰ひとりとして実際に救われる訳ではない。ダニエルも、思い余った行動から、一瞬ヒーローになるが、それも長続きするものではない。

そこには救い難い現実がある。

けれどケン・ローチ監督はメッセージを込めて、この映画を作り上げたのだと思う。それは社会の変革を声高に訴えるのではなく、「人生は変えられる。隣の誰かを助けるだけで。」という地道で、だがとても強力なメッセージだ。

生きるためにもがき苦しむ人々の普遍的な話を作りたいと思いました。死に物狂いで助けを求めている人々に国家がどれほどの関心を持って援助しているか、いかに官僚的な手続きを利用しているか。そこには、明らかな残忍性が見て取れます。これに対する怒りが、本作を作るモチベーションとなりました。

ケン・ローチ
出典:公式サイト

20170430

『海街diary8恋と巡礼』

ほっとした。それが今回の正直な感想だ。

少し注文するのが遅れた。今日の午後、『海街diary』8巻「恋と巡礼」が届いていた。

ニーチェも中山元も高橋昌一郎も押しのけて読み始め、貪るように一気に読み切ってしまった。


7巻の終わりで、主人公たちの香田家に大きな転機が訪れる事は予想出来た。上手く行って欲しいという願いはあれど、どの様に展開されるのか分からない不安で、7巻を読み終わるや否や、この第8巻が待ち遠しくて仕方がなかった。最大の不安は、ありがちな、安易で杜撰な展開になってしまうのではないかと言う事だった。いくらでもあざといドラマにできる展開だったからだ。

さすがにそれはなかった。

それどころか、読み終わって、充実した読後感に浸り、物語の背後でバックグラウンドミュージックのように啼く蝉の声を感じ、本棚に並ぶ背表紙を眺めながら、第1巻からの展開を振り返っていた。

実際、この巻が最終回であっても構わないと思える程、いつもより内容の濃い巻だった。

今回は今迄どちらかと言うと地味な扱いで、物思いや屈託と無縁の存在だった三女千佳が、一躍主役に踊り出て来た感がある。彼女を、そして彼女に起きた事を軸として物語は展開する。

海街diaryの主人公たちは、互いに大切な家族、友人、恋人、知人を思いやり、相手の心に一歩も二歩も踏み込んで意見する。日常に波風を立てまいとするのも、そうした思いやりの一種なのだろうが、「事件」は波風を立てずに済む訳もなく、問題を抱えた当人も、問題から逃げる事なく向かい合い、解決してゆく。こうして「事件」は丸ごと家族の日常に引き戻され、日常の一部として、包含されてゆく。それが家族の強靱さであり、日常の分厚さなのだろう。

海街diaryの持つ鮮明なリアリティーは、そうした強靱さや分厚さを、見事に描き出し、それが私たちの人生と一致するものを持っているところから生まれて来るのだろう。

諭す側も決して説教臭くならないのは、それぞれが別の弱点を抱え、それ故に互いに支え合う関係にあるからだと思う。

強靱さや分厚さは、自然にそうなっているのではなく、また誰かひとりの手柄としてそうあるのでもない。ひとりひとりがさりげなく努力し、その努力によってひとりひとりが互いに支え合い、助け合う。そうした作業の積み重ねの上に成り立っているのだ。つくづくこの頃そう思う事が多い。

海街diaryの主人公たちもそれぞれが、新しい門出を迎えている。
それぞれの人生が鎌倉の四季の移ろいと共に変化して行き、これから先も様々なドラマを演じてくれるのだろう。

鎌倉という街は、有名所だが、私にとっても決して縁のない、単なる観光地としてあった訳ではない。深く、いろいろな個人的な思い出が染みついている。
作品の所々に現れてくる、詳細なスケッチは、どれも正確無比で、私の記憶が、逆にスケッチから呼び起こされる事すらある程だ。

その鎌倉という土地の自然や風物が、描かれる人間模様と相俟って、独得の風合いを醸し出している。

帯に書かれていて知った事だが、作者の吉田秋生さんは今年で画業40周年を迎えるのだという。なかなか出来ることではない。その区切りを、この海街diaryで迎えるという事が、なぜか運命的なものを感じるのは私だけなのだろうか?

家族のあり方を描いて来た吉田秋生さんの、集大成と言ってよい作品になって来ていると思う。

20170423

『ニーチェの顔』

前々回の「『大いなる正午』」に引き続き、氷上英廣の本を紹介する。

今回紹介するのは『ニーチェの顔』。岩波新書青版である。言わずと知れるだろうが古い。ちなみにamazonで氷上英廣を検索しても、『大いなる正午』も『ニーチェの顔』もヒットしない。偶々、県立長野図書館に蔵書があったお蔭で、読むことが可能になった。だが、読んでいて全く古さを感じなかった。

この様な本を読んでいると、本物のインテリの話は面白いと素直に思えてくる。洋の東西を問わない、広く深い知識と教養が本から泉のようにこんこんと湧き出てくるような気がしてくるのだ。

今回の『ニーチェの顔』は70年代前半に書かれた、ニーチェに関するエッセイを集めたものだ。

ニーチェの容貌や声、孤独とデカダンス、エピクロスやヘーゲルとの関係、西洋と東洋、ゾロアスターや仏教キリスト教、ニーチェが生きた時代のドイツと日本の知的風土、といった様々な角度から光をあて、ニーチェという希有な思想家の迫力と魅力を、生き生きと描き出している。

ニーチェが書いたままの原語で、ニーチェを読むことができる事へのうらやましさを含めて、これだけ教養があると、ニーチェを読んでいても、私が読む場合の数十倍、いや数百倍は愉しいだろうと想像する。

私が読む場合、一寸先だけ見えていてその先は闇、の状態に近いが、もっと広い遠近感を持ちながら、確固とした全体像を持ってニーチェを読むことができると思えるからだ。

例えば「犀・孤独・ニーチェ」から引用すると

ところで、「われはさまよう、ただひとりの犀のごとくに」の句は、引用の手紙であきらかなように、ゲルスドルフから贈られたインドの箴言集のなかにあるのではなく、仏典スッタ・ニバータに由来するものであり、英訳のスッタ・ニバータのなかに出て来るリフレーンをニーチェが自家用に独訳したものだ。

こうしたことを分かっていて読むのと、全く知らずに読むのでは、同じ文章を読んでも、汲むことができる意味の量が全く違ってくる。

氷上英廣の本はこうした事の連続なのだ。

これだけの知識と教養がありながら、氷上英廣が『ツァラトゥストラはこう言った』を、注釈なしで訳した事実に、私は改めて驚嘆せざるを得ない。



ところが意外にも氷上英廣ができなかったことも、できるようになって来ている事に、今回気が付いた。

表題にも使われている文章「ニーチェの顔」の冒頭はこう始まる。

ニーチェの顔といえば、まず思いだすのはあの大きな口ひげである。シュテファン・ツヴァイクがニーチェを論じたもののなかにVercingetorixのひげという語が使ってあるが、このヴェルツィンゲートリクスというのはガリア人の勇猛な族長でシーザーと戦い、敗北し、ローマで首をはねられた人物らしい。私はいまその肖像をさがす便宜がないので、おそらくニーチェのようなひげを持った人物なのだろうと思うよりほかない。

今我々はWebを使うことができる。Vercingetorixを画像検索してみると、主に銅像でだがその肖像を簡単に見出すことができる。

ウェルキンゲトリクス(Wikipedia)

氷上英廣ができなかったことも、簡単にやってのける事ができるのだ。

時代は確実に便利になっている。

しかし、『ニーチェの顔』を読まなければ、Vercingetorixなる人物の名すら知らずに過ごしていたのであろう。所詮は氷上英廣の手のひらの上で探検をしている気分を味わっているに過ぎないのだ。

春を撮った

現実の春は、紹介する写真より、一歩も二歩も先に進んでしまった。早くupしないと本当に時機を逸する。

自宅の近くを撮ったので、あまり見栄えは良くない。

部屋から見える桜。
なかなか咲かなかったが、ちらほらと咲き始めたと思っていたら、次は8分咲きになっていた。
その隣の欅。
遠目から欅の葉の芽だと思っていたのだが、撮影しようと近付いて、花芽である事に気が付いた。まだ開いてはいない。

近所では最も立派な桜。咲くのも早かった。もう葉が出始めている。

 近くの公園の桜並木。今が見頃だ。

 鴨脚樹の葉はまだ鴨の脚と言うより雀の脚程度の大きさ。

つい最近梅も満開だった。信州の春は爆発的だ。刻々とその姿を変えている。

20170412

『大いなる正午』

良い随筆集であった。

読む前から本の佇まいに感動していた。1979年の12月に発行された本だ。その頃には既にこの様な佇まいを持つ本は珍しいものになっていたのではなかっただろうか?

小豆色の布張りの表紙。背に金の明朝体で題字が記されているのみ。

読む為に本を触っているだけでとても気持ちが良い。

この感触を味わっていたくて(それだけが理由ではないが)ゆっくりと読んだ。

「あとがき」でも触れられているが、副題に「ニーチェ論考」とあるが、ニーチェについてのみ論じている本ではない。構成としてはIはだいたいニーチェが、IIは茂吉、鴎外、草田男が、IIIはゲーテとドイツ・ロマン派が主題となっている。
しかし、いずれの文章でもニーチェの名はひょっこりと飛び出して来るので、副題に偽りはないだろう。

表題になっている大いなる正午という言葉は、『ツァラトゥストラ』などに頻繁に出て来る、印象深い言葉であり、何と言っても『ツァラトゥストラ』は

これは俺の朝だ。俺の昼がはじまるぞ。さあ、来い、来い、大いなる正午よ

とツァラトゥストラが叫ぶシーンで終わっている。

その大いなる正午を論じるエッセーでこの本『大いなる正午─ニーチェ論考』は始まっている。

古代ギリシアでは正午のころに物の怪が出没したらしい。

ほう!と思わせて、著者氷上英廣はその知的で広大な世界に私たちを引きずり込む。

驚かされたのが、著者の和歌・俳諧に対する造詣の深さだ。

ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』を、最初に注釈なしで訳した事がクローズアップされた事により、ドイツ文学の専門家と見られがちだが、ヨーロッパの著作と同程度に和歌・俳諧が引用されている。

博学とはこの様な人のことを言うのであろう。

困ったのは、茂吉とニーチェの関係を論じた文章などに顕著だったのだが、訳もなしにいきなりドイツ語の詩が引用され、論じられている部分だった。久し振りにドイツ語の辞書を本棚から引っ張り出した。

著者の知的な文章に触れ、ものがはっきり見えてくる快感に浸ることができた。

20170330

『道徳の系譜学』

ようやく読み切った。

『ツァラトゥストラ』を読み終わった時から、この本は、いつか読まねばと思い続けてきた。どの解説書を読んでも、必ず読むように奨めてくる本だったからだ。

実は『善悪の彼岸』と共に、この本はかなり昔、購入したものだった。ずっと積ん読状態だったが、『ツァラトゥストラ』を読破した事を切っ掛けに、ニーチェに浸り切り、満を侍して手に取った。

ニーチェ著・中山元訳『道徳の系譜学』を取り敢えず、読み切った。

この本は、『ツァラトゥストラ』が売れなかった事から書かれた『善悪の彼岸』が、ニーチェが思ったようには受け容れられず、その事から、ニーチェが自分の思想を解説する必要性に迫られて、書かれたもののようだ。

得意のアフォリズムは封印され、ニーチェには珍しく、論文形式で書かれている。

それ故、恐れをなして逃げ続けていたのだが、読んでみると、むしろアフォリズム集より分かり易く、面白く読めた。ニーチェの論考はそれ自体が恐ろしくダイナミックなものであり、思考の安住をどこにも許さないものだった。

構成は


第1論文:「善と悪」と「良いと悪い」
第2論文:「罪」「疚しい良心」およびこれに関連したその他の問題
第3論文:禁欲の理想の意味するもの

と、なっている。
このうち第2論文は2度読んだが、他は1度しか読んでいない。

いくら分かり易かったとは言え、それは他の文章に比べての話であり、何と言っても天下のニーチェ。一度や二度読んだところで、読みこなせる訳がない。

何とか要約をまとめてみるつもりだが、当然それは分かったつもりの範囲内のことであり、読解の行き届かなかった所、誤読は当たり前のように存在する。その事は何度言っても言い足りないくらいに厳重に言っておきたい。


この本の目的は、善悪の判断が生まれてきた理由や善悪の判断そのものの価値を明らかにするために、道徳の意味を時代を遡って仮説的に(=系譜学的に)考察することにある。

ここで大切なのは、ニーチェは実証的に史実に基づいて道徳の起源を示そうとしているのではなく、あくまでもひとつの仮説を置こうとしているに過ぎないと言う事だ。何らかの起源を想定すること自体がニーチェの思想の基本姿勢に反する事だ。「ニーチェの主張する事実は、歴史上存在したことがない」と反論する事は、ニーチェの議論に正面から応える事にはならない。

第1論文から。

ニーチェの道徳論の重心は、ひとつには私たちが何が道徳的であるかをしばしばルサンチマン(怨恨)によって規定してしまうという点に置かれている。

ありがちなことだ。

そして冷水を浴びせかけられたような気分になる。

ルサンチマンが根本にあると言う事は、私たちの道徳が、実は全くの偽善であることになってしまうからだ。

ニーチェは「良い」という判断の起こりは「良い人」たち自身が彼らより劣った人たちと比べ、自分の行為を「良い」と評価したことにあると言う。つまり「良い」の判断は自己肯定の表現から現れたのだと言うのだ。

「良い」の語源は、どの言語に於いても、身分的な意味での「貴族」や「高貴」が基本にあり、そこから派生して、貴族的とか卓越性としての「良い」が発展してきた。と言う。

それと並行してもうひとつの発展があった。野暮とか低級といった概念が「悪い」schlechtの意味を持つようになってしまった。始めそれは単に素朴さ(schlechtwegsは「率直に」という意味を持つ)を指していたに過ぎない。しかし次第にそれは現在の意味、つまり善と対置される「悪」das Böseへと変化させていった。

身分的な意味でしか使われていなかった「良い」と「悪い」が次第にその意味を変化させる際には「僧侶階級」が大きな役割を担った。彼らは最初は政治的に最も高位にある階級に過ぎなかった。しかし次第に精神的な意味でも、最も優越していると考えられるようになった。

僧侶階級と対照的なのが「戦士階級」だ。僧侶階級が沈鬱的であり行動忌避的なのに対して、戦士階級は健康、力強さ、自由で快活である事を前提としている。

僧侶階級は敵対者である戦士階級に対して仕返しをするために、一切の価値の転換、すなわちルサンチマンによる価値創造を行った。ただし彼らはこれを現実の行為によってではなく、想像上の復讐として行ったのだ。

この過程で生み出されたのがルサンチマンの道徳だ。ニーチェはこれを奴隷道徳と呼び、それに対して、戦士階級の道徳、自己肯定の表現としての道徳を貴族道徳と呼んだ。

一切の貴族道徳は肯定から生まれてくる。これに対し奴隷道徳は否定から生まれる。なぜなら奴隷道徳の基礎にあるルサンチマンは否定そのものが価値を生む行為だからだ。自己肯定ではなく他者否定こそが奴隷道徳の本質的な条件なのだ。

かつての「良い」は自然な自己肯定の表現だった。しかし、ルサンチマンは「良い」のが悪く、「悪い」のが良いのだと言うように、価値基準をいつの間にか逆転させ、反動的に「善人」とイメージを思い描くようになる。

次に第2論文。

「自由な人間」が登場した背景には「習俗の論理」の存在がある。習俗の論理は人間を一様に数え上げられるようにするが、最終的には、習俗の論理から再び解き放たれた個人、つまり「主権者的な個体」が現れるに至るという。
「主権者的な個体」とは自分の意志を持ち、約束をきちんと守り、相手も自分も裏切らないような個人の事を指している。

「主権者的な個体」は自律的で自己固有の意志を持つ人間のことだ。彼は自由の意識、自己と運命を支配する権力の意識に満ちあふれている。

そして大切な事は、彼は約束出来る人間であると言う事だ。彼は責任についての強い自覚を持ち、自分がしっかりと約束を守る事が出来る能力があることを知っている。こうした能力を所謂「良心」と呼ぶのだ。

一方約束する能力に由来するのではなく、後ろめたさや「罪悪感」「負い目」に支えられている良心もある。これがニーチェの言う「疚しい良心」だ。

この「疚しい良心」は「申し訳なさの良心」と言い換えるとより分かり易いと思う。
「お金持ちで申し訳ない」「五体満足で申し訳ない」…等々。

負い目Schuldの概念は、負債Schuldenに由来して生まれてきた。

その一方で、刑罰から報復が生まれてきた。

刑罰は負い目を呼び起こすものと見做されて来たが、実際にはむしろそれを発達させないように抑制もして来た。

刑罰の効果は次の所にある。つまり刑罰は自己批判をさせ、改善させる効果を持つ。それは恐怖と用心深さを増し、欲望を制御させることで人を飼い馴らさせる。

第3論文。

ここでニーチェは禁欲的な理想が生まれてきた背景について論じている。

これまでの哲学者は概して官能を拒否し、禁欲的理想に対して愛着を見せてきた。禁欲的な理想は哲学者が存在するための前提であり、哲学それ自体が存続するための条件でさえもあったと言う。

ここでニーチェは「禁欲的司牧者」がルサンチマンの方向を転換し、疚しい良心を生み出したという説を立てる。

ルサンチマンに侵されている人は「私が苦しいのは誰かのせいに違いない」と考える。ここで彼らを従える「禁欲的司牧者」は次のように告げる。

「その通りだ、それは誰かのせいに違いない。しかし、その誰かとは、まさしく君たち自身なのだ。苦しいのは君たち自身のせいなのだ!」

ルサンチマンはその方向を転換したのだ。

こうして彼は、罪悪感に支えられた疚しい良心を抱くようになる。

学問はどうなのだろうか?

学問は司牧者に敵対し、彼らの「間違った」信念を次々と破壊してきたではないか?

しかしニーチェの批判は学問そのものにも向かう。

彼らはまだまだ自由な精神とは言いがたい。というのは彼らはまだ真理というものを信じているからである

では、なぜ人びとは禁欲的な理想を受け容れ、禁欲的司牧者に従うのだろうか?なぜ彼を拒否しなかったのだろうか?

それは、これまで唯一禁欲的な理想のみが人間に生の意味を与える事が出来たからだ。

彼が禁欲的な理想を抱くようになった理由。それは人間が本質的に生の意味を求める存在だからだ。彼にとっては苦悩それ自体が問題なのではない。むしろ苦悩に意味が欠けている事、これこそが問題なのだ。

禁欲的な理想は人びとに苦悩の意味、目的を与えた。それによって人びとは何かを意欲する事が出来るようになったのだ。

そして禁欲的な理想は人間に一つの意味を提供したのである!これが人間の生のこれまでの唯一の意味だった。まるで意味がないことと比較すると、どんな意味でもあるだけまだましだったのだ。禁欲的な理想はどの点からみても、かつて存在したうちでもっとも優れた「何もないよりはましな代用品」だったのである。苦悩はここにおいて解釈されたのであり、これによって巨大な空隙が埋められたようにみえた。あらゆる自滅的なニヒリズムへの扉が閉ざされた。

しかし禁欲的な理想は、人間に苦悩の意味を与えるのと同時に、新たな苦悩ももたらした。「虚無への意志」がそれだ。動物的なものに対する憎悪、官能に対する、また理性に対する嫌悪、微に対する恐怖─そうしたものすべてが禁欲的な理想によって生み出されたのだ。

そしてわたしが[この論文の]最初に述べたことを、最後にもう一度繰り返すとすれば、人間は何も意欲しないよりは、むしろ虚無を意欲する事を望むものである…。